3-3

 ――――血の臭い。

 それにいち早く感づいたのはミヤビだった。彼女が何も言わず急に駆けだしたものだから、俺は慌てて後を追いかけた。


 俺たちは今、通称「森」と言われる場所に来ていた。冒険者の間では「森の〇〇」という感じで場所を区別しているらしく、固有名詞は無いようだ。名前があるなら、「森の入り口」だろうか。まだ森と言うには木々が少なく、人が何度も通っているのか、地面が踏み固められている。

 何故俺たちがここにいるのかと言うと、ミヤビがアビーから薬草の採取を頼まれたからだ。ディアのペンダントの代金替わりではないらしいが、一応俺も着いていって手伝ってみることにした。どうせ暇だし。


 そして今、この状況に至る。


 仮面をつけているから表情は良く見えなかったが、あのミヤビが冗談の一つも言わずに走るくらいだ。きっと一大事に違いない。

 開けた森の道を走っていくと、だんだんと周りの木が増えていくのを感じた。同時に、強い血の臭いも鼻の奥を刺してきた。



「大丈夫?」


「み、ミヤビさん……」


「何があったの?」


「フォルティス・ウルフです……こんな、近くにいるとは……」


「フォルティスが出たの……!?」


「俺は、大丈夫です……それより、あの子を……」



 少し開けた場所。ミヤビは倒れている男に話しかけていた。

 そしてもう一人、女が木にもたれかかっている。気絶しているのか、目を開いていない。白いローブが血と泥に汚れている。特に腹の辺りを攻撃されたようだ。



「大丈夫ですか?」


「ん……あ……き、君は?」


「モトユキです。そこに居るミヤビの……仲間です」


「に、逃げて……! 大きな狼が……」


「あまり喋らないで……怪我は……?」


「お腹を少し、齧られただけ……大丈夫、血はもう、止まってるわ」



 マジかよ。「フォルティス」っていう狼、人間食べるのか。

 男は剣を持っているから、対抗できないはずはない。にもかかわらず、こんなにやられてしまっているなんて、相当強い狼なんだろう。


 ……最後まで捕食せずに別の場所へ行っているということは、「別の獲物」を見つけた可能性が高い。探してみるか?



「もっきゅん、これ」



 念力探知でもしようかと思った矢先、ミヤビが投げてきたのは、小さなビン。その中には、半透明な青い液体が入っていた。アルトナダンジョンで見たものと酷似していたため、ポーション的なものだと理解した。



「飲ませればいいのか?」


「うんにゃ、かける」



 彼女の腹、齧られている痛々しい傷の所に、俺はその液体をかけた。

 染みるのか、少ししかめた顔をしていたが、直ぐに落ち着いた表情に戻った。血の跡が消えたわけではないが、どうやら傷は何とかなったようだ。すごいな、これ。



「ミヤビ、狼は俺が……」


「必要ないよ」



 ミヤビが何か、大きく肩を動かしたかと思うと、「ギャン」という鳴き声が聞こえてきた。

 ……恐らくこれは断末魔。


 彼女はどうやら、魔物の位置を突き止め、ナイフを投げつけたようだった。俺にはよく見えなかったが、とんでもない腕力と洞察力があることを、半ば本能的に感じた。金級冒険者とはこんなに人間離れした能力を持っているモノなのだろうか。

 ディアのせいで薄れているが、ミヤビも十分化け物なのだと、俺は少しだけ恐ろしく思った。



「え、もう倒したんですか!?」


「うん。……そうだ、もっきゅん、奥で火事が起きていることは分かる?」


「ん……!?」



 ミヤビの言っていることが理解できずに、一瞬困惑した。

 だが、奥の方から焦げた臭いがすることを感じて、念力を伸ばしてみる。熱い、何かが燃えるような感覚がする。確かに、これは山火事だ。

 え、結構大事おおごとじゃん。消したほうがいいよね?



「私がギルドに報告をしてくるから……」



 俺は意識を集中して、どこがどんな風に燃えているのかを把握した。円形で、結構大きめ。半径五十メートルくらいか。人間の魔法か、魔物の仕業か。どこか近くに犯人がいないものかと考えたが、やめた。

 生き物がいないことを確かめ、握りつぶすように空気を遮断。

 ……熱っ。



「大丈夫。消した」


「……え!?」


「ただ、山火事の犯人がいるはずだ。今から探す」



 もう一度、《念力探知》……あれ? 子供が五人?

 ……ん?



「あぁ、それなら、私も目星がついてるんだ。たぶん、レッドモルスドラゴン」


「レッドモルスドラゴン?」


「……後で説明するよ。もっきゅん、空の方を探してみて」


「空の方……?」



 そうか、ドラゴンはドラゴンらしく空を飛ぶのか。

 ……いねぇな。



「ミヤビ、ドラゴンはいないけど、子供が五人くらいいる。この先に」


「え……なんでこんなところに?」


「分からない。でも、こっちに向かって走ってきてる」


「ねぇ、その五人の中に、仮面をつけている子はいない?」


「……あぁ、なるほど。いるよ。ミヤビみたいに硬い仮面と、葉っぱみたいな感触の仮面」



 恐らく、硬い仮面をつけているのはルベルだな。

 大方、興味本位でこっちに来てしまったら大変な目に逢ってしまった、という感じだろう。



「はぁ……ったく」



 ミヤビが露骨に不機嫌さを表しているのを尻目に、俺はもう一度探ってみた。

 ……死体? 何か大きな鳥のようなものが死んでいる。誰か別の冒険者が討伐したのだろうか。ともかく、これがレッドモルスドラゴンというやつなんだろう。



「あ、あの……何が起きているんでしょうか?」


「色々解決はしたんだけど、紅い月があとちょっとで来るかもしんない」


「……?」



 二人の冒険者は、何が起こったのか全く分かっていないようだった。



 ☆



「こら。ルベル!」


「すみませんでしたぁ!!」



 ミヤビの優しい叱り声に反応したのは、黒髪の少年だった。歳はルベルと同じくらい。キリリとした眉に、まだあどけないが、成長すればきっと美男子になる予想が容易にできる目鼻立ちをしている。何故彼が謝っているのか、大方見当は付く。彼が森で遊ぶように誘ったのだろう。

 だが、ルベルの元気が全然ないのに違和感を覚える。仮面でその顔が見えないとはいえ、立ち姿からも分かるくらいに覇気がない。



「君は、アウジリオだっけ?」


「はい! 今回の件は全て僕の責任です! ルベルさんを危険な目に逢わせてすみませんでした!」



 潔い謝罪の仕方だなぁ。

 社会人の俺でさえ感心してしまうような、素晴らしい姿勢。「すみません」を「申し訳ありません」に直せば完璧だ。……なんだろう。アウジリオ少年から、ミヤビを尊敬しているような眼差しを感じる。



「誰も怪我してない?」


「はい! 特に大きな怪我はありません!!」


「あの、ごめんなさい。僕も皆を止められませんでした」


「ごめん、なさい」



 あとは、栗色の髪の少年と、アウジリオと同じく黒髪の少女。怯えるようにミヤビに謝った。

 そして、ディア。謎の葉っぱの仮面をつけている。少し面白い。遊びでつけさせられたのを、律儀につけ続けているのだろう。


 俺たちは今、町の入り口のところで子供たちと話をしている。

 彼らがここに向かって走ってきていたから、待ち伏せして捕まえた。現れた子供たちは、予想通り、ルベルとディアを含んでいた。ディアの仮面は予想外だったが。


 事の報告は先ほどの怪我をした冒険者に任せた(ミヤビが無理矢理頼み込んだ)。心配だから俺も着いていこうかと思ったが、「これくらい大丈夫です」と断られたので、今現在ここに残っている。

 ミヤビは、先ほど倒したフォルティス・ウルフという魔物の死骸を肩に乗せていた。確かに巨大な狼ではあるが、桁外れというほどではない。ただ、その筋肉は、黒い毛皮の上からでも分かるくらい大きい。食ったら美味しいのかと聞いたら、不味いらしい。



「……ま、怒っているわけじゃないけど、拳骨しとくか」



 そう言って、「はー」と拳に息を吹きかけるミヤビ。それを見て、小さく声を上げる子供たち。ルベルとディアは、何か別のことを考えているようだったが。



「うそだよん」



 ミヤビは平常運転だ。今や、拳骨すらも体罰と言われるような時代になってきたが、身の危険があったんだ、拳骨位やっておいた方がいいと思う。……この考え方は古いだろうか。

 そんなことを考えていると、葉っぱを付けたままのディアが話しかけてきた。



「モトユキ……その、すまない。なんか大事になってしまった。火を吹いていたドラゴンは殺ったけど、森に火が広がったままだ……森が燃えてるとマズいんだろ?」


「大丈夫だ。もう消した」


「そうか」



 レッドモルスドラゴンとやらを倒してくれたのはディアだったようだ。俺が火を消したことをあっさりと飲み込むのは、ディアが慣れてきている証拠だろう。こいつはそもそも驚きのリアクションは小さい方だから、あまり違いはないけども。

 第一ディアは言葉が分からなかったんだし、ディアを行かせなかったところで、子供たちは森で遊んでいたはずだ。俺が付いておけば良かったのだから、俺の責任でもあるのだろう。



「ディア。ありがとな」


「……なにが?」

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