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ルルンタースは、泣くことはなかったし、しばらくすればまたいつもの様子に戻った。本当に分からない奴だ。俺にも同じ能力があれば、何かアドバイスをしてやれるのかもしれなかったが、生憎そんな能力は持っていないし、持ちたくもない。
ただ、強くて優しいということは確かなのだろう。今、彼女は蟻の行列を眺めているが、それを踏みつぶして遊ぶなんてことはない。彼らに読み取れるほどの意識はないようだが、彼女なりに尊厳を分かっている。人間の邪心を知っても、逃げることはなかったのだし。
「ルル。そろそろ満足したか?」
「……」
ルルは首を横に振った。
参ったな。もう二時間くらいここに居るのだけど。
俺たちは、途中で馬車を降りて昼食をとった。ここは、その近くの空き地だ。誰かが良く遊んでいる跡はあったが、今の時間は誰もいないようだ。静かな昼下がりだった。
蟻。ちゃんと頭胸腹六本足の昆虫だが、よく見ると少しだけ違う。赤黒い外骨格と、小さな角が生えているところ。いや、そもそも俺が知っている蟻の種類が少ないから、これが「元の世界に存在しない」とは言い切れないのだけれども、それでもやはり少しだけ進化の違いはあるはずだ。
世界は分岐している、と考えるのが妥当なのだろうか? 大体の世界のつくりは似ているのだから、ある地点までは「同じ空間」であって、どこかの地点で、魔力の「ある世界」「ない世界」で分かれた……そう考えるのが、直観に反さない。いや、この世界と元の世界の違いを魔力だけに限定してしまうのは違うか。
……。
…………。
「ルル、もういいか?」
「……」
ルルはまた首を横に振った。
☆
シャルクド。
ここに着いた時にはもう暗かった。今日の内に病院に訪問しようと思ったのだが、ルルンタースが思ったよりも「自然」に興味を持ってしまった。まぁ、悪いことではない。ただ、時間が無いという状況は、彼女の知的好奇心を挫いてしまう可能性もある……難しいな。
まぁいい。とりあえず宿を見つけたから、さっさと暖まろう。
そう思って、古びた宿の扉を開けた時だった。
「――――何故ですか!? ワタクシはジルベルト・リーベ・プレイアデスですわ! 王女の名において、この宿を貸しなさい!!」
「いやいやいやお客さん、そう申されましてもねぇ……再三申し上げている通り、私見たことあるんですよ、ジルベルト姫。あの御方は、もっとこう、上品なお召し物をされて、顔に傷も無くて、気高く振舞っていらしたんですよ? そもそもあんた男じゃないですか?」
「ワタクシはれっきとした女性ですわ!!」
「えぇ……まぁどっちでもいいですけど。あんまり騒ぎ立てると警備兵呼びますよ?」
「……そっ、それは卑怯ですわ!」
「何でですか? 姫様なら騎士など呼ばれてもへっちゃらでしょう?」
「く……今はとある理由で、兵士たちとは顔を合わせられません」
「へ? お客さん泥棒でもしたんですか?」
「してませんわ!」
男子のような女が、宿主に対して騒いでいた。ジルベルト……姫と言ったか? 姫と名乗る精神異常者か、あの宿主の言うように詐欺をしているだけなのか。どちらにせよ、あれは迷惑だな。
そう思った矢先、ルルがキスをしてきた。突然の出来事に驚いたが、初めと比べれば随分慣れた気がする。それはそうとして、俺の中に流れてきた記憶は、「確かに彼女がジルベルト姫である」というものだった。王宮の中の記憶……そして何よりも色濃くあったのが、アーフィが処刑されたときの光景だった。
「……!」
俺は思わず顔が引きつった。当たり前だ。幼年の男子の首が、切り離されていた光景なのだから。残虐非道な王と揶揄されるだけのことはある。これをたくさんの民に見せたという事実も重なって、尚更狂気を感じた。
一国の姫がここにいる。とても考え難い光景なのだろうが、呆気にとられて逆に驚きが無い。
とりあえずここは場を治めるのが先だろう。
「すみません。三人分、宿をお願いできますか?」
「え、三人分? もう一人いるのかい?」
「ちょっと!? 貴方は何者なのですか!? 名を名乗りなさい!!」
「はい、三人分。そこの、ジルベルトという方も一緒に」
「ははぁ、いいですけれど」
「……へ?」
ジルベルトはきょとんとした表情で俺を見つめた。場は少しだけ硬直した後で、いつものように真っ白なルルに好奇の目が向けられる。
「あの、空いている部屋が一室で、ベッド二つ分しかないんですけど、それでもよろしいですか?」
「はい。お願いします」
「で、では、お金は二人分で……」
男は小さくため息をついた。
☆
「改めてお礼を申し上げますわ、モトユキ、ルルンタース。ワタクシはジルベルト・リーベ・プレイアデス、ご存知の通り、アンラサルの第一王女ですわ。今はこうして品のない恰好をしていますが、これは必要なこと故、お許しください」
「どうも」
全然知らねぇけど、背筋の良さや発音の良さを考えると、やはり育ちは良いようだ。
ルルンタースが見せてくれた記憶通り、髪の毛は雑にバッサリ切られていて、顔には一文字の傷がある。体のラインがすっぽり隠れるローブだから、男子に間違えられるのも無理はない。そのローブは、所々が煤けていた。それから気になるのは、顔色が悪いのと、目の下に隈があることだ。弟を失ったショックと、何も準備をせずに王城を出てしまったストレスが重なっているのかもしれない。
王女であることをここで明らかにしたのは、やはりこの近くで革命の動きがあることを知っていたからであったが……誰も信じてくれなかったようだ。なんというか、猪突猛進な人なのかもしれない。
――――倒れた。
急に、糸が切れたように倒れこんだものだから、俺は慌てて念力で支えた。
「……ルル、もう一回キスしてくれ」
記憶をもう一度反芻すると、この子は、一週間ほど碌に寝ることも食うこともせずにここにたどり着いたらしいということが分かった。だから、思考のまとまりが無かったし、情緒的にもおかしかったのだろう。そういう辛い状況が記憶の奥に押し込められていて、「革命」を起こすことを一心に動いていたのは、彼女が正義の塊であることの何よりの証拠だ。
……ただ、何故、捜索がされていないのだろう。
姫の失踪など、国の一大事のはずなのに、これまで一切耳に入ってこなかった……イサーク王がそれほど「重要視」していないというのが答えか? ただの「家出」であると解釈して揉み消した方が、捜索を依頼するよりもずっと楽に動ける。事実、彼女が持っている武器といえば、ナイフだけで、腕のある騎士を連れて居たり、とても価値のある宝石を持っているわけでもない。王女の権限が行使できない以上、彼女はただの女の子なのだ。
可哀想に。十七歳の子供に、ここまで辛い現実を突きつけるのか。
体が異常に軽い。ローブに隠れて分からなかったが、やせ細っている。宿主に頼んで、粥でも作ってもらうか。
今後の計画は、そのあとで練り直そう。
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