第4話 “更なる力”…偽りのダークヒーロー編

 くやしい。


 ビクンビクンと身体を痙攣させながら、頭に浮かぶ思考。


 これだけの力を得ても、まだ足りない。

 そう考えた時、ミトラの右手に握る魔剣から、再び意思が伝わってくる。


“力が欲しいか。力が欲しいなら”


 当たり前だ! 俺に力をもっと寄越せ!

 もっとだ、もっと! もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと!!!!


“くれてやろう!”


 その瞬間、ミトラの身体の芯から溢れそうになっていた破壊衝動が、一気に決壊した。



*****



 その時、禍々しい気配が急激に膨れ上がった。


 魔物の右手から爆発的に、黒く輝くオーラが広がる。

 いや、それは実際に爆発だった。

 魔物の右手が大きく爆ぜて、文字通りに砕け散った。

 牛頭の魔物は苦痛の表情で爆ぜた右手を左手で庇いながら後退あとずさる。



 地面に片膝立ちで降り立ったミトラは、身体からその禍々しい暗黒のオーラを激しく立ち昇らせ、ゆっくりと立ち上がった。

 そして大きく両腕を広げると、天を振り仰ぐ。

 それは、天上から降り注ぐ祝福を受け止めるようにも、また地より涌き出でる怨念に突き上げられるかのようにも見えた。

 おそらくは後者だ。


 ミトラは右手の剣を握る手掌に力を込め、丸めた左手掌も岩石を思わせるほど硬く握り締めた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 ミトラは目を見開くと、地の底から地面を激しく揺らすような野太い雄叫びをあげた。

 と、見る間に彼の身体は異形の姿に変質していく。

 腕が、足が、体幹が、身体が、分厚いウロコなのか革なのか判別できない異様な魔界の物質で覆われていくのだ。

 その魔界の物質で覆われたミトラの身体は、ひと回りもふた回りも大きくなっていった。


 ミトラの雄叫びが終わる。

 そこには、まるで騎士鎧のような……騎士の鎧を着込んだようなシルエットを持つ皮を纏ったような怪物の姿があった。



 変貌したミトラを、一人と一匹は警戒しながら観察する。

 しかし、不意に一人と一匹の視界から、ミトラの姿がかき消えた。

 ミトラは魔物の背後に回り込んでいた。ただし、敵共が目視出来ない程の速度で。


 ミトラは魔物の背中を蹴りつける。

 彼のその蹴りで、魔物の巨体が吹き飛び倒れた。

 その圧倒的質量差からは有り得ない光景。


 ミトラはそのまま上に跳躍。

 二階から吹き抜けにせり出したバルコニー部の下部にまで届く高さにまで。

 そのバルコニーを再び蹴って、魔物の頭部へ一直線に突撃落下。


 魔物は右手を挙げて、攻撃をガード。

 ミトラの攻撃は見えて無い筈なのに防御出来たのは、偶然故か野生の勘か。

 しかし間に合ったガードも虚しく、ミトラの攻撃は魔物の守りを突き破る。

 肘にめり込み骨を砕き、肘から先が千切れ飛んだ。

 魔物は右の手掌だけでなく、右肘から先も失った。


「ロングモーン!!」


 兄が思わず叫んでいた。


「引け! ここは儂が食い止める! このままでは勝てぬ! 立て直すのだ!!」


 魔物が叫んだ。野太い、しかし意外にも理知的な話し方で。


「ロングモーン、しかし!!」


「引け! 下がるのだ! 貴殿の望みは、ここで儂と共に討ち死にする事か!? 違うであろう!!」


 兄は一瞬、下唇を噛んで逡巡するが、すぐにきびすを返して逃亡を始めた。

 兄を追いかけようとするミトラの前に、ロングモーンと呼ばれた牛頭の魔物が立ち塞がる。


「どけ」


「我が義によって、それはならぬ」


 ロングモーンは右手を失った苦痛をおくびにも出さず、そう答えた。



 何とか立ち上がりミトラの前に立った牛頭の魔物ロングモーンは、己を鼓舞するかのように、彼の雄叫びに張り合うかのように、激しく威嚇の吠え声をあげた。

 それと同時に、まるでミトラのオーラに対抗するかのように、地面から魔物を中心に激しく雷撃が立ち昇る。


──これは……この攻撃は!


 それは、ミトラがこの世界に来る直前にこの魔物と戦っていて、パーティーを壊滅させた原因となった攻撃だった。

 恐らくこの魔物の切り札だ。


 しかし──。


 ミトラの身に纏った魔界の“鎧”は、殆ど雷撃を通さない。

 彼は悠然と広げた腕を身体の正面に持っていき、剣を両手で握り締め、剣を顔の右横辺りに持って行く。

 いわゆる蜻蛉とんぼの構えだ。



 魔物の雷撃が止んだ。

 魔物の表面に時折走る雷光。雷撃の影響で、未だに身体に帯電しているのだろう。

 先程の雷撃の凄まじさがしのばれる。



 ミトラは魔物に向かって一足飛びに距離を詰め、剣を振り下ろす。

 ボッと何かが破裂した様な、炎が燃え上がったような音がする。それは剣を振り下ろした際の風切り音なのか。


 しかしミトラの剣は、虚しく空を切った。


 魔物が、それまでの動きとは一線を画する、有り得ない速さで避けたのだ。

 そのまま、魔物は有り得ない素早さを保ったままミトラの背後に回り込み、横殴りの裏拳を放つ。

 その攻撃を予想していたミトラは、前方に転がり拳を避ける。

 そしてその勢いのまま、素早く起き上がって魔物へ向き直った。



 これが、この速度こそが、この魔物の真の切り札だった。


 最初の雷撃は、あくまでも副次的な効果。

 本当の目的はいかづちの力で、身体の動きを、反応を高め、圧倒的速度で敵を殲滅することにあった。



 両者は暫く睨み合う。

 両者の間の空間に濃縮される殺気で、時空が歪むかのよう。

 その間は数瞬か数分か。


 やがて両者は、申し合わせたように雄叫びをあげながら、相手に一直線に向かっていった。



*****



 その吹き抜けの空間には静寂が戻っていた。

 先程までこの空間に吹き荒れていた暴乱の嵐は、その爪痕を残すのみ。



 ミトラは自分の目の前に倒れる牛頭の魔物を見つめている。

 魔物の右眼には唸り声を上げる魔剣。

 刺さった箇所から脳幹まで達している。


 その巨体を支える莫大な大きさの魂を、魔剣は旨そうに、はしたなく啜っていた。



 ミトラと魔物との速度は確かに互角だった。いやむしろ、魔物の方がわずかに速いぐらいだった。

 だが、魔物はなぜ常に雷を纏っていないのか。

 あの速さを常に出しておれば、あらゆる場面で有利になるだろう。

 だが奥の手として普段は封印していたのは何故だったのか。



 ミトラと魔物は何十合と打ち合っていたが、そのうち魔物の目や耳や口から血が吹き出てきた。

 そう、普段以上の速さを得る為に、ロングモーンは膨大な負荷を肉体に課していたのだ。


 やがて魔物は口から大量に喀血し、大きく体制を崩す。

 ミトラはそれを見逃さず剣を振り下ろす。

 最後の力とばかりに身体をよじった魔物の左腕が、肩から跳ね飛ばされた。


 どう、と倒れる魔物。決着は付いたと、ミトラはトドメを刺すべく近寄っていった。


「負けぬ! させぬ! あやつを殺らせるものかあ! キサマごときヒトの痛みが理解出来ぬチビ助にいい!!」


 だがロングモーンは、覚束おぼつかない足で立ち上がり、彼に向かって牙を剥き出し威嚇の吠え声をあげた。

 もはや彼我の戦力差は決定的になったというのに、恐るべき闘争心だった。


 しかしミトラは一切の動揺無く、魔物の鼻先まで飛び上がり、唸る混沌の化身をロングモーンの右眼の奥の奥まで突き入れた。




──あの男は、逃げたか。


 しかしミトラは、兄が持っていた“ニホントウ”の事を思い出し、もしかしたら兄の本拠地は日本なのかと推測する。

 どのみち他に行き先の手掛かりは無いのだ。

 ミトラは、自分のプライドを傷つけた兄を見逃すつもりはなかった。



──待っていろ。地の果てまでも追い詰めて殺してやる。



*****



 俺の話を聞いてくれるのかい?

 聞いてくれるなら、話そうじゃないか。

 語ろうじゃないか。話そうじゃないか。



 全てはアイツが生まれた時から始まったんだ。



 弟のミトラが生まれたその日は、昼の陽の光が欠けた不思議な日でもあった。

 太陽が欠ける羅睺らごう……日食を見た事が無いエルフは少なかったが、あまり良い事でもなかったので、村は少し浮き足立った雰囲気だった。


 その日からまた数日後、たまたま村に立ち寄っていた旅のエルフの賢者様が、何事か村長と両親に話していた。

 彼等が何度も俺をチラチラ見るので、とても気恥ずかしく居心地悪い気持ちだったのを覚えている。

 やがて母が泣きだし、父が母の肩を抱いて慰め始めたのを最後に、話は終わったようだった。


 賢者様は肩をすくめ首を軽く左右に振ると二人から離れた。

 そのまま彼は俺の方へ来ると、俺の頭をそっと撫でる。見上げると、賢者様は悲しげな目をして俺を見つめていた。



 当時はさっぱり意味が分からなかったが、今なら何となく分かる気がする。




 ああどうか、話を聞いてくれるのなら最後まで聞いてくれ。


 俺のかけがえのない仲間達の話を。

 俺の心を救ってくれた恋人、フェットチーネの話を。

 そしてエルフである俺が、どうしてこの現代に来てしまったのかの話を。


 だからどうか、聞いてくれるのなら最後まで聞いてくれ。

 ……頼むから、俺の話を聞いてくれ。




 すまない、俺自身の事を語るのを忘れていたな。


 俺の今の名前はマロニー。

 本当の名前は捨てた。


 弟のミトラを葬り去るまでは、それは意味の無い名なのだから。

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