5-2

 話がある、と家の中に上がり込むと、消毒液の独特のにおいが漂ってきた。何故だかわからないが、カーテンを閉め切っていて、家の中が暗かったのはこのせいだということも分かった。薬類や実験器具がきちんと並べられてあり、どうやら俺たちが来る前にも実験をしていたような跡もある。



「すまんのう。今はちょっと部屋を明るくすることができぬのでな」


「何の実験をされてるんですか?」


「シャルクデン洞窟の奥深くにあった、新種の草の性質を調べておる。こいつは光に弱くて、これ以上の光に当てればたちまち腐ってしもうてな……これだけやらせとくれ」



 エミーがいじり始めたのは、顕微鏡によく似た器具だった。恐らく用途は同じだが、暗視の為なのか、反射鏡が取り除かれていて、レンズ筒のあたりがなんだかごつごつしている。ステージ部分は、更に小さくて濃いカーテンに覆われていた。「草」のストックは、近くにおいてあった花瓶に生けられている。線の細い、いかにも普通の草だったが、よく見ると若干光っているのが分かった。

 シャルクデン洞窟は、その名の通りシャルクドの近くにある洞窟だ。比較的魔物が湧きやすい反面、薬の材料がそろうため、しばしばエミーを始めとした医者や魔導士が、「騎士」に採集依頼を出すという。王国に仕える騎士じゃなくて、民に仕える「ヴァンクール」と呼ばれる騎士団だ。システム的には、ダラムクスの冒険者と大体同じようだった。



「うん……もう大丈夫じゃ」



 そう言って、慣れた手つきで片付け始めた。喋り方とは裏腹に、とても几帳面な位置に器具は戻され、まるで整列をしているようだった。

 カーテンが開けられると、途端に眩しく感じた。小奇麗な部屋で、よく手入れが行き届いている。古い設備ではあったが、やはり著名である所以は垣間見えた。



「んで、お前さん方が聞きたいこととはなんじゃ?」



 お茶を入れながら、しわがれた声でそう聞かれた。俺たちはイスに腰を下ろし、横から光で照らされている老婆の顔を見た。優しい顔をしている。



「ありがとうございます……えぇと、いろいろあります。まずはこれを――」


「んお、これはこれは、懐かしいもんを持っとるのう、お主」



 色褪せて、赤色だったのが褐色になってしまった皮のカバーの本。それだけで何の本かわかるくらいには、この本に思い入れがあるようだった。



「この本は、シューテル大陸の、今はもう廃墟となった吸血鬼の屋敷から入手しました。言語を分析して、ここの情報をもらい、はるばるここへやってきたという訳です」


「……ほう」



 彼女はパラパラと本をめくり始めた。読めるような言語ではなかっただろうが、懐かしそうに目を細めている。



「そして、何故ここに来たのかといえば……『帰るため』です」


「帰るため?」


「ええ。実は、私は『転生者』で――――」


「……!!」



 突然本を読むのをやめて、こちらに驚愕と疑問の視線が向けられた。まぁ、別の世界から来たと言ってありうる反応としては、無関心に受け流すか、こうやって驚かれるかの二択だ。子供の戯言として認識されないだけ、まだマシなのだろう。



「それって、お前さん……」


「『幻魔』ではありません。もっと正確には、幻魔の逃亡者でもなく、仕組みはよくわかりませんが『転生』させられた人間です」


「そっちの妹さんは?」


「ルルは違います。こちらの世界で生まれた人間です」


「……そうかい。じゃ、妹じゃなくてガールフレンドかのう?」


「いいえ、保護者です」


「ほ、保護者? ま、そこんところはどうでもいいのう。問題は、お主が元の世界とやらに帰ることができるかどうか……じゃな?」


「はい」


「うぅん……まぁ、単刀直入に言えば『できん』」


「……!」



 あっさりと、俺が今まで求めてきた疑問が切り捨てられてしまった。こうも簡単に断言されるとは思わなかったから、なんだか拍子抜けだ。だが、「帰ることができない」という現実は、どこか俺の中で重くのしかかる。



「……それは何故でしょうか?」


「色々あるぞ。まず第一に、お前さんのその体、ホンモノではないじゃろう?」


「!?」


「体と精神年齢があっとらん。さっきガールフレンドの冗談を吹っ掛けたが、それに対しての反応が冷たすぎる。お前さんくらいの年の男ならば、顔が紅潮したり言葉が詰まったり、そういう初々しいリアクションの一つや二つは見られるはずじゃ。それが無かったということは、お前さんは本気で『保護者』だと思っているということ」


「そ、それはあまりにもこじつけが過ぎるのでは?」


「いいや。転生魔法の原理は一から百まで完璧に知っとるわけではないがのう、一つだけ確信を持っていることがある。『体はこちらで作られる』、とな。こちらへ逃げてきた幻魔の人間もおってな、昔は何人か診察をしたことがあったがの、体の仕組みがちょっと違うから困った思い出があるんじゃ。話をよく聞いて見れば、皆が皆『緑色の魔法陣』の上におったと言う。あれは生命と土の魔法を組み合わせたときの色。移動させるだけならば、陣の色は変わらん」


「私は幻魔の徒ではありませんし、目覚めた場所には魔法陣も何もありませんでした」


「……『黄色』の魔法は?」


「黄色の……魔法? ……あ」



 ディアケイレスが封印されていた、結界の色。



「心当たりがあるようじゃな? 『生成』を、第三類魔法学に当てはめて必要原理だけを抽出すると、そんな色をするようになるんじゃ」


「しかし、あれは龍が封印されていた結界の色で……」


「ふむ。では、恐らく組み込んだのじゃろうな。術者が。なるほどなるほど、今の会話でだいぶ見えてきたぞい。お前さんが言っておる龍とは『混沌邪神龍』じゃな? そしてそいつを封印して、お前さんを転生させたのが『大賢者』……ほぉ、歴史の有名人じゃのう」


「!??」


「黄色く光る『生成』の魔法陣を作り出してしまうミスのあった、第三類魔法学はかなり前のもの……今あるものの、『元祖』の理論じゃ。そんなもんを扱えるのは大賢者しかいなかろう。驚いておるのか? まぁ、ワシは興味本位で古代文明を調べとるだけだからの。はっはっは」



 こうも簡単に、素性を推理されてしまった。ホルガ―と似た何かを感じる。流石、歴史に名を残している研究者だけある。頭の回転の速さは、老いてもなお衰えてはいないようだ。



「ショックだったかの?」


「いえ。話の核はそこではありません。本題はここからです。この――」


「ストップ」


「へ?」



 彼女は唐突に手を前に差し出し、俺の話を遮る。



「ストップと言うておるのじゃ」


「……な、なんですか?」


「まさかお前さん、タダで情報をもらおうとしておるのか?」


「お金ですか? まぁ、言い値で払いますが……」


「あーいやいや違うんじゃ。そんながめついことはせん。ちょっと最近研究に浸りっぱなしで、『遊び』が足りんところだったんじゃ。どうだ、お主。『チェス』をしないか?」


「チェス……」


「お、やっぱり知っておるのか!」


「ええ、まぁ、ルールくらいは」


「やっぱり、転生者から聞いて、作っといて正解じゃったな。一戦交えた後で、話したいことは何でも話してやるわい」


「……」



 突然申し込まれたチェスの対戦。話を聞いてもらっている立場にいる以上、彼女がそうしたいというならば、下手に断れない。

 ……どう逆立ちしても、この婆さんに勝てる気がしない。

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