第8話 事実

 シャラン……と、ガラスのウィンドベルが鳴った。

 結が工房から店を覗くと、スイレンが売り場に飾られている商品たちに美しい羽をのばしていた。


 広場での爆発騒ぎの後、ネギやんと共に路地裏に隠れていたカルガモ族の姫スイレンと、従者のアジュガに出会った直人と結は、ネギやんの希望もあって、ひとまずスイレンとアジュガを、結の店に避難させることにした。


 店に入って、ようやくフードをはずしたスイレンは、店に並ぶガラスたちを見るなり目を輝かせた。

 フードに隠れて見えなかったが、スイレンは、青や緑にオレンジの混ざった、朝焼けの海のような不思議な色合いのガラスでできた、ティアドロップ型のペンダントを着けていた。


 それは、紛れもなく結が作ったガラスだった。


『わたくし、結さんの作るこのガラスが大好きなんです。いつか、ここに来てみたいと、ずっとずっと思っておりましたのに……こんな形でお邪魔することになるなんて』


 スイレンはそう言ったきり、憔悴しきった様子でふさぎこんでいた。

 気付けば深夜になろうというのに、結が出した食事ものどを通らない様子で、ほとんど飲まず食わずの状態だった。

 結がスイレンに声を掛けようとしたところに、ウィーンと音を立ててアジュガが足元へやってきた。

 アジュガの歩行補助具は、地面から数センチ浮いていて、最大で三十センチ程度は浮くことができるらしい。多少の段差は難なく超えて、テーブルの前までやってきた。


『お心遣い、感謝します』


 ぐあぐあと話すアジュガの声の上に、歩行補助具についているスピーカーから、同時通訳のAIの声が重なる。


「ううん。えーっと、ごほん」


 結は、のどに手をあてて咳払いをすると、何度か「ぐあ、ぐあー」と言った後で、ゆっくりと「ぐあぐあっ、ぐあぐぁぐぁ」とカモ語を話した。

「気にしないで。私の店にようこそ」という意味の言葉を言ったのだが、アジュガは驚いて、羽根を広げた。


『驚きました。カモ語がお上手ですね。ネギ殿から聞いていましたが、予想以上でした』


 アジュガが感嘆したので、結はえっへんと胸を張ってから、にっこりと微笑んだ。同時、突然店のドアが開いた。


 直人が端末を片手に、もう片方の手で頭をがしがしとかきながら入ってきた。

 スイレンが驚いたので、直人は両手をあわせて謝罪のジェスチャーをしてから、ドアに鍵をかけた。


「だめだ。ぜんぜんつながらない」


 仕事用もプライベート用もどちらもだ、と、直人は二台の端末をテーブルの上に置いて、お手上げのポーズをした。


「原因は不明ですが、メールや音声通話等に使用される回線に、ジャミングがかかっています」

 直人に放り出された仕事用の端末から、アリスが説明した。


「そっかあ。ありがとう、直人。アリスちゃん」


 結が困ったように微笑んで答えるのを見ながら、直人は仕事用の端末を二の腕のホルダーに戻した。


「これも、爆破のテロリストのせいか?」

「現時点で断定すべきではありませんが、それらと無関係という可能性は低いでしょう」


 冷静なアリスの声を聞きながらため息をつく直人の足元に、アジュガが移動してきて、直人を見上げた。


『通信を妨害しているのは、エヴァナブルグ内に残っているカルガモ族に、族長との連絡を取らせないためだろうと、ネギ殿が言っておりました』

「ネギやんが? そんなにカルガモ族ってエヴァナブルグにいるのか?」

『いえ。数えるほどしか……。実際、最も警戒されているのは、ネギ殿であろうとも言っておられましたが』

「ふうん……? そのテロリストが誰かってのは、ネギやんは検討がついてる風なこと言ってたが……ひとり……あいや、一羽で出て行って大丈夫だったのか?」


 直人は「ちぃっと仕事してきますさかいに、お二人を頼んます」と言って出て行ってしまった、ネギやんの後姿を思い出していた。


『テロリストについては、私から説明いたします』


 アジュガはそう言うと、同意を求めるようにスイレンを見た。スイレンは悲しそうな瞳で頷く。


「お話なら、みんな座ってしよう? お姫様も、疲れちゃうよ?」


 結は優しく微笑んでそう言うと、店と工房の敷居の前で立ち止まっているスイレンに向かって、カモ語で「こちらへどうぞ」と話しかけた。スイレンはとことこと歩いてきて、ソファに座った。



『結論から申しますと、今回の爆破事件は、海側ダスマーシゼルカンド防衛軍大佐、ノア・カーティス・カムロギが主導したものです』

「シゼルカンドの大佐だって?」


 アジュガが話し出した言葉に、直人は思わず大声を上げた。


『はい。ただし、これはシゼルカンドの意思ではありません。シゼルカンドが申し出た和平調停案は、間違いなく本物であり、シゼルカンド政府が本心から調停を結ぼうとしたものです。シゼルカンドは、間違いなく争いをやめ、和平の道を選ぼうとしていた』


「軍が仕掛けたワケじゃないってことか?」


『はい。シゼルカンド政府も軍も、何も知らなかったはずです。

 これは我々が、ネギ殿の情報網を元に突き止めた真実です。少し長くなりますが、説明いたします』


 アジュガはそう言って居すまいを正した。


『ノアは過去に「陸側の人間は星を喰いつぶさねば生きていけない害虫であり、駆除されねばならない。狩りは、陸の人間を根絶やしにするまで必要なことだ」とまで発言していました』


「そんな、ひどいこと……」

 結が震える声で言った。


『ええ。ひどいことです。そのような考えを持つ彼が、突然、狩りの撤廃を盛り込んだ和平案に賛成を表明したんです。とても本心とは思えません』


「爆破テロでぶち壊すためだけに、和平案に賛成したってのか? おいおい、ちょっと理解できないなあ」


 直人が結の背を撫でながらそう言うと、スイレンが目を伏せた。

 アジュガは一度、心配そうにスイレンを見てから、どこか痛みをこらえるような顔をして、声を絞り出した。


『和平案の失敗というより、その先に目的があるのです』

「その先?」


『戦争――です』


「え……?」


 アジュガの言葉を、直人も結も、すぐには理解できなかった。


『戦争です。それも、陸側ランドの人間を孤立させ、我々カルガモ、クロガモ両カモ族と、海側ダスマーの連合軍を結成し、陸側ランド対世界という構図で、世界大戦を起こそうとしているのです』


 直人と結は絶句した。

 すでに奪い合う領地も何もかもが破壊された後のこの世界で、再び戦争などを起こして何になるというのか。

 海側ダスマーがほしいのは、陸側ランドの科学技術だ。人が扱う技術だ。技術者が戦争で死に絶えてしまっては何の意味もないのではないか。


 そもそも、戦争が起こらないようにするのだというのが最大の名目で、狩りは行われてきたのだ。戦争を避けられるのならばと、必死に狩りシステムに耐えてきたのではないのか。


『今回の爆破テロは、エヴァナブルグがスイレン様を殺害し、それに憤慨したカモ族が、シゼルカンド防衛軍と共闘するというシナリオで計画されたものだと思われます。

 カモ族は、族長という存在を何より敬い、大切にしています。我々カモ族にとっては、カルガモ族族長も、クロガモ族族長も絶対的な存在です。その族長の長子であるスイレン様を、血気盛んなクロガモ族の眼前で害する――そして頭に血が上ったカモ族を、ノアの思いのままに操ろうというわけです』


「そんな……そんなことのために……お姫様を……?」


 結の声が、怒りと悲しみで震える。その声を聞いたスイレンの目からは、涙が一粒、ぽたりと零れ落ちた。


『わたくしが……わたくしが愚かでした。まさか、あのようなことが起こるなんて。わたくしの身代わりになった侍女は、わたくしが幼いころから共に育った、姉のような存在でした』


「お姫様……」


 結が思わずスイレンに駆け寄り抱きしめた。

 アジュガも痛みをこらえるような顔をした。


『我々のジェナブロニクへ、シゼルカンドから、親書を届ける役目についての打診があったとき、私もネギ殿も何かあると思いました。念のためにと、自身を護る術を身につけた、スイレン様の侍女を身代わりに立てることにしたのです。

 しかし我々が想定していたのは、誘拐やスイレン様単体を狙った狙撃でした。だから、銃撃を防ぐためや連れ去られてもすぐに助け出せるための準備しかしていなかったのです。まさか、多くの人間をも巻き込んで爆破するなど……思いもよりませんでした』


 そう言って項垂れたアジュガを見て、直人は、父の葬儀の日の結を思い出した。我知らず、胸が締め付けられる。


「あんたが悪いわけじゃないだろう。ネギやんだって……。

 しかし、そのノアって奴は、何だって戦争を起こしたいんだろうな。

 海側ダスマー陸側ランドに戦争で勝てるとは思えないけど」


 陸側には、最新鋭の科学技術と、それを活用した兵器がある。

 海側から陸側を攻撃するには海戦になると思うが、潜水艇も高速艇も、エヴァナブルグのものが速いし、搭載している武器も段違いに強力だ。


 不安があるとすれば――長期化による燃料切れというところか。

 だが、長期化するまでもなく、シゼルカンドを潰すだけの兵力は有しているはずだ。



『直人さんは、我々カモ族が、元は戦争のための生物兵器だったことをご存知ですか?』


「……は?」


 戦争のための生物兵器。


 今、確かにアジュガはそう言った。

 戦争という言葉にさえ、未だに追いついていない直人には、あまりに衝撃的な言葉で、現実感がもてない響きだった。


『直人さまたちのご両親の世代までは、皆様当たり前にご存知でした。しかし、カモ族が自治を認められてからは、これらの情報は禁忌となり、ひた隠しにされてきました。人道にもとる……ということらしいですけれど、どんなに隠しても事実は変わりません。

 先の大戦の折、とある国家が我々の始祖を、遺伝子操作と軍事教育で創り上げました。

 カルガモ族は諜報部員。クロガモ族は殺人兵器として』


 すっかり血の気の引いた顔で呆然とする二人に、スイレンが語る。

 自分たちが生まれた頃にはすでに自治区を得て、文化的に交流していたカモ族が、人間が人間を殺す目的で育て上げた兵器だなんて、二人にはとても信じられなかった。

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