回想④



 由那ゆいな辰人たつひとが事故に巻き込まれて亡くなった。

 その訃報ふほうを聞かされた南家の面々は、ただひたすらに打ちひしがれるしかない。


 まだ2人は若いのに、まだ夫婦として歩み始めたばかりなのに、まだ天那は産まれて間もないのに。


 そんな無念は上げればキリがない。

 特に由那達に外出を勧めた天梨の後悔は壮絶なものであった。


 自分があの提案を出したばかりに、2人が亡くなるきっかけを作ってしまったのだと罪悪感に苛まれているのだ。

 そうやって自罰的になる彼女を亘平達が励ますも、気を遣わせてしまったと感じて余計に追い詰めるだけになってしまう。


 それでも否応無しに事後処理は進んでいく。

 事故を起こしたトラックの運転手から謝罪文が送られたが、天梨に読ませられないと亘平が破り捨てた。

 今更謝られたところで許せるはずがなく、慰謝料の支払いが済めば一刻も早く記憶から消したいという思いからだ。


 葬儀の準備が進んでいくが、その中で最重要となる問題があった。

 それは亡くなった2人の娘である天那のことだ。

 

 まず、辰人側の親族は頼れない。

 勘当した息子のことなど知らないとばかりに、葬儀に参列することも拒否したのだ。

 血の繋がった息子なのに非常識だと亘平は怒るが、相手方は知らぬ存ぜぬである。


 そうなると、南家の面々で育てることになるのだが、真っ先に声を挙げたのは天梨だった。


「私が天那を育てます」


 それが2人の死の遠因を作ってしまった自分に出来る償いだと思っていた。


 天梨は高卒かつ派遣社員とはいえ有名なIT企業で働いているため、収入面はクリア出来るだろう。

 だが今までの手伝いでない本格的な子育てとなると、仕事との両立は困難だ。

 1歳にもなっていない天那を育てる場合は、未婚の彼女では自らの時間を切り捨てることと同義である。


 結果として仕事で忙しい時は亘平達が手を貸す形で、天梨が天那を引き取った。


 =====


 一部でない全面的に取り組む育児は苦労の連続であった。

 乳児の間は由那が入院中に知り合ったママ友に頼んで授乳したり、それまでと同様に夜泣きに悩まされる。


 それでも天梨は両親の手伝いもあって母親代わりとして懸命に天那を育てていく。

 やがて天那が3歳になった頃、彼女を預ける保育園と職場への通勤を考慮した結果『マンションエブリースマイル』へと2人で住まいを移した。

 

 保育園に通うようになって多少の余裕は出来たため、仕事上の都合以外で天梨は両親に頼る事を控えるようになり、買い物に行く時間を減らすため食材の宅配サービスも利用するようになる。


 しかし、忙しさからその余裕はすぐに消えてなくなった。

 加えて美人な天梨に言い寄る男性が多くなったりしたのだが、天那の育児に集中したい彼女はその悉くを断っていく。

 だがそれでも一向に離れようとしない人物に迫られた時は、苦肉の策として辰人と由那が写った写真を使って既婚者だと偽るようになったのだ。

 

 この時、一人でも彼女を慮る異性がいれば話は違っただろう。

 実際には誰も彼もが我欲を押し付けるだけで、保育園で待つ天那の迎えを後回しにしろとすら告げられたこともあった。  


 そんな状況下で溜まった睡眠不足とストレスは着実に天梨の精神を擦り減らしていき、ある日体調を崩して寝込んでしまったのである。


 こんなところで躓いてる場合ではない。


 そう自らを奮い立たせようとするが、一度悲鳴を上げた体が応じてくれない。

 普段の仕事振りを鑑みた職場からは休むように言われたが、子育てを休む理由にはならないと気を張る天梨に対し、天那は心配そうな表情を浮かべて……。


「ママー、だいじょーぶ?」

「──っ!」


 横たわる彼女の頭をゆっくりと撫でだした。

 天那には由那と辰人の死を知らされていない。

 

 まだ理解が及ばないだろうということで、時期を見て話そうと亘平達と決めたためである。

 そのことを踏まえて天梨は、一度も天那に自分を『ママ』と自称せず名前で呼ばせていた。

 

 だというのに、今天那は天梨を指して『ママ』と言ったのだ。


「……天那、どうして私を『ママ』って呼ぶのですか?」


 気付けばそんな疑問を口にしていた。

 咄嗟に言い繕うにも疲弊して鈍った思考では上手く言葉が紡げない。


「ほいくえんのせんせーが、ママをなまえでよんじゃダメっていってたー」


 余計なことを、と内心そう愚痴る。

 もちろん、その保育士が善意で注意したことくらいは察したが、勝手なことをされては迷惑だというのが正直な感想であった。

 

 そもそも、天梨は天那に母親として扱われる資格はないと思っている。

 だが本当のことを話せない手前、どう止めさせるのかがまるで浮かばない。


「天那は、私のことが好きですか?」


 またしても思ってもみなかった言葉が発せられた。

 こんなのは一時の気の迷いだと思うが、既に出た言葉は取り消せない。


「うん! あまな、いっつもがんばっててやさしいママだいすきー!」

「──っ!」


 そんな彼女に構わず天那は満面の笑みを浮かべて告げた。

 体のだるさなど気にも留めず天梨は天那の小さな体を抱き締め、両目からは涙が溢れて止まない。


 こんな自分を『ママ』と呼んで慕ってくれるなど、天梨は微塵も想像していなかった。

 幼い少女が持つ天性とも言える心遣いに、ずっと気負って張り詰めていた心が見事に解きほぐされたのである。


「ありがとう、天那。私も……ママも天那が大好きですよ」

「えへへ~」


 ──償いのためだけじゃない、キチンと天那自身のためにも私は母親代わりを務めないといけない。


 そう改めて決心するが、だからこそ本当のことを知られた時を想像して恐ろしくなるのだ。

 姪を悲しませたくない一心で、天梨は天那のママ呼びを止めさせなかった……それが彼女がついた優しいウソの始まりであった。


 いずれ本当のことを話さなければならないだろう。

 それがいつなのかは分からないが、この出来事を経て2人は本当の親子と遜色ない関係になったことに変わりはない。

 いつか来る日が延々と来ない様に密かに祈りつつ、天梨は天那を娘として育てていった。


 やがて、一人の宅配員と交流を得るようになるとは露も知らずに……。

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