16-2

 大都会でもなければ、クソ田舎でもない。子供たちの遊ぶ場所もあれば、一人きりになれる場所もある良いところだ。ここが何県のどこなのかは、調べることができなかったが。

 ミヤビの知らないところは、白い泡となって消えてしまう。時間も場所も何もかも分からない。人々が話す声は、一見しっかりした言語のようで、どこか崩れている。知らない場所の言語を聞いている気分だ。



 ……そして、ほかのどの場所よりも鮮明になっている「道」を見つけた。その周りも明らかにはっきりと映し出されている。ここはどうやら、「通学路」のようだ。

 辿っていくと、予想通りミヤビが居た。その横には、チエと呼ばれる友達もいる。彼女らは下校中か、登校中のようで、制服を身に着けている。セーラー服だから、中学生時代の記憶のようだ。



「ミヤビ! 今日のテストどうだった?」


「うーん、全然だなぁ」


「またまたぁ、知ってるもん。五教科合わせて四百九十点だって? こりゃ今回一位確定だね」


「あはは、でも、あのガリ勉にはかなわないよ」


「あぁ、逶ク蟾? あいつ将来ハゲるね」


「ふふっ、たしかに」



 ……ん、今、なんて言った?

 ガリ勉君の名前が聞こえなかった。


 四百九十点って、まさか、平均九十八点!?

 中学生のテストとはいえ、そんなスコアを叩き出した奴が何人いただろうか。彼女は俺が思っていたよりも秀才なのか?



「はーあ、どーせ私はあんたたちみたいなバケモンには敵いませんよーだ」


「チエももっと頑張ればいいじゃん」


「だってぇ……数学意味わかんないんだもん」


「公式覚えるだけだよ」


「ほら、そういうこと言う。覚えたところでどう使えばいいのか分かんないの」


「えぇ……そりゃ、ちょっとは文章題からひねり出さないといけないけどさぁ……」


「大体何? 二次関数って。そんなもの覚えたところで何になるの?」


「……私も良く分かんない」


「ハハハッ」



 どうやら普通に話しているだけのようだ。

 しかし、なぜこの会話だけ明確に聞き取れるのかが分からない。つまりは「ミヤビがしっかり覚えている」ということだが、そもそもなぜ、この日のこの光景が?


 ミヤビに声をかけたが、無視された。というよりも、すり抜けた、と言うのが正しいかもしれない。彼女は、彼女ではない。映像だ。これもまた、「光景」の一つだと、俺は気が付く。

 回り込んで顔を見てみると、ミヤビの顔がはっきりとしていない。チエだけがしっかり知覚できる。彼女の記憶の中で、より色濃く残っているのはチエという人物らしい。





 ――――瞬間、激痛が走る。





 背中が焼け爛れている感覚。しかしそれは「熱さ」ではなく、「痛み」。

 腰に伝るぬるい血の感覚。それを感じながら、俺はなすすべもなく地に伏す。



「っ……あ? な、なんだ?」



 振り返った先にいたのは……「ミヤビ」だった。

 前の紅い月の際に見た、仮面をつけ、青いフードを深くかぶった彼女。俺の背中に突き立てられたのは、彼女のナイフだ。俺の血がその先から滴っている。



「く、クソッ……」



 念力を使おうとするが、効果が無い。鈍く、どこまでも鈍く、力が動いてくれない。激痛で考えられないのと同時に、「意識の世界」という壁が俺の念力を阻む。

 目は霞み、耳は遠く……なのに感覚だけは、どこまでも痛みを体に響かせる。


 刺された。

 ナイフが腹に入る気持ち悪さと冷たさ、それから痛みと言う熱が、体中を駆け巡る。「意識の世界」の癖に、その感覚はどこまでも現実に忠実で、頭の中に「死」という文字が浮き出る。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 何度も。



 やがて意識は遠のき、痛みもほとんどなくなる。

 何も考えられない中で、俺はその意識を手放した。





 ――――かに思えた。

 意識は覚醒し、まるで朝起きた感覚が身体を襲う。悪夢を見た時の胸糞の悪さ。



「はぁ、はぁ、はぁ……あれ?」



 見回すと、そこは異形な空間だった。

 家、家だ。日本の、それも結構小洒落た。それが、なった空間。窓も壁も天井も家具も、置き方が出鱈目。太陽の光が差し込み、照明もしっかりついているのに、まるで真夜中のように真っ暗で、どんよりしている。空間のところどころがひび割れ、その奥には亜空間が広がっている。



「――――なんだ? この点数は?」



 怒鳴り声にも似た、ドスの利いた低い声。四方八方から聞こえてきて、見れば「誰か」がソファーに腰かけ、テスト用紙をまじまじと眺めている。それが、何人も。服装は違えど、恐らく同一人物。男の顔は、塗りつぶされたように真っ黒で、恐らく故意的に忘れようとしている、もしくは深い怨念を抱いているのだろう。

 それから、それぞれの男の前にいるのは、「ミヤビ」だった。背丈がバラバラだったが、しかしどの彼女も、背中を丸め、頭を下げ、気味悪い色の地面を見つめている。



「ったく、二点も落としやがって……定期だぞ? て、い、き! これで百点取れなきゃ、馬鹿も馬鹿すぎる」


「はーあ、誰に似たのかしら?」



 今度は女も現れた。男と同じく、顔は黒塗り。

 嘲る声が、幾重にもなって聞こえる。


 何度「馬鹿」と言われたか。

 何度「阿保」と言われたか。

 何度「死ね」と言われたか。



 ……頭がこんがらがってきた。

 なるほど、ミヤビの両親は相当な学歴コンプレックスだったようだ。それで、ミヤビは莫大な勉強を強いられている。散らばるテスト用紙の点数を見れば、全て九十点台。にもかかわらず、そのすべてがぐしゃぐしゃにされて、踏みつけられた跡も残っている。

 じゃあ、俺を殺した「ミヤビ」はなんだ? 記憶の線路を辿っているというのに、なぜ彼女が現れた? そしてなぜ俺を殺した? 殺されたのに何で俺はここにいる?


 ともかく、今ここにいるミヤビはミヤビではない。どこかに本体がいるはずだ。





 ――――ぞくり。



 全身に鳥肌が立つ感覚がした。

 背中に突き刺さる「殺意」を感じ取れる日が来るとは思わなかった。



 ……またかよ、クソッ。



 そう、彼女だ。

 もう一度、ナイフを持って俺の後ろに立っている。


 気が付けば、逃げだしていた。

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