パパがほしいのですか?



 放課後。

 蓮水達におみやげを渡して解散し、留守番をしながら宿題を片付けていた天那の耳に玄関のドアが開かれる音が入ってきた。

 出迎えるために廊下に出ると、仕事を終えた天梨が靴を脱ぐ姿が目に映る。


 おかえりの挨拶をするため、精一杯の笑みを浮かべて口を開く。


「おかえりなさい、ママ」

「ただいま帰りました……どうしたんですか? どうやら元気がないみたいですが……」

「え?」


 なぜ分かったのかと目を丸くする娘に、天梨はクスクスと笑いながら答えた。


「笑ったフリをしてもママにはお見通しですよ?」

「む~ずるい!」

「ズルではありません。それだけ天那のことを見ている証拠ですから」

「にゅ……」


 実の母親でなくともその言動は実に母親らしい天梨に、天那は反論出来ずに口を噤む。

 そもそも天那が嘘を付くのは苦手だということを知られているため、多少の誤魔化しなど全く以って無意味だった。

 

 ともあれ見破られたとあっては正直に話すしかないと判断し、天那は小さな口を開く。  


「えっとね、ちょっとかんがえごとしてたの……」

「考え事ですか?」

「うん。あまなのおうちってパパがいないでしょ?」

「そうですね……こればかりは私だけでどうにかなるものではありませんから」


 天那の父親は彼女が産まれて間もない頃に実の母親と共に事故で亡くなっている。

 そのこと自体は受け入れており、天梨に告げたのは事実確認のようなものだ。

 

 対する天梨は父親が恋しいのかと少し罪悪感を滲ませたが、天那から渡されたプリントを見て考え事の内容を察する。


「なるほど、おとうさんリレーですか」

「うん。でられるひとだけでいいってせんせーがいってた」

「共働きの家庭は珍しくありませんからね。でもそれなら一体何が気になるのですか?」


 仮に全員参加を強要するなら不謹慎極まりない競技だっただろう。

 プリントの説明を見た限りでも競技の結果は点数に含まれないようで、だからこそ天那が何を気掛かりに思っているのかという疑問が天梨の中で湧き出す。

 先を促された天那はもじもじと指を絡ませながら、ゆっくりと自らの考えを告げる。

   

「えっとね……もしおにーさんにでてほしいっていったら、こまらせちゃうかな?」

「和さんですか? 天那のお願いなら父親役として快く引き受け──え?」


 和なら断りはしないだろうと告げる最中、天那が出て欲しいと願う競技名をもう一度見直す。


 おとうさんリレーとは父親のみ参加出来る運動会の競技だ。

 それに和が出るということは、彼が天那の父親だけでなく天梨の夫も担うわけである。  

 恋愛感情を向けている相手でもあるため、彼女が顔を赤くして硬直するのも無理はないだろう。


「ママとおにーさんがけっこんしたら、おにーさんはあまなのパパになるかもーってちゆりちゃんたちがいってたの」

「そ、そうですか~それはどうでしょうかね~? 流石にママにも未来の事は分かりませんから……」


 適当にはぐらかす天梨だが、その内心は大いに動揺していた。

 小学生のませた言動といってもバカに出来ないと、背中に流れる冷や汗が突き付けて来る思いだ。


「おにーさんがあまなのパパになるっていわれてもよくわかんないけど、さすがにおねがいしたらこまらせちゃうかな?」

「むしろ泣いて喜ぶ姿が浮かばないでもありませんが……難しいお願いではありますね」

「ん~そっかー……」


 望んだ回答が得られなかった天那がしゅんと肩を落とす。

 天梨としてはホッと胸を撫で下ろせるが、愛娘の希望に応えられないことには申し訳なく思っていた。

 

 と、一つ彼女の中で案が浮かんだ。


「和さんは難しいですが、おじいちゃんにお願いしてみますか?」

「おじーちゃんはあまなとかけっこしたらすぐにつかれちゃうからダメ」

「そ、そうでしたね……」


 天梨の父である亘平に頼る案は即刻却下された。

 年齢的な運動能力の差もあるが何より本人に体力がない。 

 結果として天那が和に頼ろうとしたのも納得せざるを得なくなった。


「おとうさんリレーに関しては絶対参加ではありませんし、今後でゆっくり考えていきましょう。そういえば前に教えてくれた転校生の子とは仲良くなれましたか?」

「うん! おのくらくんとはまいにちあまなとおはなししてるよ!」

「確か和さんの家に泊まった時に遊んだ公園で知り合ったんですよね。仲が良くて何よりです」


 話題を変えようと転校生の話を切り出すと、天那とは仲が良いようだ。

 ブランコを独り占めしていたと聞かされた時は不安だったが、後腐れなく友情を築けていることに安堵したものだった。

 だが、天那は少し疑問に思っていることがあるようで……。

 

「あまなとおなはししてると、おのくらくんのかおがあかいきがするの」

「顔が赤くなる?」

「うん。おにーさんとおはなしするときのママとおんなじで──」

「風邪ではないのでしたら問題はありませんよ。そろそろ夕食にしましょうか」

「はーい!」


 逸らせたと思っていた話題が完全に掘り返される前に、天梨は強制的に会話を終了させた。

 疑うことなく賛同されたので、油断も隙もないと思いながらも安堵から長い息を吐く。


 娘が尾野倉という少年の初恋相手になっているとは思いもしなかった。

 天那は気付いていないどころか恋愛感情に対する認識が甘いようなので、今すぐどうこうということはなさそうではある。

 自分の恋ですら戸惑うことが多いため、されている側と言っても天那に訪れそうな春には素直に喜べそうにない。

 

 そんな胸の内でも唯一理解出来ることがある。

 

「──由那も昔からモテていましたね……」


 天那の実の母親で双子の妹でもある今は亡き女性の名を口にする。

 生真面目で愛想の無い自分と違い、溌溂と笑みを浮かべる由那は男子によく告白されていた。

 小学生時代は花より団子といった風であったため交際に至らなかったが、中学時代になるとどう返事すればいいのかという相談を何度も受けたものだと思い返す。


 そんな折に由那は家庭教師で天那の父親である辰人に一目惚れし結婚までした。

 

 今後成長すれば天那は由那や自分に似て美少女になるだろう。

 であれば相当にモテると思わせる片鱗に苦笑するしかない。

 

「──もっと早く和さんと会っていたらどうなっていたんでしょうか……?」


 不意にそう零してしまう。

 しかし、天那が間に挟まっていなければ互いを認識すらしなかっただろうと彼女は結論付ける。


 おとうさんリレーのことはダメ元でも和に聞いてみることにし、天梨は夕食の準備に取り掛かるのであった。

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