5-1 「紅い月」

 ――――紅い月。

 それは突然起こったように、俺には感じた。


 ダラムクスへ来てから五日目の夜。

 昨日まで綺麗な銀色の光を放っていた月が、今宵は、血のような色の光を地上に降らせている。見た目はとても美しいが、下手をすれば死人が出かねない「災害」だ。この光が魔物たちを狂暴化させ、人間を襲ってくる。そんなことが無ければ、俺はきっと、この紅い月を好きになっていただろう。


 今、俺とディアは高いところから見学をしている。宙に浮きながら、というより、俺の念力の上に座りながらだ。

 結界の外へは出ないようにしている。ディアは大丈夫だろうけど、もしかしたら俺は気分が悪くなってしまうかもしれないから。万が一でも駄目だ。



「……ディアは、どう思う?」


「どういう意味だ?」


「紅い月。これって、ディアが封印される前は無かったんだろ?」


「……あぁ。正直、吾輩には何も分からない。どこからか、強い魔素が押し寄せて起きているけど、出所が掴めないんだ」



 結界の外で魔物を討つのは、銀級と金級冒険者。銅級冒険者は、魔力に負けてしまう可能性があるため、結界内での警備をしているらしい。

 彼らが守るのは主に東の方。森があって、そこから魔物がうじゃうじゃ湧いてきている。西は海だから、多分心配いらないんだろう。



「あ、あれミヤビじゃないか?」


「……ほんとだ」



 小さく見えるが、あの青いフードに仮面をつけている人物は、間違いなくミヤビだろう。ここから見ていても早いと思わせるくらいの動きをしていて、小さなナイフで魔物の首を斬って回っている。形容するなら、「青フードの悪魔」といったところか。的確に、冷酷に急所を狙うその姿は、悪魔そのもの。


 なるほど、これが金級冒険者か。

 魔物の死体が次々に出来上がっていく。恐ろしいな。



「モトユキは参加しないのか?」


「……しない」


「ふぅん、珍しいな。命を第一に考えるモトユキが、そんな風に考えるなんて。もしかしたら死ぬ奴が出るかもしれないのに」


「俺はあまり、こういうことには関わらないようにしてきた」


?」



 聞き返したディアの言葉が、どうしてかいつまでも響いている感覚がした。

 きっとそれは、俺が一番思い悩んでいることの核心を突いたからだろう。



「……災害とか、そういうの。いや、もっと細かく言えば、困っている人間を助けることも、少なかった」


「つまり、『ボウカンシャ』というやつか?」


「あぁ、そうだな。俺は傍観者だった。どんな時でも、自分を最優先に考えてきた、そんな人間だ」



 助けられる人間がそこに居る。そして自分には助ける力がある。

 けれど……俺はすべての人間に手を差し伸べるわけではない。

 ……クズの考え方だろうか。



「吾輩には、そのボウカンシャが、どう悪いのか分からん。自分のために生きて何が悪いのだ? ただ、吾輩が思うに、モトユキはボウカンシャではないと思うぞ。だって、人間のためにサングイスを殺したじゃないか」


「……人が殺されているという重圧。無意味な殺戮を不本意に繰り返すサングイス。その条件がそろって、俺はあいつを殺した」


「理由になってないぞ。仮にそれを理由にするなら、モトユキは矛盾している」


「自分で自分が矛盾していることは分かってる。……だから余計分からないんだ」



 もう既に、倒れている人間は何人かいる。

 魔物から受けた傷で戦闘不能。それか強力な「魔素」というものにやられて気絶。死んでいる奴は、まだいない。だけど、彼らはしっかり助けられている。治療専門のパーティもちゃんといるから、誰も死ぬことはないと思うが……万が一死んでしまったら?

 それは、俺が傍観者であったせいなのか?



 魔物が死んで逝く。

 死体を集めて山にして、火をつける。

 黒い煙が空に昇り、どこか遠くへ行ってしまう。


 レアな素材が手に入る魔物は、それを剥ぎ取られてから燃やされている。死んでいるのに、何故か苦痛な表情をしている。そういう風に見えるだけかもしれない。



「なんであいつらは人間を襲うんだろうな」


「……さぁな。恐怖を理解しない馬鹿なんだろう。魔力を得ただけで、人間に勝てると勘違いしてるんじゃないか?」



 ディアは大きく欠伸をした。とろんと溶けそうな瞳をしている。そろそろ俺たちも帰ってしまおうか。冒険者じゃない人々は、今も寝ているわけだし。

 ……実際にこの目で見れば何かが分かるかと思ったが、さっぱりだ。何が原因でこうなっているのかは全く分からない。


 ただ、一つだけ違和感がある。

 魔物が仲間割れをほとんどしていないところだ。普通に、狂暴性が増すだけなら、仲間内で殺し合いが始まっていてもおかしくはない。戦闘欲求がただ単に大きくなっているわけではない。

 人間を殺そうとしている。そういう意思を感じる。前にディアが言っていた、神霊種オールドデウスとやらの仕業だろうか。だとしたら何の意味がある?


 ふと海を見ると、魔物がいることに気が付いた。魚型の魔物。明確な姿は暗いからよく見えない。だが、確実に何かがこちらへ近づいてきている。大きな背びれがいくつも……。


 その一匹が飛び跳ねた。

 遠くから見ているけれども、気持ちが悪いと思った。異様なほどに大きな体をしていて、紅い光がその色に眼球を光らせている。魚という生き物に、無理やり魔力を入れこんで、膨らませてみたかのような形。ともかく彼らも、また同様に、ダラムクスを襲うのだろう。



「あれ……ミヤビに報告したほうが良いか?」


「……不味そうな魚だな」



 海の方はほとんど誰も守ってくれていない。これは危険な状態なのかもしれないと思って、俺がミヤビの所へ行こうとした途端、何かが海で煌めいた。

 魚の鱗でもなく、目でもない。赤く、それでいて青も含まれている光。


 誰かがいる。

 身体が青白く光り、空を飛んでいる。彼の光を受けて、暗い海にわずかに光の明暗ができ、彼の真下を中心とした水の波紋が広がっているのが分かる。


 次の瞬間、彼は、俺が視認するのがやっとな速さで動き回り、水中にいる魚群を切り裂いた。混乱の中で飛び跳ねた魚も、空中で真っ二つにされた。

 まるで、光り輝く剣の残光が、暗い海に絵を描いているように見える。


 程なくして、魚群はすっかり姿を消し、海に浮かぶ魚の死体がちらほら見えるようになる。死んだ魚の鱗が、月の紅い光を点々と反射している。


 その誰かは、海を高いところから眺めていた。光を帯びていて、遠目からじゃ良く見えない。だが、かなりの力を持っていることだけは、はっきりと分かった。

 冒険者たちが海に警備を置いていなかったのは、海から魔物が来ないからではなく、彼の存在があったからなのだろう。


 ……一体、どこの誰なんだ?

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