5話 ナイトメア 逃げ出したくて
とても暗い、何も見えないほど真っ暗で、ホコリの匂いが漂う廊下を、私は一人で必死に走っている。走れど走れど出口は見えてこなくて、後ろから追いかけてくる正体のわからない何かに捕まってしまわないように、速度を落とす事なく走り続ける。
終わる事がない追跡がいつまでも続いて、息が切れてきた。まるで泥の中を歩いているように足が重い、思うように足が動かず、空回りして前に進まない。心の中では必死に逃げているつもりでも、体が言うことを聞いてくれなくて心臓の鼓動だけがどんどん早くなっていく。もう……ダメだ追いつかれる、私の背中に何かの手が掴みかかって――
「――ッ! 良かった、夢……」
悪夢の中から脱出した七恵が目を覚ます。頬を涙が一粒伝い、身体中に纏わり付いたべったりとした冷や汗で気分が悪い。涙をパジャマの袖で拭ってから、ベッドから出て、すぐそばの机にあるメガネケースからメガネを取り出してかける。ぼやけていた視界がクッキリしたので、目覚まし時計の時刻を見てみた。
午前6時17分、アラームの設定時間より随分早い時間に起きてしまったようだ、それにしても体がベタベタする、今日はシャワーを浴びてから朝食を食べる事にしよう。
裏山の騒動から数日後、龍二と愛達の交友は続いていた。徐々にだが心を開き始めた龍二は以前のような拒絶は見せず、交わされる会話の数も増えてくる。そうすると隠されていた意外な面も見えてくる。
「ねぇねぇ、この前のトドメのドラゴンなんちゃらーってやつ、何?」
あの日と変わらない四人で集まった昼食時、ふと思った質問をした愛が、甘めの味付けの卵焼きを口に入れた。
「ドラゴニックレック……必殺技だ、そのまま吐くと拡散してしまう息吹を圧縮することで、周辺の被害を抑え、一点に攻撃を集中できる」
龍二がメロンパンを大きく一口頬張った。
「すごいのはわかったけどさ、その……技の名前って叫ぶ必要あるの?」
里美がきんぴらごぼうを口に運ぶ。
「いけないのか?」
モゴモゴと動いていた頬の動きが止まり、龍二がハトが豆鉄砲を喰らったかのように、目をパチクリさせる。
「い、いけなくはないんじゃないかな! こうさ、気合の入り方が変わるっていうか!いいと思う!」
必殺技、ドラゴニックレックの構えを身振り手振りで真似しつつ、愛の必死なフォローが入る。
「そうだ、中二の時に五十弱の候補から厳選した技名だ、気合の入り方が違う」
さっきまで頬にリスのように貯めていたパンを一気に飲み込んで、更に大きく一口。二口食べただけなのに、メロンパンは半分以上が龍二の胃の中に消えていた。
「名前、自作なんだ……」
里美が龍二に聞こえないように呟いた。
そんな三人をよそに、暗い表情のまま俯いて、箸が止まったままの七恵。普段から口数が多い方ではないのだが、今日の様子は明らかにいつもと違う。
「どうしたのナナちゃん、元気無い?」
「えっ……な、何でもない、平気だよ」
心配そうに七恵を見つめる愛、それに七恵はぎこちない笑顔を作って答えた。
「それならいいんだけどさ……そうだ、裏山の……ごほん、地下に行くの今日だっけ?」
裏山にある地下の施設に触れた途端、愛は声のボリュームを大幅に落として他の三人に伝える。他の生徒に聞かれたところで、愛達が最初に入ったようなイレギュラーが起きなければ侵入することなどできないのだが。
「ああ、あそこはまだ調査の必要がある、それに、邪魔が無い所で情報の整理も行いたい」
愛の声の大きさに合わせて龍二も小声で答える。
「オッケー、じゃあ放課後集合ね!」
愛が人差し指をピンと立て、他の三人に合図した。
「では情報の整理をしたい、そうだな……まずは俺の事から話そうか。」
放課後の地下研究室、愛達四人は今は稼働していない大きなモニターの前に多くの椅子が並ぶ、恐らく会議室として使用されていただろう場所で、愛曰く作戦会議を行っていた。作戦会議とは言っても、会議室の中央の大きな机の上には愛が買ってきたお菓子が大量に配置され、あまり緊張感のない空気が流れている。そんな中で龍二が自身の過去を語り始める。
「俺があの姿、便宜上名前を付けるなら……青龍に変わる事が出来るようになったのは、六年ほど前に原因不明の高熱を出してからだった。自分が普通でない力を持っている事に気づいた俺は、奴らを狩りながら、自分が何故このような力を持っているのか知りたくて行動している。」
「六年前って事は……大体小学生の4年ぐらい? そんな頃から龍二くんは戦ってたんだ……」
「ああ、俺はその時から自分の過去について調べ始めた。俺は小さい頃に孤児として引き取られ、それ以前の記憶も記録も無い……俺の生まれに何か原因があると思い調べていく内に、この山に捨てられていたところを保護された事にたどり着いた」
「や、山に子供を捨てるって普通じゃ無くない!?」
机の上のお菓子を食べようとしていた愛が手を止めて話に聞き入った。
「少しでも発見されるのが遅ければ命は無かった……らしい、そんな場所で俺はこの研究施設を探し出した。ここに入れるのは、エレベーターを起動できる俺と奴らだけだ。ここには俺の過去への何かヒントがあるに違いない。しかし、ここの全てを調べるのは俺一人では骨が折れる、お前たちにはその調査の手伝いに……手を、貸してほしい」
今まで拒絶した相手に協力を頼む少しの気まずさと、愛達を巻き込む罪悪感、そんな二つの感情を心の内に丸め込んで、龍二が深々と頭を下げ頼み込んだ。
「うむうむ、最初に比べたら驚くほどの素直さだ」
愛が腕を組んでわざとらしく頷く。
「わかった、もちろん手伝うよ。七恵もいいかな」
「う、うん」
里美が七恵の方をちらりと見る、七恵も歯切れの悪いが同意して、これで三人とも龍二に協力する……ように見えたのだが。
「待った!私を手伝わせようってんなら条件がひとーつ!」
ここに来て待ったをかけたのは愛だった。五本の指を大きく広げて龍二の前に突き出す。
「私たちの事をお前じゃなくて名前でしっかり呼ぶこと! 愛ちゃんって呼んで! はいどうぞ!」
「あ、ああ……あ、あー……あ、あ、あ、……無理だ! 苗字じゃダメか……?」
意味不明なうめき声にしか聞こえないが、これでも龍二は精一杯に愛の名前を呼ぼうとした。だが、他人の名前を呼ぶことに慣れていない彼にとっては照れくささの方が大きい。
「うーん、一歩前進したけど、まだまだ距離感遠いなー……ま、とりあえず研究所調査初日始めますか!」
愛がえいえいと大きく貯めた後、他の三人に一緒にやろうよと言わんばかりの視線をやる。次におーっ! と勢い良く拳を上げるも、誰も乗ってくれなかった。
「愛ちゃん、パソコンは大体初期化されちゃってて、データは残ってないみたい」
「こっちも全然収穫なしですナナちゃん! この部屋のは大体出ていくときに片づけたのかな」
広い研究所内を捜査するため、愛達は二手に分かれることにした。怪物が居る気配はないが、念の為に最初に愛達が入った暗いエリアは龍二と里美が、会議室やエレベーターに近いエリアを愛と七恵が調べる事になった。しかし成果は長い時間を使ってもなかなか上がらない。
「ほら見てよこれ、最初はファイルが棚にギッシリで気が滅入るなーって思ってたら、中身全部抜き取られてたりとか、残っててもほとんど内容黒塗りとかで碌な物が無い」
愛が肩をすくめて大きく息をつく。得意ではない調べものを頑張ってやってみたのは良いが、全くの成果なしで面白くないらしい。もっとも愛にとってはファイルの中が情報の山であっても活字の羅列にげんなりして、面白くないのは目に見えているのだが。
「駄目だね、他の部屋を探しに行こうか――ひゃっ!」
七恵がこの部屋の調査を諦めて、他の部屋に移動しようと立ち上がった瞬間だった。突如として全ての明かりが消え、周囲を暗闇が包み込む。突然のトラブルに寸前の所で保っていた平常心がどこかに消え失せた。
暗い暗い何も見えないほどの真っ暗で、ホコリの匂いが漂う、こんな状況、確か少し前に……そうだこの続きは――
「……ん、ここは?」
意識がやっと体に戻ってくる。天井や床から研究所の中だとはわかるが、ベッドが何個か並んで設置されている、見たことがない部屋だ。恐らく仮眠室だろうか。
「やっと起きてくれた! ナナちゃん大丈夫? 明るくなったと思ったら倒れてたからビックリしたよ」
隣に居た愛が優しい声で、ベッドに横になっている今日二度目の悪夢から抜け出した七恵に語りかける。いつもと変わらぬまぶしい笑顔で、甘いけど澄んだ天使のような声色。誰に対しても分け隔てなく接してくれてとても優しい愛。そんな愛を見ていたら、突如として安心と夢の中での不安がごちゃごちゃに混ざり合いながら、七恵の中で溢れ出して止められなくなった。
「愛ちゃん!」
怖くて悲しくて、そんな時でも隣にずっと居てくれる愛に、感情的な衝動に抵抗できなくなって七恵がすがりつく。
「私怖かった! 今日の朝も、今だって! 化け物に廊下で追いかけられ続けるあの日の夢を見るの! 私に愛ちゃんみたいな勇気なんてないし、青木君みたいな力もない、だからいつか化け物に殺されて死んじゃうかもって思って、ずっと逃げ出したくて堪らなくて、でも……でもっ!」
七恵は自分でもびっくりするぐらい、言葉が胸の奥からどんどん流れ出していく。だが愛は抱きつき返して優しく寄り添った。普段ずっと大人しくしてる七恵がこれほど感情を爆発させることは今まで無かったことだ。七恵は自分でもあふれ出す言葉を止めることが出来ない。
「でも……私今逃げ出したら、愛ちゃんが遠くに行っちゃう気がして、嫌われるんじゃないかって、それがとっても、怪物よりもずっと怖いの、私またひとりぼっちになりたくない!」
七恵は愛の胸の中で泣き散らしながら、思いを全て吐き出した。愛ちの制服が涙で濡れてしまっていた。
「よしよし、私どこにも行かないよ? ずっとナナちゃんのそばに居る、ずーっと友達で居るよ。無理につき合わせちゃってたならホントにごめんね」
愛の腕の温かさが背中に伝わってくる。急に泣き出して感情をぶつけて……それでも愛は七恵を受け止めてくれる。それを心のどこかでわかっててこんなことしている自分が七恵は嫌いで嫌いで仕方なかった。それでも今は……今だけは温もりを感じたくて、何も言わずに私はすすり泣いていた。
「ねぇ、私ってさ友達多い方って、思ってるでしょ? けど本当はサトミンとナナちゃん、あと……龍二君以外は全然居ないんだ」
散々七恵が泣いた後、落ち着いたのを確認してから愛がゆっくりと話し始めた。震える体と荒くなった呼吸を整えて、七恵はその話をじっと聞く。
「最初はこんな性格だから、意外と人気者だったり……したんだけど、宇宙人とか心霊現象とかオカルト追っかけてたらさ、気味悪いってみんな離れちゃって。でもね、幼馴染のサトミンだけはずっと友達で居てくれたんだ。それが……嬉しかった。隣に友達が一人居るだけで、悲しいことがあってもいつか立ち直れるって、そう思えたんだ。サトミンが居なかったら私、生きてけなかったかも」
「愛ちゃんがそういうの意外だな、ずっと太陽みたいな存在だって思ってたから」
「驚きでしょ? だからさ、四月に一人で寂しそうにしてるナナちゃん見たらほっとけなくてさ」
七恵にとって愛はずっと明るくて、光を照らしてくれて……そんな人の意外すぎる過去、孤独に苦しんでるのは私だけではなかったんだ、彼女が必要とする『友達』に私もなって、その綺麗な心の中に少しでも入り込めたら、七恵は心のなかでそんなことを考えていた。
「ずっと一緒だよ、私ナナちゃんの事、大好きだから……龍二君の事に関わらなくなったって私たちは離れたりしないって思ってる。」
「多分、それが一番耐えられないよ。愛ちゃん達は危険な所に居て、私だけ安全な所で知らんぷりして……やっぱり、愛ちゃんにずっと付いていくことにした。私に何が出来るかはわからないけど……それでも愛ちゃんに甘えるだけの私は、ここで終わりにしたいって思ったから」
その時、突如として部屋の扉が勢いよく開かれる。
「ここに居たのか、心配したぞ、集合時間はもう……すまない、邪魔をしたようだ、出直そう」
龍二だ。二人を心配して探し出したのだろうが、なんとタイミングの悪い事だろう。
「ちょちょちょ、待って待って大丈夫だから!すぐ集合しますからー!」
愛が慌てて龍二の後を追いかけていく、七恵の身体から愛の温もりがゆっくりと消えていって、少しの寒さを感じる。けれどこれ以上里美や龍二を待たせるわけにはいかないと、七恵もベッドから出て、小走りで愛の横に並ぶ。
「ねぇ愛ちゃん、最後に言いそびれた事、言っていい?」
「私も愛ちゃんの事……大好き!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます