和と茉央
俺が堺茉央という人間を認識し始めた切っ掛けは、ウミネコ運送に就職して半年が経った頃だ。
その頃には同僚兼良き友人となってつるんでいた三弥から、ある話を切り出された。
「なぁなぁ和。法人営業課にさ、すっげぇ可愛い子がいるって知ってた?」
「知らん。それより今は本試験の勉強の方が大事だ」
この頃の俺と三弥はまだ運転免許を持っていなくて、入社してから会社の補助を受けつつ免許取得に向けて、仕事の休憩時間を使って勉強の真っ最中だった。
出される問題は基本的に二択だから最悪運任せでいけないこともないが、問題文をよく読まないと簡単にひっかけ問題で躓いてしまう。
それを一つでも回避するべく、必死こいて交通ルールやマナーを覚えているのだが……。
「えぇ~? ちょっとくらい息抜きに付き合ってくれたっていいじぇねえかよぉ~」
「うっせ。そんな調子だからまだ卒業試験を通れてないんだろうが」
「ぐっ……」
そう、免許センターで本試験を受ける準備を進めている俺と違い、三弥は未だ教習所の卒業試験を突破出来ていないでいた。
そんな状況で呑気なもんだから、つい出た俺の指摘に本人も自覚はあるようで、きまずそうに小さく呻いた後には渋々ながらペンを走らせる。
「……」
「……」
「その子さ、まさにクールビューティーって感じらしいぜ」
「おい」
しばらく無言の静寂が周囲を包んでいると、すぐに集中力が尽きた三弥から再び話しかけられた。
いくらなんでも早過ぎる限界にツッコミを入れるが、まるで聞こえなかったかのように続きを話す。
「教育係だった先輩が告ったらしいんだけど、あえなく玉砕。で、その時になんと彼氏がいないことが判明した」
「ふ~ん」
何やら期待する素振りを見せる三弥とは対照的に、俺は酷く冷めた気持ちのまま返す。
正直、就職してから覚えることだらけで手一杯な現状故に、そこまで他人の恋愛沙汰に関心が持てない。
お前ら暇なのかってくらいに呆れるばかりだ。
まぁ、その他人からすれば俺の方が暇そうに見えるかもしれないが。
何分、恋愛ごとに関われた試しがないもんで、その楽しさがイマイチ分からないってのが理由だけども。
そんな俺に構わず三弥はさらにご高説を続けたが、休憩時間も終わりに近付いて来たということもあって、俺達は勉強を切り上げて持ち場に戻ろうと歩く。
「っと?」
「きゃっ!?」
が、廊下の曲がり角に差し掛かった瞬間、俺とぶつかった人が倒れてしまった。
一瞬だけ聞き取れた悲鳴の高さからして相手は女性だと分かったが、唐突だったし咄嗟に抱き留められるほど、俺の身体能力はお世辞にも高くない。
尻餅をついてしまった相手は、腕に抱えていたであろう書類を辺りにばら撒いていた。
なんか見覚えのある状況だなぁ、なんて何処か他人事のような考えを浮かべつつも、落ちた書類を拾う。
色々個人情報もあるだろうが、そこは未来の宅配員として守秘義務を貫く所存だ。
とか内心言い訳を述べながら拾い終えた書類を女性へと手渡す。
「ん。ちゃんと前見てなくて悪かったな」
「いえ──」
謝罪の意を伝えたが相手も特に怒ってなかったようで、悔恨を残すことなくはいさようなら──。
「あーっ!」
──とはならなかった。
後ろにいた三弥が女性を見た途端、突然大声で叫び出したせいだ。
なんなんだと思って顔を後ろに向けて睨むと、何故だかアイツは嬉しそうな表情をしていた。
「この子だよ和! ほら、さっき言った法人営業課の可愛い子!」
「はぁ?」
噂をすればなんとやらってか?
そんな偶然があるもんかと、改めて女性の方を見やる。
──目を奪われるという言葉を、俺はこの時は身をもって体感した。
赤茶のボブカットは照明の光を受けて光沢が出来る程手入れがされていて、眼鏡の奥に見える凛とした瞳は確かに綺麗だ。
なるほど、クールビューティーって言葉を体現したような人だなんて感想を懐く。
これが俺と堺の初めての出会いの時だった。
~~~~~
それから堺から下の名前を間違って覚えられていたとか、例の付き合ってるなんて噂が立ったりしたが、俺なりに彼女のことを知って来たつもりでいた。
けれど、まさか気になる人がいるとはなぁ……。
「ついに堺さんにも春が……」
「ちょっと。その言い方はおじさん臭い上に腹立たしいわよ」
「おぉう、すまんすまん」
なんか変な空気になりそうな気がしたから、少し悪ふざけをして緩和させようとしたら怒らせてしまった。
うん、確かにさっきのはダメだ。
堺から向けられるジト目を受けて、そう反省する。
「でもホントにびっくりしたぞ? きっと堺狙いの奴が知ったら大騒ぎだろうな」
「もう、やめてよ。こっちからすれば仕事以上の関わりのない相手からの告白なんて、迷惑なだけなのに……」
「なんて言いながらも毎回律儀に返事をするところが堺らしいよな」
「だって、変な断り方をしたら社員同士の連携に支障が出るじゃない」
「それもそうだ」
恋愛沙汰による痴情の縺れで一番恐ろしいところだ。
俺と違って美人な堺だからこそ、辟易とした実感の篭った言葉だと思える。
まぁそれはともかく、俺が一番気になっているのが……。
「で、それが誰かは──」
「教えないわよ」
「ですよねー……」
肝心の相手に関しては、にべもなく断られたことで知る事は出来ないようだった。
何も言いふらす真似をしようだなんて企んでいたわけじゃないが、好きな人を隠しておきたいという照れ隠しが理由だろう。
その気持ちが分からなくもないだけに、何も言えなくなる。
「カズ君には……なおさら言えないもの……」
「え? なんで俺だとダメなんだ?」
小さく呟かれた言葉の真意を尋ねると、堺はハッとしてから何故か顔を赤らめる。
「ぁ、っ、な、なんででもよ! とにかくこの話はこれでお終い!!」
「あ。はい」
その怒気に押されて、俺はそれ以上追及するなと言いつけられた。
俺が相手だとダメなんて……釈然としないが、あまり踏み込んで嫌われるのは避けたい。
なので、言われた通りにこの話題はここまでにしておこう。
そうして会食を終えてからも結婚式は滞りなく進み、最後のブーケトスでも大いに盛り上がりを見せたりして、堺と過ごす一日を終えるのだった。
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