1-5

 分割睡眠ワンセット目。

 いつも通り最悪の目覚め……と思っていたが、俺は今この状況を理解できずにいた。


 まず、柔らかい何かが俺の顔を圧迫していた。そして俺は、無意識的に顔を上げる。そこに居たのはミヤビだった。仮面を外し、あの青い上着も脱いで、ラフな格好の。

 夕飯の時にも彼女の素顔を見たが、まず間違いなく美人に分類される。ぱっちりとした二重に長い睫毛。高くすっきりとした鼻に、桜色の唇。日本人特有の童顔のおかげか、見た目的には高校生だ。



 俺の顔に押し当てられていた「柔らかい何か」というのは、彼女の豊満な胸だった。上着を脱いだ姿を見るのはこれが初めてだが、こんなに着痩せするものなのだろうか。



 ともかく、俺はラッキー……じゃなくて、けしからん状態にある。身体は十歳とは言え、中身は二十八歳のオッサンなのだ。若い女の子に抱きしめられているという状況は、色々とマズい。これでミヤビが本当に高校生だったなら、元の世界では俺は確実にお巡りさんを呼ばれてしまうだろう。


 つーか、俺とディアが一緒に寝るんじゃなかったのかよ。

 夕飯の時に話してたじゃねぇかよ。「ベッドが二つしかないから、どうする?」って。


 ……この身体でも勃起はする。男という生き物は生まれたときから勃起は出来るんだ。射精は出来なくともな。あまり未熟な状態の身体だと、過度な勃起ってのは痛い。

 俺も男だ。情けなくて最低だと分かっていても仕方がない。色恋というのも味わったことがないから、余計に反応してしまうんだ。


 これがミヤビにバレたらどう思われるか……。

 ともかく、今この場から脱出するのが先だ。



「ん? あれ? 起きちゃった?」


「……なんで君がここにいるんだよ」


「えー、可愛かったからつい」


「中身はオッサンだと言っただろう」


「んへへ……」



 そう言って、今度はぎゅっと抱きしめてきた。

 再び巨乳が俺の顔を覆う。……やわらけぇ、じゃなくて!

 オッサンだと言ってるだろう!



 ☆



 理性を保つために、念力で引きはがした。

 まさかハニートラップだったんじゃないだろうな。もしあのまま素の男を見せていたら、敵とみなされて殺されていたかもしれない。……いや、考えすぎか。


 とりあえず話をするために、リビングに戻ってきた。



「……はぁ」


「嫌だった? ぱふぱふ?」


「どう答えたらいいんだよ」


「つまりそれは、嫌いじゃないってこと?」


「……否定はしない」


「素直だねぇ」


「楽しいかよ」


「うん」


「……」



 彼女は、俺にはホットミルク、自分には葡萄酒を持ってきた。

 そして、テーブルを隔てず俺の隣へと座った。


 さて、何から話そうかな。

 転生者に関する話も、この街に関することも、この世界に関することも粗方聞いたし、はっきり言って情報交換らしい情報交換はあっさり終わってしまったわけだが……。


 そうだ、一つ、思いついた。



「なんであのルベルって子は、ずっと仮面をつけてるんだ? てっきり君の真似をしているだけかと思ったんだけど、それにしちゃ異常だ」


「あー、あれね。うーん、まぁ、言っちゃってもいいかな。あの子、顔に酷い傷があるんだ」


「そりゃまた、どうして?」


「……私が保護する前は、虐待を受けていたんだよ。母親からね」



 声の調子が途端に落ちた。思ったより重い話のようだった。やっぱり聞かない、というのが正解の選択肢なのだろうか。だが、どうやって接すればいいかの判断材料にもなるはずだ。それに、話の信憑性によっては、彼女が味方かどうかも決定していい。



「ルベルは半妖精種ハーフエルフなんだ。……んまぁ、人間にレイプされたエルフから生まれたんだ。一般的にエルフってのは自分たち以外の種族を嫌う傾向にあるからね。特に人間は」


「……どんな感じなの? その、傷の具合は」


「今はもう塞がりかけてるけど……」



 「でも」と、呟いた瞬間、ミヤビが悲しそうな顔をしたのが分かった。さっきまで冗談を言っていたのが嘘であったかのように。


 俺は眠かった頭が急に冴えていくのを感じた。暖かな空間だったはずなのに、急に肌寒く感じる。

 薄暗いこの空間で、光を放つのは光魔石だけ。あとは闇に閉ざされた真夜中だということを理解し、音楽も何もないこの空間が不思議になってきた。


 彼女はほんの少しの量の葡萄酒を飲み、俯きながら言った。



「酷いもんだよ。右半分の皮膚が癒着して、右目はほとんど見えなくて……思い切り笑うことが出来ないんだ」



 髪の毛をくしゃっと掴み、そのまま肘をついた。

 忘れようとしていた惨劇を、思い出そうとしている。一粒一粒を零すように、言葉を続けた。



「煙草か何かを押し付けられたのかな。頭にも沢山の火傷跡があって、十円ハゲみたいなものが沢山あるんだ」


「それは……酷いな」


「私が助け出した時は、ルベルの『解体ショー』が行われていたんだ。瀟洒で可憐な妖精種エルフ様が、寄ってたかって女の子を切り刻んで遊んでいたんだ。あの子には右足の指五本と、左足の薬指と小指が無い。あとは、背中の皮膚と右腕の皮膚も剥ぎ取られていたんだ。今はもう、傷は塞がったんだけど……痕はずっと、ずうっと、消えることはないだろうねぇ」



 何かを言おうと思ったが、良い言葉が浮かんでこなかった。

 ミヤビは再び、葡萄酒を一口飲んだ。



「あー、まぁ、そんなに深刻な顔はしないでよ。いやまぁ確かに、女の子の傷ってのは結構大きな問題なんだけど……あの子は同情をしてほしくないタイプだからね。何か特別扱いとかせずに、普通に接してあげてね」


「分かってる」



 そのくらい、言われなくてもな。

 そう付け足そうとも思ったが、唾と一緒に飲み込んだ。


 ミヤビの手は、男性的なごつごつとした見た目の上に、傷だらけだった。そういう仕事なんだろう。割と大変なんだな、冒険者って。でも、本人にとっては、この傷はかすり傷なんだろう。



「エルフって、俺が想像するものと同じようなものなのか?」


「そうだね。耳が長くて、美形が多くて、長寿で、聡明で……。意外と残虐って点を覗けばそのままだろうね」


「悔しくないのか?」


「……今になって、だんだんと腹が立ってくるんだ。あの時はまだ、ルベルのことを全然知らなかったし、ただただ単純に『可哀想だから』って理由で助けた。……いや、ただの自己満だった。助けたら助けたで育てるのは面倒だし、どっか適当なイイヒトに預けようと思ってた」



 彼女がちびちび飲んでいた葡萄酒も、気が付けば二杯目だ。若干酔いが回ってきたようで、頬が赤くなり始める。俺に渡されたホットミルクは、未だ湯気が立っている。



「孤児院は『気持ち悪い』って突き放したんだ。本当にそんなことは言っていないんだけど、『子供たちが怖がるから』って訳で、やんわりと、ね。渋々私が預かることになったんだけど、それがまたクソガキでね。話しかけても話しかけても怖がるだけで、正直嫌になったよ」

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