2話 シークレット 君の正体

「どうやって入ってきた」


 三人をじっと見つめながら、くぐもった低い声で怪物は話しかけてくる。しかし、恐怖から未だに抜け出せていない三人は、答えることができずにただ縮こまって震えるしかできなかった。怪物は三人が動けないのがわかると、それを尻目に三人の後ろのエレベーターに触れる。しかし、エレベーターは全く作動しなかった。怪物は舌打ちを打つと三人に背を向けて廊下の方向へ歩き出す。


「誤作動で奴らと無関係の人間を運んで来た挙句に、動かなくなるとはな……出たいのならば付いてくるんだ、俺が居れば他のエレベーターは動く」


 暗い廊下を一人進んでいく怪物の後ろで、顔を見合わせてどうするか考える。正体のわからない怪物を完全に信用するのも危険だが、先ほどの怪物と違って意思疎通が出来てこちらへ危害を加えてくる様子は今のところは無い。それにこの状況ではこの怪物の言う事に従うしか無いだろう。仕方なく怪物の後ろを三人が歩き、長い廊下を進んでいくと、明かりが付いているエリアに入った。明かりがあると言うだけで不気味な雰囲気は大きく薄れたように感じて、張り詰めていた緊張の糸も少しは緩んできた気がしてくる。前のエリアとは違って壁の傷も少なく、ホコリを被ってはいるが綺麗な印象を受けた。


「あ、あのー……ここって何の施設なの?」


「わからん、だが俺と奴らに関係がある研究所と思っている」


「曖昧だなぁ」


 初対面の人間でも臆せず話しかけ、誰とでも打ち解ける。そんな愛でも威圧されて意を決さなければ口を開くことさえできなかった。怪物の答えはぶっきらぼうで、質問の答え自体は期待に応えるようなものでは無かったが、怪物に少しは会話をする気がある事が分かった愛が、また質問を投げかける。


「さっき倒したのと、あなたはどういう関係?」


「奴らについては俺も詳しくはないが、人を喰う怪物だ。俺はそれを狩っている」


「そういう事をしてるあなたって……いわゆるヒーローって奴?」


「そんなものじゃない」


 愛の言葉が気に入らないのか、少し歩調が早まる怪物。


「それじゃなあに?というかそもそもあなたは誰?」


 それに合わせてスピードを上げ横に並ぶ愛。


「知る必要はない、静かについてこい!」


「ひどいなぁ! こんな状況に巻き込まれたんだしさ、ちょっとは教えてくれてもいいんじゃない?」


 怪物が声を荒げ、愛も負けじと言い返すが声の迫力も語気の強さもどれも怪物には負けている。


「ちょっと愛、あんまり深入りしない方が」


 後ろを歩いていた里美が見かねて会話を制止する。


「でも気になるでしょ? 私たちを助けてくれたんだし、それに……なんっか引っかかるんだよね、この人」


「私たちが冗談半分で関わって良い事じゃないってば、今はとりあえず地上に出るまで付いていくだけなんだから。それ以外の事は私達に関係ない。」


「冗談半分って訳じゃないんだけどさ……うーん」


 露骨に怪物とは必要以上に関わりたくないと態度を示す里美に押され、仕方ないとこれ以上の詮索をやめる愛、歩調を下げて里美と七恵の横に並んで進むことにした。目的地に着くまでは、怪物と会った頃と同じ沈黙が四人の中に重々しく流れる。




「これに乗って地上に帰るんだ、ここでの事を誰にも話すなよ」


 長い廊下をやっと歩き終えた愛達は、二つ目のエレベーターの前にたどり着く、その時にやっと怪物が口を開いた。怪物が扉の前に手をかざすと、扉が開いた。一刻も早く外に出たいと、その中に乗る里美と七恵、しかし愛だけは扉の手前まで歩くも、そこから動く気配が無い。


「愛ちゃん、早く乗ろうよ」


 七恵が早くエレベーターに乗るように愛を促す。確かに、このままエレベーターで外に出て、これ以上この出来事に関わらない事が最善なのかもしれない、深入りしない方が良い、自分達には関係が無い事だと言う里美の言葉を愛が理解していないわけでもなかった。でも、何かが心の奥に引っかかっている。もしこの引っ掛かりを、いいや、ほぼ確信している『ある事』を確かめられるのが今が最後の機会なら……


「最後にさ、一つだけ聞いて良いかな?」


「なんのことだかわからんが、知らない方が身のためだ」


 後ろに振り向き、怪物の方向に顔を向ける愛、それに視線を合わせずに答える怪物。それでも愛はいつもの里美と七恵に見せるようなニッコリとした満面の笑みで怪物に確信をぶつけようとする。正体がわからない怪物に威圧されていた今までの愛は、そこには無い。なぜなら眼前に居るこの人物は、愛にとって知らない存在ではないのだから。


「あなた――青木 龍二君だよね?」


「――ッ!」


 その名前を聞いた瞬間、愛以外の三人は衝撃を受ける。怪物も一瞬目を見開くが、次の瞬間にはすぐに俯き、その龍のような顔から表情を読み取るのは困難だ。


「愛ちゃん、何言ってるの?青木くんって同じクラスの」


 七恵が思わずエレベーターから出て愛に駆け寄る。普通の人間ならば今、目の前に居る怪物からそれほどの交友が無いクラスメイトを連想するなどありえない事だ。人とはかけ離れた姿のその正体が、人間だという事でさえ何ら確証の持てる物では無い。


「何を根拠にいってるの? 今は帰るのが最優先でしょ!」


 閉まりかけた扉から里美も飛び出て声を荒げた。自信満々の愛に、疑惑の目の二人、その三つの視線が怪物に注がれ続け、微塵も動かなかった怪物の肩が微かに震える。


「俺が……人間だと? 詮索をするな、関わるんじゃない、こんな姿になって力を使って、俺は……君たちの知らない化け物だ、それで十分だろう」


 怪物がやっと口を開いた。今までとは違う弱々しく、絞り出すような声。他人への絶対的拒絶と不信感の表れ。だがその奥に、孤独の底で一人泣いているような、そんな寂しさを愛は感じ取っていた。


「そんな事……言わないでよ。 階段で落ちそうな時もここで襲われてた時も、龍二君は仲良くも無い私達を助けてくれたでしょ? それだけで私達を襲ったのとは違うんだよ。どっちの姿でだって龍二くんには人を助ける優しい心がある! だからあなたの正体がわかったの! あなた私のピンチに絶対駆けつけてくれる、ヒーローなんだから!」


 愛が叫ぶ。目には涙を浮かべ、溜まっていた感情を一気に爆発させながら。ここで言わなければ、自分たちの命を救った優しき心を持った人物が、自らを化け物だと否定して己の存在自体を呪い続けてしまうのではないかと思ってしまったから。


 不意に蘇る学校での龍二の記憶、教室の隅で誰とも関わらずに一人、机に頬杖をついて校舎の外を眺めるその姿、その裏で人知れず怪物と戦って、自らを否定して苦しんでいた。そんな人物をどうしてみんな放っておいたのだろう。戦いに力を貸せるわけではなくとも、傍にいて支えてあげるべきじゃないのか? 私は違う、私は彼を孤独から抜け出させてあげたい。だから行動するんだ。愛の心に揺るがない決意がみなぎる。


「そんなものでは無いと言っただろう! 知ったような口を利くな、お前が何を知っている! これ以上詮索を続けるなら、俺だって容赦はしない、俺はお前たちを――」


 怪物はその手に握った剣を愛達に向けてゆっくりエレベーターの方向に追い込んでいく。しかし、その手は大きく震え、迷いや戸惑いを愛達にも伝えてくる。本気で剣を振るう気など彼には無いのだろうと愛は感じていた。それでも、愛達への拒絶の意思は固い、自らのテリトリーに侵入する者を排除しようと、その切先は鋭く光る。


「……わかったよ龍二君。また明日、学校でね」


 遂にエレベーターの中まで追いやられた愛は、真っすぐ怪物を見つめながら優しい口調で、今はダメでもいつかは分かり合おうと、まっすぐ純粋な心の籠った瞳を向けて、別れの言葉を告げた。

 

 しかし、それに対して怪物は何も答えずに、扉が完全に閉まるのを確認して、その場に崩れ落ちるかのように座り込む。部外者を排除してやっとこの姿を維持する必要がなくなった。安堵に溢れていてもいいはずなのにどこか寂しさを覚えながら、徐々に怪物が人間の姿に――青木 龍二にその形を変えていった。

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