10-2
レベル1の魔物。紅緋派の間、もとい
学校にいた子供たちを解放し、街に数百もの魔物たちも同時に解放した。
――――そうすると何が起こるか?
足の速く、体力のある年上の子供たちが、年下の子供たちを助けられずに、見殺しにするのだ。レンには、学校の道徳で何を習っているのか分からなかったが、「キレイゴト」ばかり言って粋がっている奴らが、いざ「ワルイコト」をしている姿が、愉快痛快でたまらない。それを見られる瞬間が、刻一刻と近づいている……!
ダラムクスで訓練されていたとしても、意味はない。むしろ、余計にあがいてくれるから、彼にとっては好都合だった。
悲鳴、嗚咽、懺悔、欷泣……。
ダラムクスを包み込むのは、悲痛な子供たちの声。喉を破壊せんばかりの声量で、目の前に迫る絶望を退けようとする。しかし、どうにもならない。どうにもならないその現実が、慈悲も容赦もなく襲い来ている。
それから、怒りと絶望でおかしくなる大人たちの呻き声もあった。二人はギルドの屋根に登って、その声に耳を澄まし、心地よさそうに体を揺らす。
「あ……あの方向に」
レンが少しだけ早く気が付いた。
「間違いない、レセルドですわ。流石ダーリン」
南東。ダラムクスの出口よりも少しそれた場所から、二人は「子供にしては強い魔力」を感じた。あれだけの魔力を持つのは、
「へーぇ、一人だけ逃げようとしてるんだ?」
「あーらら、クソブスらしいわね。ちょっと捕まえてくるわ」
「がんばれー」
……こうして、最悪の、母と子の再開が果たされることになる。
純粋な
「レセルド……?」
必死で、結界を壊そうとするルベルの姿がそこにはあった。仮面をつけていて、なおかつ変な上着を身に着けているが、フードから出るつややかな金髪は、自分のモノと同じだった。
ふぅん、なるほどね。ブスすぎるから、顔を隠してるのね。と、声には出さずに鼻で笑った。
彼女の美しいその声に、ルベルの攻撃は止む。咄嗟にナイフを向けて、明らかにこちらを警戒しているが、どこか不思議そうな感情を読み取ることができた。
彼女は僅かに口元を緩め、唇を舐めた。侮蔑の感情が表に出ていたのだが、ルベルからしたら、優しく微笑んでいるように見えただろう。
「レセルド、やっぱりレセルドなの? お母さんよ、分かる?」
……おかあさん? と、彼女が困惑しているのが手に取るようにわかる。だが、「レセルド」という自分の名前は、忘れていないようだ。
ヴェンデルガルドが、他人の感情を読み取るのが得意なのは、少しだけ理由がある。
もともとエルフは、男尊女卑の考えが人間より強く、女性の立場は非常に弱い。故に、男の顔色を常、伺いながら生きる必要があった。気高いエルフが人間のオスに襲われてしまったのは、奴が「エルフの変装」をしていたからであり、つまりは騙されてしまったのである。人間という下等生物の子を孕んでしまったヴェンデルガルドの居場所は、エルフの里にはなかった。それがあったから、元々あった彼女の「感情を読み取る」能力は、さらに精度を増していくことになる。いかに嫌われないように接するか、いかに殴られないように接するか、いかに目立たないように接するか……自分を守るために。
だから、彼女は「レセルド」が嫌いなのだ。その名の意味は「醜い豚」。
「ほら、お母さんだよ! 久しぶりねぇ!」
あたかも、嬉しそうに。生き別れてしまった子供に出会って、喜んでいる母親のように。全てを愛で包み込む、聖母のように。本当は心の中で毒を吐きまくっているのに、それを一切感じさせない立ち振る舞いは、狂気の賜物だった。
「……ぉ、か……?」
「そうだよ、レセルド。久々に会えてうれしいわ」
泣く。
そういう演技。
「あぁ、ごめんねレセルド。あの時のお母さんは、どうかしてたわ。人間の血が混ざってるからと言って、あなたを酷い目に遭わせて……ねぇ、どうかもう一度、お母さんにチャンスをくれないかしら?」
一度信用させる。希望を見せる。
そうしておいて、一気に突き落とす。
「……」
仮面をつけているが、感情を読み取るのは容易だった。
困惑。そして希望。深い絶望の中にいるのに、小さな光が見えたものだから、それにすがりたくてたまらない。たまらない!
「――――お母さんは、レセルドが、『大好き』よ?」
ハイ、堕ちたー☆
幼少期の記憶は、ふわふわしている。ふわふわしているのに、人生を左右するほど、大きな力を持っている。子供は、たとえ、どうしようもないくらい嫌われていたとしても、「誰かには好かれていた」という事実を、どこかで欲している。それを裏付ける事象に出会った瞬間、その記憶は書き換わるのだ。彼女はそれを、無意識的に学んでいた。
「母は、愛してくれていた」と。
「嫌っていたのは、仕方のない事だった」と。
生みの親を、信じたいという気持ち。愛したいという気持ち。愛されたいという気持ち。どれだけ嫌おうとも、それは、それだけは無くなることは無い。
その気持ちが今、開花する……!
ミヤビは、レセルドの母親にはなれない……!
「ヴェンデルガルドこそが、本当の母親」だ。
そんなわけないのにねー☆
「ほんとに、言ってるの?」
「ほんとよぉ。どれだけ謝っても、取り返しのつかないことをしてしまったと思ってるけど、ね」
「ほんとに、ほんと?」
「本当。大好き」
ほんとほんとうるっせぇなぁ。
「……」
「レセルドは、お母さん嫌い?」
「わかんない。わかんない、けどっ……」
葛藤。
ルベルの中の「信じたい」と言う気持ち。だが、信じたところで、「みんなが死ぬ」ということは、彼女には分かっている。どっちを、取ればいいか、分からない。
正解は、信じないこと。分かっているけど、分からない。自分を犠牲にして、皆を助けなきゃいけないのに、それを選べない。
――――不意に、ヴェンデルガルドは腹部に強烈な痛みを覚えた。
同時に、吹き飛ばされる。木に体を叩きつけられ、だが止まることは無く、その木ごと無理やり飛んでいく。周囲が壊れる音がした。自分自身が壊れている音かもしれなかった。
「――――び、ビルギット……?」
ルベルがそう言葉を漏らした。その「誰か」を見るべく、その目に焼き付けるべく、すぐに体勢を立て直し、にらみつけた。
妙な感覚がした。メイド服の緑髪の女だったが、皮膚がところどころ剥がれて中から金属が見えている。その表情からは、読み取れるはずのない「感情」が分かった。
「怒り」、そして「焦り」。鉄塊が、こちらに敵意を向けていることに、気持ちが悪くなる。
「……やめた。やっぱ、クソムカツク」
ぼそりと呟いたその言葉に、レセルドは恐怖したようだった。だが、自分の本性がバレたところで特に大きな問題はない。楽しみが一つ減るだけだ。どうせすぐに、同じ面を見せることになっていただろうし。
「ルベルさん、逃げてください。『
気持ち悪い声で話し出したかと思えば、その手が皮膚を破って変形し、
並大抵の「ロボット」でないということを、ルベルは本能で感じる。鳥肌が身体に立っていくのを感じた。だが、それは恐怖とはまた違った感情だった。どちらかと言えば、戦慄に近いかもしれない。
「……ど、どうして!? だって、アタシ、ビルギットに、酷いことを……!」
「今は説明している暇がありません」
「
「……ルベルさん。私には、この街を救うことができません。あなた以外の子供たちも救うことができません。だけど、今ここで、あなただけは助ける。だから、逃げて下さい」
「うるっさいんだよゴチャゴチャと!!
今しがた攻撃を仕掛けたはずのヴェンデルガルドの腕を、ビルギットはいとも簡単に掴み取り、捻って突き飛ばしてみせた。彼女はすぐに体勢を立て直し、次々に攻撃を仕掛けるが、それも同様に捌かれていく。
ルベルにも攻撃をしようとしたが、それを上回る速度で回り込み、逆に攻撃をされてしまった。基礎の能力値では、絶対に敵わない。
「……クソッ!!」
「なんで!? アタシ以外に助けるべき人はたくさんいるよ!!」
「……ッラァ!!」
ルベルが話しかけている間も、ビルギットに攻撃を仕掛けるのに、一切通らない。守りながらの攻防なのに、自分と互角の勝負をする奴に腹が立つ。
「私は、ルベルさんが嫌いです。ルベルさんも、私が嫌いでしょう」
「……い、今は、違う、と思う」
「でも、私の大好きな人は、あなたが大好きだから。『約束』を、したから」
「……?」
「何か、策があるのでしょう? 無策で行動しているとは思えません」
「でも、本当に助かるかどうかは……現に今、皆が……」
「……いつまで話してンのよ、クソ!!!」
「懸けます」
「……分かった」
「逃がさないわ!!
「……『
レセルドが「穴」から抜けようとした瞬間に、魔法を打ったはずだった。しかし、風でつくられたその刃は、ビルギットの「剣」によって叩きつけられ、殺すことはできなかった。
叩きつけられた瞬間に現れた炎は、不死鳥の如く輝き、『ビルギット』という存在を、ヴェンデルガルドに焼き付ける――――。
「クソがぁぁ!!!!!」
「
鉄塊が、何かを考えている。
ヴェンデルガルドには、それが気持ち悪すぎた。その上、レセルドを逃がしてしまったこれ以上ない失態に、激昂。美しいその顔を、憤怒に歪ませる。青筋がこめかみに浮き出て、食いしばりすぎて歯茎が見えるくらいに。
「『排除』します」
人間の声としては、少しだけ違和感のあるそれが、戦いの合図をした。
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