あまなからママへのかんしゃのきもち
『こんにちは早川さん。今出張先から自宅に戻りました』
午後3時過ぎ、天梨からメッセージが送られて来た。
大変名残惜しいが、あまなちゃんをキチンと母親の元に送らなければならない。
帰る準備を整えている最中、あまなちゃんはお泊まりが終わることに寂しさを見せていたものの、何もこの1回きりではないと前向きに考えたようで、車に乗る頃にはいつもの調子に戻っていた。
「で? なんで黒音も付いて来るんだ?」
「だってあまなちゃんのお母さんがどんな人か気になるんだもん」
そんな物見遊山な理由でかよ。
何も同行の必要がない黒音の何とも軽い調子に、呆れをため息に交えて吐いた。
まぁ、コイツがいたおかげでお泊まりの間は食事の問題を解決出来たわけだし、何よりあまなちゃんのお菓子作りを叶えられたんだ。
きっと天梨も黒音に礼を伝えたいだろうし、むしろ渡りに船だと割り切ろう。
そう前向きに考え、天梨の待つ『マンションエブリースマイル』へと車を走らせる。
後部座席から聞こえる黒音とあまなちゃんの談笑をBGMにしながら運転すること40分……目的地に到着した。
車から降りたあまなちゃんは焦ることなく、歩みを揃えて自宅である184号室へ向かう。
たった3日とはいえ、大好きな母親と離れていた寂しさを億尾も出さない辺り、相変わらず気遣いに溢れてるなぁ……。
そんな感心を他所に、184号室のインターホンを押す。
軽快な音が聴こえて程なく、玄関のドアが開かれる。
中から出て来た天梨は濃い茶髪を左肩に流して、ベージュのカットソーに薄緑のロングスカートというシンプルな装いながら、彼女の魅力を損なうどころかより引き立てているようだ。
「こんにちは、早川さん。3日間天那を預かって頂いてありがとうございます」
「そっちこそ出張お疲れさん。あまなちゃんのおかげで全然退屈しなかったよ」
初めて会った頃は向けられるなんて予想もしていなかった、確かな信頼を感じさせる柔らかな笑みを浮かべて感謝の言葉を伝えられた。
一人娘を預けることや迷惑を掛けていないかという、恐らく感じているであろう不安を払うように労いの意を込めて返すと、天梨は安堵の息を吐いてあまなちゃんに視線を向ける。
「お帰りなさい、天那。良い子にしていたようですね」
「ママ、ただいま!」
大好きな母親の挨拶に、あまなちゃんは返事と共に抱き着いた。
決して長い時間離れていたわけではないが、親子の再会に胸がほんのりと温かくなる。
そういや黒音がやけに静かだなと思い、後ろへ顔を向けた。
「──」
「……黒音?」
「っ!?」
妹は目を丸く見開いて放心していた。
あー……これは天梨が思ってたより美人で驚いてるんだろうなぁ。
だとしてもちょっと大袈裟な気がする反応に思わず呼び掛けると、ハッとした表情を浮かべた後に耳元に顔を寄せ来た。
「あ、アニキ! あの人があまなちゃんのお母さんなんだよね!?」
「おう」
「ちょっと待って予想よりめっっちゃ若くて美人なんだけど!? どう見てもアニキより年下じゃん! それで結婚してて子持ちとか、ひょっとしなくても天梨さんって凄い人……!?」
その驚きようは俺も経験あるので同感だ。
シングルマザーでありながらあまなちゃんをあんな良い子に育てた手腕を思えば、黒音が尊敬の眼差しを向けるのも無理はない。
「職場の同僚だけじゃなくて、ここまで綺麗な人妻とも知り合ってるとか……。ねぇアニキ、これモテ期来てるんじゃない?」
「どこがだよ。そんな不純な心持ちで知り合った覚えはねぇよ」
「諦めたらそこで終了だよ!? このチャンスを逃したらアニキは一生結婚出来ないかもしれないじゃん!」
真剣な表情で何をバカなことを言ってんだ。
今お前が言ったように天梨は既婚者だし、亡くなってても旦那さんを一途に想ってるんだぞ。
どうして俺に可能性があると思えるんだか……。
あと一生は言い過ぎだ。
アホなことを抜かす黒音にはこれ以上言っても無駄だと思い、天梨に紹介することにした。
「天梨。こっちが俺の妹の黒音だ」
「ちょ、押さないでよ。え、ええっと、早川黒音です! いつもアニキがお世話になってます……?」
唐突に紹介を促したことは悪いと思ってるが、ちょっと緊張し過ぎじゃないか?
でもお世話になってる点に関しては否定出来ないので、口を噤んでおく。
「天那の母親の南天梨です。預かって頂いている間、娘と仲良くしてもらっていたとお兄さんからお話は窺っていますよ」
「い、いえいえ! アタシは料理を作ったりしたくらいで、元々好きでやってることなんで、そんな大したことじゃないですから……」
「──……、ご兄妹と聞いていましたが、早川さんとはあまり似ていませんね」
同性にも係わらずやけに畏まった黒音の物言いに、天梨はどこか呆けたような眼差しを浮かべる。
だがすぐに微笑みに変えて俺と比較した感想を述べた。
まぁ天梨がそう言うのも無理はない。
だって、俺の顔立ちは良くて中の上くらい……余裕で美少女に分類される黒音と血の繋がりを疑われるのはよくあることだ。
「あ、すみません……」
「むしろ俺に似なくてよかったって思えるくらい自慢の妹だから、天梨がそう思うのも仕方ないさ」
最早慣れたものなので特に気にしていないのだが、天梨は思わず口に出してしまったことで申し訳ないという表情になっている。
遠回しに気にするなとフォローすれば、しっかりと受け取った彼女は安堵したように表情を崩した。
さて、そろそろ例のモノを渡すとしよう。
「あまなちゃん」
「う? あ、そうだった!」
「天那?」
呼び掛けたことで自分のしたいことを思い出したあまなちゃんが、背中のリュックに手を突っ込んで何かを探り出したことに、天梨は疑問を向ける面持ちになる。
やがて目当てのモノを探り当てたようで、改めてあまなちゃんは母親と目を合わせた。
「──ママ、いつもありがとー! あまなね、ママのことだいすきだよ!」
「ぁ……」
太陽かと見間違う程に輝かしい笑みを浮かべながら、午前中に作ったクッキーを詰めた袋を手渡す。
そのサプライズに、天梨は目を丸くして受け取った包みとあまなちゃんや俺達へ交互に視線を向ける。
「これは……?」
「あまなちゃんから天梨さんに日頃のお礼がしたいってことで、クッキーを手作りしたんです」
「手作り? 天那が、ですか……?」
「アタシが責任を持って監督指導したんで、怪我とかはしていないから安心して下さい」
「え、えぇ……」
よほど衝撃が大きいのか、黒音が語った経緯も上の空で聞いていた。
「で、では、頂きます……」
やがて彼女が包みを開けて中のクッキーを一つ頬張る。
サクサクと咀嚼しながら味わう様子を、俺達は固唾を飲んで感想を待つ。
程なくしてクッキーを食べ終えた天梨は、自分の娘と目線を合わせるべく屈み……。
──そのまま抱擁を交わした。
「……ママ?」
「──とっても……美味しいですよ、天那……」
戸惑いを隠せないあまなちゃんに、天梨は素直な称賛を送る。
ただ伝えただけじゃない、彼女はよほど感動したのか涙を流していた。
そんな反応をするとは思ってもいなかった俺も黒音も、言葉にならない温かさを感じて黙り込む程、その涙はとても綺麗で目が離せない。
「3日間、離れていただけなのに……なんだか別人みたいに、大きくなりましたね」
「? あまな、まだこどもだよ?」
「ええ……でも、少しだけ大人になってますよ」
「ママ、なかないで? あまな、ママにうれしいっていってほしくて、クッキーつくったんだよ?」
天梨が涙を流す理由がイマイチ理解出来ず、あまなちゃんはどこまでも純粋な疑問を口にした。
自分の涙は悲しいから出ていると勘違いさせたことを察した天梨は、抱擁を解いて小さな肩に手を置いて泣きながら微笑を向けて答える。
「私が泣いてるのは、こうしてクッキーを作ってくれたことが、天那の成長がとても嬉しくて幸せで堪らないからですよ……」
「ほんと? ママ、うれしくてないてるの?」
「はい……美味しいお菓子を作れる天那を自慢したいくらい、大好きだという涙です」
「! えへへ、あまなもママがだいすきー!」
クッキーを美味しいと喜んでくれたと知ったあまなちゃんは、満面の笑みを浮かべて再び天梨と抱き合った。
一連のやり取りをそっと眺めていたが、ちょっとでも油断したらもらい泣きしそうだ。
黒音なんて、完全に泣いてるしな。
ともあれ、あまなちゃんの初めてのお菓子作りは、天梨が我が子の成長を確かに感じ取って涙を流すという、心温まる幕引きとなったのだった……。
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