助けてくれたから助けたい
──今なんて言った?
まだまだ疲労が抜けきっていないせいか、変な幻聴を聞いてしまったのだろうか?
それとも夢を見ていたのか?
いや、膝枕の感触としっかりと味わった豚肉と生姜の風味は間違いなく現実のモノだ。
だからこそ、天梨が出した提案に思わず現実逃避をしてしまう程に驚愕してしまったのだろう。
「和さんも知っての通り、元々ここは由那と辰人さんに天那の3人が暮らす予定だった部屋です。今は私と天那の2人だけですから、丁度一部屋余っている状態なので新居が見つかるまでの間はそこを使って下さい」
天梨とあまなちゃんが住む『マンションエブリースマイル』は一部屋3LDKとなっており、2人で住むにはかなりの余裕がある。
便宜上では来客用として使っていない部屋が一つあるくらいだ。
当然、それだけの広さがある部屋の家賃は相応の値を張るものの、彼女の高収入と亘平さん達の援助もあって生活に困っている様子はない。
「その部屋は両親がこちらに来た際に使っていましたし、掃除自体は毎日欠かしていませんから清潔なままです。車の中にある荷物さえ運べばすぐにでも過ごせますよ」
マメな天梨らしさが垣間見える丁寧さだ。
大手IT企業の営業部に勤めているだけあって、普通なら迷わず手を取りたくなるような提案だと思う。
けど……。
「さ、流石にそこまでは甘えられないって……」
メリットがありすぎて逆に申し訳なくなる。
第一俺は天梨の顔見知りで、あまなちゃんとは歳の差がある友達でしかない。
ありがたい提案ではあるが簡単に頷ける程、俺にそんな価値があるとは思えなかった。
そう思って辞退しようとするが、逃すまいと天梨の瞳がスッと細められる。
「寝床だけではありません。先程のように食事は私が用意させて頂きます」
「え?」
「それもいつものお弁当だけでなく、朝食と夕食も併せて3食分です」
「ええっ!?」
まさかの追加情報に驚きを隠せない。
ただでさえ彼女の料理に胃袋を掴まれている身としては、これ以上ない魅力的な提案だ。
どう返事をすればいいのか迷ってしまう。
その反応を見て、彼女は瑠璃色の瞳をさらに鋭く光らせる。
「洗濯も任せて下さい。父の衣類で見慣れていますから、男性の下着であっても抵抗感はありませんから」
「うぐ……っ」
なんという追撃だ。
寝床と食事だけでも十分過ぎるのに、そんなこともしてくれるのか……!?
天梨に抵抗感は無くとも、パンツを洗われる側である俺には抵抗感はあるんだが、そこは一旦置いておく。
重要なのは車中泊の時にコインランドリーで済ませていた洗濯と乾燥が、仕事中に済ませてくれるということだ。
他の選択肢を取ったら後悔すると分かるくらいに、破格の提案だというのは百も承知だ。
でも……天梨が俺にそこまでしようとする理由が分からないから。
だから、俺は首を縦に振れない。
「なんでだ? なんで天梨はそんな提案をしてくるんだ? 同情なんてしなくても、俺は俺で何とかするから、無理をする必要はないんだぞ……?」
理解が及ばないままどうしようもなくなって、挙句にそんな情けない言葉を返す。
だが、それを聞いた天梨は……。
「──同情……? 和さんには私がそんな安っぽい一時の感傷だけで提案していると思っているのですか?」
「──っ」
「どうして和さんは私と天那が仲違いした時のように、自分のことを心配しないんですか!? 天那が止めていなかったら仕事中に運転ミスをするなりして、手遅れになっていたかもしれないんですよ!?」
心外だという風に、滾る怒りを露わにして叫んだ。
その正論極まりない言葉に、俺はまるで喉元に刃物を突き付けられたように全身が硬直して動けなくなる。
あまなちゃんは驚いた素振りを見せず、むしろ自分も同じ気持ちだという風に眉を顰めていた。
たったそれだけで、2人にどれだけの心配を掛けていたのかが窺える。
そこまで思われているとは考えていなかった分、俺は肩身を狭くして説教を聞き入れていく。
「私達はそんなに頼りありませんか? 心配させる程の深い関係ではないと思っていたんですか?」
「そ、そんなことないって! 俺はただ迷惑を掛けたくなくて──」
「いつ迷惑を掛けないでほしいと言いましたか!? 心配させることを勝手に迷惑だと決めつけるだなんて、そっちの方がずぅぅぅぅっっと迷惑です!! 何様のつもりなんですか!?」
天梨がここまで怒るのは、俺が隠しごとをしていたからじゃない。
自分一人で何とかしようとした、その傲慢さに強い不満を抱いていたんだ。
心配させたくないからと無理をして、それが余計に心配の種になっていたのに、一方的に気持ちを決め付けて手を貸すことも許さない。
そんな態度が許せなかったのだろう。
事此処に至って、自分が如何に馬鹿な態度を取っていたのか思い知らされる。
あまりに情けなくて、罪悪感に押し潰されそうで、唇を噛み締めることしか出来ない。
そうして項垂れる俺の顔を、天梨はそっと両手で持ち上げて顔を合わさせる。
「──私と天那は、和さんにたくさん助けられて来ました。そんなあなたにどうやってお礼をすれば良いのか、考えない日はありませんでした」
「え……」
悲痛な面持ちで告げられた言葉に、目を見開いて驚愕する。
だって、今言ったことは俺が天梨とあまなちゃんに感じている気持ちと全く一緒だったのだから。
「授業参観に間に合わせてくれた。天那にたくさんの思い出を作ってくれた。私が母親ではないと知られても家族でいられた。こんなに親身になってくれたあなたに対する感謝の気持ちを、毎日のお弁当だけで返せるわけないじゃないですか……」
そんなことはない、ちゃんと返してもらっている。
むしろたくさんもらっているのは俺の方なのに……。
ハッキリそう言いたいのに、まるで言葉として口から出てきそうにない。
「私と天那の恩人である和さんが困っているのなら、出来る限りのことは尽くすつもりです。お願いします。私達に、あなたを助けさせて下さい……!」
「──……天梨」
そう訴えながら頭を下げる彼女に、どう返事をすれば良いんだろうか。
俺には全く思いつかない。
言葉に窮していると、不意に手の甲に暖かいモノが重ねられる。
目を向ければ、それはあまなちゃんの小さな手だった。
今まで無言で成り行きを眺めていた彼女は、真剣な眼差しで俺を見据える。
「あのね、おにーさん。あまな、おにーさんとあってからすっごくたのしーの」
「……」
「あまな、おにーさんにいーっぱいたすけてもらったから、おにーさんがこまってたら、たすけたいっておもってるんだよ?」
そこであまなちゃんは一旦言葉を区切って、満面の笑みを浮かべながら続ける。
「だって、たすけてもらったからたすけたいっておもうの、あたりまえことなんだもん!」
「ぁ……」
それは呆れ返るくらい簡単なことで、なのに目から鱗が落ちるくらい思いもしなかったことだった。
返し続けることばかり考えて、返されることをまるで考えていなかったから。
あまなちゃんの真珠のように純真な言葉は、心に暖かな光をくれた。
「それにね! おにーさんがあまなのおうちでいてくれたら、もーっとたのしそーっておもうの!」
まるであまなちゃんの中では、俺がこの家で過ごすことを決めたような言い草だった。
なんて都合の良い考えだ、とは思うがそれを否定する気にはならない。
むしろそれだけ俺を受け入れてくれている証拠だと分かったのだ。
こうまで言われて、もう断る選択肢はどこにも無い。
「──決まったみたいですね?」
俺の答えは天梨も悟ったらしく、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
この親子の手に掛かれば、男一人の自分勝手な意地はどう足掻いても敵いそうに無いらしい。
そう思い知ると共に、俺は苦笑しながら首を縦に振るのだった……。
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