8-1 「おふろ」

「くさっ」


「え!?」



 良い感じの雰囲気をたった二文字でぶち壊して見せるディア。思わず俺も変な声が出てしまった。

 そんなに俺の言葉は臭かっただろうか? いやまあ確かに何様だよみたいなところはあったけれども、そんなに真っ向から否定されたら流石に傷つくなぁ。



「そんなにあの言葉、臭かった?」


「いや、物理的に臭いぞ。モトユキ」



 物理的……?

 彼女は鼻をつまんで顔をしかめた。そのまま俺の方へ歩いてきて、すん、と一嗅ぎした。



「ほらやっぱ臭い」


「……うわ、マジだ」



 自分の服の中のニオイを嗅いでみると、獣のような臭いがした。いや、実際獣臭なのだ。そう言えば、この世界に来てから未だ風呂には入っていない。代謝が良いとすぐに汗臭くなるもんだな。いやでも、加齢臭とどっちが臭いんだろう。まだ少年というアドバンテージがあった方が……。

 人間の鼻では相当近くで嗅がないと分からないが、ディアの鼻は相当良いらしい。放っておいても何日かはディア以外気にしないだろうが、丁度風呂にも入りたい。屋敷にあったはずだ。帰ったら入ろう。


 すんすん、すんすん……と、ディアは未だに俺の頭の臭いを嗅いでいた。



「臭いんじゃないの?」


「いや……臭いけど、嫌いじゃない」



 なんでだ?

 でも、風呂に入っていないのはディアも同じはず。だから俺に文句なんて言えないはずだ。



「……そんなこと言ってさ、ディアも臭いんじゃないの?」


「嗅いでみるか?」



 すん、と俺はディアの頭に鼻を近づけた。


 滅茶苦茶いい匂いがした。


 なんだ、これ? 花のようなミルクのような、ともかく美少女に相応しい香りがする。

 いくら嗅いでも、脳味噌は花畑のイメージを彷彿させる。



「……」


「……どうだ?」


「美少女補正ってなんだよ」



 月が、藍色の空にうっすら輝き始めた。この大陸にとっては百年ぶりの月。生命など何もない虚無な物理現象なのに、どこか神秘的なものを感じる。フェーリフラワーも相まって、とてもロマンチックな雰囲気だった。


 今この空間で臭いの、俺だけ。

 美少女補正ってなんだよ。

 嫌いじゃないけど。



 ☆



 屋敷に帰ってみると、あいつらが起きたようだった。

 赤髪の奴も治癒魔法か何かで治してもらったようで、ピンピンしている。


 だが、俺らは良いような目で見られない。それもしょうがないのだ。赤髪の奴は自分の恨みを晴らせるというチャンスを邪魔されてしまったわけだから。他の二人も俺らのことは知らないが、こんなところにいるのだから、サングイスの仲間だと思われてしまう。そうでなくとも怪しすぎる。警戒されるのは当たり前。

 ……いや、あいつは仲間だった。少ない時間だったがな。



「……テメェ」



 真っ先に睨み飛ばしてきたのは、やはり赤髪の奴だった。その他二人は何が起こったのか分かっていない様子だったが、状況を見てとりあえず臨戦態勢をとっている。流石は「勇者一行」と言えようか。重圧プレッシャーが素人のそれではない。



「別にいいだろ、晴れたんだから」



 色々な会話をすっ飛ばして、俺は答えた。

 良い感じに俺の背後から夕日が見えているはずだ。


 そう、すべては終わったのだ。この大陸に太陽の光が当たるようになった。死滅していた生物たちも、長い時間をかけて再び元に戻るはずだ。この名誉は間違いなく彼らの物。



「僕たちは敵じゃない。だから、争うつもりもない」


「……」



 赤髪の奴は少しだけ考えて、剣を納めた。

 意外と素直に聞いてくれているのか、それとも見せかけているだけなのか……どちらにせよ、申し訳ないことをした。ごめんな。



「……ギル? どうするのですか?」


「どうもしない。あの『死の雪』は過ぎ去ったんだ。こいつの言う通り、もうこれ以上争う必要はないだろ」



 怒りを押しつぶしているのが、何となく分かった。あそこで途切れてしまった膨大な怒りが、行き場所を失っている。そして無愛想に背を向けて、屋敷に戻ろうとする。その背中は、勇者というにはあまりにも悲しそうだった。



「ギル」



 金髪の女が、顔を赤面させ、少し照れ臭そうにその名前を呼んだ。


 そして、ぎゅっ、と、

 後ろから抱き着いた。





 え、なにこのロマンティックな展開。

 俺ら絶対邪魔だろ。


 そう思っていたら、もう一人の男が俺たちをそっと屋敷の中へ戻らせた。あの、左目の周りが黒く変色したおじさんだ。他二人に比べて、十年くらい歳を重ねているように見える。女と同じように金髪だが、どうやら血縁者ではないようだった。となると、この人、なかなか気まずい位置にいるんじゃないか?

 彼は目線を合わせるためにしゃがみ込み、微笑みながら言った。



「ええと、そうだな。自己紹介をしておこうかな。私はイングリッド。よろしくね」


「俺はモトユキ。こっちはディア」



 するとディアは、驚いたように言った。



「オッサン生きてたのか」


「勝手に殺すなよ……」



 恐らく彼は、俺たちが何者なのか探っているところだろう。いくら死の雪が降り止んだとはいえ、油断をするような馬鹿ではないはずだ。苦笑いの奥には、きっちりとこの先を見つめる目がある。

 この先をどうするか、俺たちも決めなければならないな。ディアとも約束しちゃったし。



 ☆



「ギル、お疲れ様です」


「なんだよ、改まって」


「この雪を止めてくれてありがとう」


「別に、止めたのは俺じゃねぇって」


「私に夕日を見せてくれてありがとう」


「……あんなちっぽけなガキに負けたんだ、俺は」



 二人を照らしていた夕日が、沈んでいく。

 残る橙色の残光が、次第に紫に、青に、やがては黒に染まる。

 だが、空を覆う雪雲はもうなかった。



「私を好きになってくれて、ありがとう」


「……うるせぇ」



 一方で、ギルバードの頬は真っ赤だった。ついでに耳も。

 目的をこの手で果たせなかったことは確かに腹立たしい。でもそれは、この状況に置いてどうでも良くなっていた。背後にあるローレルの体温、心音、声、その他諸々……いろいろとヤバい。気持ちがほどけてきているのは間違いなかった。

 それでもなお、ぶれないように振る舞う。「太陽の勇者」としての意地だった。


 けれど、彼がやせ我慢をしていることなど、ローレルには分かりきっている。

 子供のような彼も、彼女は大好きだった。


 だから思い切り抱きしめる。耳元で「大好き」と呟いてみる。胸を押し付けてみる。

 そのたびに湯気が出るくらい赤くなるギルバード見ては、嬉しくなった。

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