10-5

 しとしと、雨が降り始めた。


 森を駆けるルベルは、心身ともに限界を迎えている。何度も何度もガスに心を壊され、そのせいで碌に食事もとれなかったからだ。そんな状況の中で、風の魔法を酷使するのだから、なおさら危険な状態にある。いつ意識が途切れてもおかしくない。



 ……なんで、笑ってしまったんだろう。



 脳みその回転は、酸素の大部分を運動に充てているから遅い。だが、そんな脳の中ではっきりと繰り返されるのは、さっきの自分の行いについての問い。つまり――――「ガスが殺されたときに笑ってしまった」こと。理由は明白。「ガスが嫌いだったから」だ。



 ……嫌いなら、笑っていいの……?



 人の死を笑う。そんな、非人道的な行いを、「無意識の自分」がしてしまったことに、深い絶望を覚える。



 ……そんなわけない。



 ――――そう、そんなわけない。「人の死を笑う」ということは、つまるところ、「幻魔と同じことをしている」ということ。極悪非道の彼らの考えと、自分の奥底に眠る考えが、全く同じと言うこと。

 ……否、ではない。至って浅瀬にそれは存在した。


 ルベルは分かっていた。自分がガスが嫌いだと。死んでしまえばいいと思っていた。本当はみんな嫌いだった。酷いことをされている自分に気づいてくれない、馬鹿な人たちだと思っていた。だから努力を嫌った。いつかこれが明るみに出て、みんなに「悲劇のヒロイン」として扱われることを、どこかで望んでいた。だから、「自分を責めた」。「自分は悪くなかった」と言い訳をするために。


 本当は死にたくない。生きたい。生きたいけど、死にたい。思考の糸がぐちゃぐちゃになって、自分という人形が、壊れてしまう。





「――――アタシは、最低な奴だ」





 でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。でも、そう思うのもまた保身で、誰かに慰められることを望んでいる。でも、そんなことを想ってしまう自分が最低なのは本当。


 最低だ。

 最低だ。

 最低だ。

 最低だ。

 最低だ……!



 無限の負の階段。何段降りても辿り着くことは無い。どうあがいても、どうあがいても、暗闇から抜け出すことはできない。光は無い。



「……誰か」



 誰か。



「たすけて」



 たすけて。



 雨の勢いが途端に強くなった。ただでさえ整備されていない道が、明確にぬかるみ始める。それから、ルベルから体温を、体力を奪っていく。


 転んだ。

 泥だらけ。


 先を見た。

 永遠と続いている森。


 何をしているんだろう?

 本当にいるのかな?

 もう、諦めようかな?


 また、転んだ。

 もっと、泥だらけ。



 あぁ。



「――――諦めちゃ、駄目なんだ……!」



 が、どうしようもない自分にくれた、チャンスだから。

 死にぞこないの、汚い自分に。最低な自分に。嫌いな自分に。……すべてを、懸けてくれたから。


 鉛。

 体が鉛だ。動かない。だけど、動かさないといけない。いや、動かす。動く……! たとえ、皆が死んでしまっていても、彼らモトユキとディアなら……仇を取ってくれるはずだから。



 アタシは最低な奴だ!! 

 だから、あいつらを、ぶっ殺す!!

 だから……動けよ!!!!



「――――『豪風』よ、来たれ……ッ」



 雨が勢いを増し、木々が騒めく。



「その力を以て、『衣』を創り……」



 風が、ルベルの元へ集まり始める。



「みんなを、助けてください……ッ!!!」



 地面に蹲りながら、掠れた声で叫んだ。



 ――「豪風の外套テューポーン・アミクルム

 彼女がその技名を叫ぶことは無かったが、ダラムクスの魔法学上の名がそれであり、金級冒険者でも扱うのが難しい上位の魔法である。移動速度上昇と言ってしまえば簡単だが、「豪風テューポーン」はなかなかに扱いづらく、その威力故に、自分を傷つけてしまう恐れがある。

 彼女がこれを発動したのは初めてだが、成功したのは、彼女自身の魔法センスと、極限状態の集中力と精神力、それから己を鼓舞したからだろう。……言ってしまえば、ただの「開き直り」だが。



 ☆



 二日前。

 モトユキたちは、マイアミルへと旅立った。


 大陸を縦断するのだから、それはかなりの長さの旅になる。子供の足で行くのはあまりにも馬鹿げていると、モトユキ自身も感じていたが、しかし実際旅をしていると、それなりに楽しいものだった。彼が、心を許した仲間なら、何も喋らなくても気まずさを感じることは無いタイプだったのもあるだろう。


 一方、ディアは何を話せばいいのかが分からず、なんとなく「気まずい」という感情を理解し始めていた。モトユキが一番に知りたがっている、「自分の過去」は、とある理由で話せない。だから、何か別の話題を用意しようと試みるが、いかんせん二千年も碌に話をしたことが無いのだから、「らしい」話が何もできなかった。


 だから、どうでもいい話を振ってしまうのだ。



「……植物って、ちゃんと、一つ一つ生きてるんだな」


「そうだな……子供のころは、何もかも新鮮で、世界がキラキラして見えていたな。ディアは今、それが来ているんだろう。……二千年の間で忘れてしまっていたのか?」


「……分からない。だけど、少しだけ面白い」


「……」



 森の終わり。傾斜が段々と緩くなってきて、木々の密集度も下がってきているところ。彼らは、「当たり前の事」を話しながら、歩いている。話す内容がそれしかない。今までは、モトユキが過去についていろいろ探ってきたが、気を使っているのかそれをしてこない。ディアからしたら、自分の過去が言えないのに、モトユキの過去を探るのはおこがましい。だからこそ、不思議な会話になってしまう。



「モトユキってあんまり笑わないよな」


「ディアもじゃないか」


「……吾輩は、そうだな……もともと、こんな感じだ」


「んじゃ、俺もそんな感じだ」


「……楽しくない、か?」


「いや、別に?」


「……ならいい」


「ディアは?」


「……楽しくなくはない」


「そう」



 あれ? 初対面の時、どうやって話してたっけ?

 ディアはアルトナダンジョンでのことを思い出す。「応急処置」「魔物退治」「膝枕」……特に大きな出来事は無かったのに、それなりに覚えている。お互いが動揺していたから、ちょっと言葉が荒かったことも。



 夜。

 食べ物や飲み水は簡単に手に入るし、火も起こせる。簡易的なベッドもモトユキが調達した。特にこれと言った「苦労」はなかった。



「あんまり力に頼りたくないって言ってなかったか?」


「え、じゃ、夕飯没収ね」


「悪かったから、それはやめて!」


「飯のことになると必死だな、ディア」


「……」


「今は別だ。俺の目的は、ディアと仲良くなることだからな。こうやって火を囲んで座れば、何とかなるんじゃないかって考えているが……飯を一緒に探すのも楽しそうだ。俺ら二人からしたら、お遊びになるけど。でも、そんなこと言ったら、この旅もお遊びだからなぁ」


「……仲良くなりたいのは、過去を知りたいから」


「そうだな」


「……まだ、言えない」


「焦らなくていい。一年後でも、二年後でも。なんなら十年後でもいい」


「百年後は?」


「俺死んでるぞ」


「……」



 妙な空間だった。モトユキもディアも、それを分かっている。これは必要のない事。意味のない事。わざわざ「不便」に足を突っ込んでいる。でも、ディアはどこか心地よかった。



「そうだ、膝枕しろ!」


「……唐突だな、まぁ、良いけど。でも、正座は面倒だから、足はのばしとくからな」



 モトユキの太ももへと頭を置き、天を仰ぐ。なんだか曇っていて、星はところどころにしか見えなかったけれども、気分がいい。モトユキはまた何かを考えこんでいた。きっと、自分の「膝枕」への執着の事だろうと簡単に推測できたが、しかし何も言いださなかったので、自分も何も言わないでおいた。



 こうしていると――――「姉」を思い出すのだ。

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