2-1 「再会」
「ディアさん、もしかして発情期ですか?」
「あ゛?」
「いや、あの、ごめんなさい」
爬虫類は基本的に、気温が低くなると生殖活動を開始する。所謂発情期であり、ドラゴンであるディアもまた然りだとビルギットは判断したのだが……これが良くなかった。
苛立ちを剝き出しにする「混沌邪神龍」は、魔力を隠しているとはいえ、今にも人を殺さんばかりの表情をしている。嗚呼これが「恐怖」なのかとビルギットは学習したが、しかしこれは学習したくなかった。
南西の街、「ユーガ」への旅路。モトユキたちと別れてから二日後。
晩秋の寒さと乾いた空気は、二人とも初めて味わうものだった。だが、それに詩人のように感性を利かせることはない。ただただ真っ直ぐ目的地を急ぐ。
二人とも、本気を出せば一瞬で辿り着けてしまう距離なのだが、モトユキの言いつけ通り、しっかりと交通機関を利用して進んでいく。今は、馬車から降り、ディアの腹を満たし、今晩の宿を探そうとしている最中だった。
ユーガに、「ヴァンクール」と呼ばれる騎士団があり、「幻魔教」を独自で調査しているらしい。これを聞き出すのが今回の目的だ。
ビルギットは、様々な進化を遂げていた。
まず、「嫌悪」。初めは何とも思っていなかったのだが、ディアから理不尽にぶつけられる怒りに、「これは面倒な役をもらったなぁ」と人間なら誰しも抱くであろう感情を獲得した。
次に、「愉楽」。世界を冒険する――些か目的が違えど――その楽しさを知った。色んな人間がいて、色んな感情があって、概念がある。それを知ることに、喜びを。
そして、「意地」。何度も何度も謝ることに、少しだけ「違和感」を覚えた。愉楽と嫌悪が混じり合ったような感情……つまり、ディアに「意地悪」をしたくなったのだ。もしかしたら、ぶっ壊されるかもしれなかったが。
「モトユキさんと行動できなかったのがそんなに嫌だったんですか?」
「チッ……違う」
「舌打ちしてるじゃないですか」
「耳に虫が入ってるんじゃないか?」
「マイクチェック……正常です。先ほどの音声は、舌打ちで間違いないかと」
「……うるさいな。鉄塊のくせに」
「ディアさんは蛋白質です。材質が違うだけです。加えて、私はタンパク質を利用した皮膚を用いられて……」
「分からないんだよ、吾輩でも、なんでこんなに苛立っているのか。これでいいだろ。もう黙れ」
「じゃあやはり発情期ですか?」
「……」
ディアは腹が立っていたが、ニヤニヤ話しかけてくるビルギットを見ているとそういう気分も失せた。怒りを通り越して呆れが出てきたのだ。
「というか、寒くないんですか? 今現在の温度は5
ディアは、至って軽装だった。一見年齢に合わないような薄紫色のカシュクールワンピースと、動きやすさだけを重視したブーツ。それだけ。
ビルギットには服のセンスとやらが分からないから、これが変なのかどうかは分からないが……しかし気温に適していないということだけは、はっきりわかる。
「吾輩は一応恒温動物だ。寒けりゃちゃんと寒いから安心しろ」
「新しい発見です。爬虫類でも体温を一定に保つ種が居たとは……いえ、この場合は『哺乳類』と置くのが正しいかもしれません。現に、今のディアさんは人間的特徴の方が顕著ですから」
「……お前はどうなんだよ? 寒くないのか?」
「私は鉄塊なので、寒い方が電気伝導が良くなって、動きやすくなるんです。あんまり寒いとダメですが」
「……あっそ」
「な、なんで聞いたんですか……? そんなに無下に扱われると、少し悲しいです……ハッ、『悲しい』、なるほどなるほど、これも新しい発見です」
人間的でもあり機械的でもある、彼女がはしゃぐ仕草に、ディアは不思議な感覚を覚えた。それは確かに、「気持ち悪い」というものだったが、もっとこう、「冷たい何か」が欠けていた。そして同時に、湧き上がってくる「温かい何か」。
ディアは、くしゃくしゃと紫色の髪を掻いて、低く呟いた。
「気持ち悪い奴だな」
再び、彼女らの間には沈黙が訪れた。
治安が悪い。
初めにそのことを察したのは、ビルギットだった。
建物は修繕が追い付かず、ヒビだらけ。人々の顔はどこか疲れきっていて、そして衣服が粗末だ。何よりも、人が死んだような、腐った肉と血の異臭。
「へいへい姉ちゃん。ちょっと楽に稼げる仕事があるんだけど、どう?」
「お嬢ちゃんも、できる仕事だよー!」
ふらりと現れたのは、明らかに売春を目的とした勧誘者だった。二人とも絵に描いたような柄の悪さで、舐めまわすように二人を見つめている。
ディアはガン無視を決め込んで、前へ進んで行こうとした。男二人は何やら機嫌がよさそうに彼女らを引き留める。それもそのはず、かなりの上玉だからだ。それに、質素な服装を好む彼女が、どこかのお偉いさんの娘に見えなかったのも原因だろう。
つまりは、「カモ」だった。
「いいですけど、私、こんなですよ?」
――――ビルギットの首がぐるりと回転した。
一瞬だけ、彼らの時間が止まった。現実に起こった出来事を認識できずに、ただ目を見開いていることしかできなかった。
しばし沈黙の後、やっと理解できた彼らは、化け物から逃げるように消えていった。その光景はとても滑稽なものであったが、しかし笑う者は誰一人としていなかった。
「あれ、私もしかしてスベりました?」
「あまり目立つような行動をするな。何のために時間をかけていると思っている」
「……ディアさんを笑わせるのは、まだかなり先になりそうですね」
日が落ちて、空が赤くなる。
右頬をぶつような斜陽を感じながら、二人が歩いていく。
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