第6話 路地裏の遭遇

 直人は、歯を食い縛って結を抱えたまま受け身をとった。


「大丈夫か?」


 慌てて声をかけながら、結を助け起こす。

 結は呆然としながらも、こくんと頷いた。

 直人は、結に目立った外傷がないことを確認すると、パレードコースを振り返った。


「アリス」


 思わず呟いた声が震えた。


「何が、あった?」


 直人と結が見たのは、激しく燃え上がる炎と、巻き上がる黒煙。

 その発生源は、ほんの一瞬前まで、カルガモ姫が乗っていたパレードカーだった鉄塊。

 血だらけで倒れている人々と、泣き叫ぶ人々。

 うろたえる警備兵や警官たちと、怒り狂ったように雄叫びを上げて、羽飾りをふるい落としている二羽のクロガモ族。

 まるで悪夢のような景色だった。


「詳細は不明ですが、パレードカーが爆発しました。

 オンラインニュースチャンネルのカメラが捉えていたクロガモ族が、互いに目配をした後、突然急降下を開始した為、マスターに警告を発しました。

 しかしながら、クロガモ族が地上五メートル圏内に到達するより以前に、パレードカーが爆発したことから、彼らの降下が爆発の原因である可能性は低いと推察します」


 アリスの機械的な言葉が、無感情なだけに、更に現実感を失いかけたが、直人はなんとか己を取り戻して、アリスに問いかけた。


「だとすれば、クロガモ族が急降下した理由は何が考えられる? 元々決まっていた演出か?」


「いいえ。彼らの様子から推察しますと、何かに気付き、慌てて降下を開始したように見えました。彼らは、爆発の予兆のようなものを捉え、降下した可能性が高いと思われます」


 直人は、必死に消火スプレーを吹き掛けている軍人たちを見ながら、アリスの言葉を聞いていた。

 どんなに必死に消火をしたところで、カルガモ姫も、同乗していたであろうSPたちも、生存しているとはとても思えない有り様だった。


「ぐああああああ! ぐああーーっ!」


「ひぅっ!」


 突如クロガモ族が一段と強い雄叫びを上げ、それぞれの羽根を刃物に変えて威嚇するように振り上げた。

 結が悲鳴をあげて耳を塞ぐ。

 周囲の軍人や警官たちも、対処に戸惑っており、クロガモ族たちはその巨躯を揺らして、足を踏み鳴らしていた。


「結…・離れよう。さ、俺に捕まって」


 直人は、ぐあーぐあーとしか聞こえない雄叫びに背を向けて、結の肩を支えて奥の路地を目指した。


「アリス、あのクロガモたちが何を言っているか翻訳できるか?」


「はい、マスター。

 ……臆病ものの人間たち。出てこい。卑怯もの。など、あとは罵倒を意味するスラングのようなものと思われます」


「何だって?」


 クロガモ族は爆発を何者かによるテロのように認識し、そのテロリストに呼び掛けている……ということだろうか。


 路地を曲がってクロガモ族が完全に見えなくなると、結をそっと座らせて、背をさすった。

 結は、何度か深呼吸をした。


「ごめんね……直人。もう大丈夫。ちょっとびっくりしちゃって」

「いや、無理するなよ。俺だって驚いたしさ」


 結はふるふると首をふって、笑顔を作ると、直人の二の腕に向かって声をかけた。


「アリスちゃんも。ありがとう」


「私は、マスターの指示に従ったまでです。

 結さんは、精神的なショックを受けた可能性が高いので、今から帰宅するまで、マスターと手を繋ぐことを推奨しま」

「アリス!」


 直人は真っ赤になって慌ててアリスを遮った。


「医学的な根拠に基づいたアドバイスですマスター」

「うるさい、この非常事態にお前は」


 自分の二の腕に向かって、真っ赤な顔で怒る直人を見て、結はきょとんとしたあとで「ふふっ」と笑った。


「直人とアリスちゃんは仲良しだね。二人とも、ありがとう」


 その笑顔が眩しくて、直人は更に顔を赤くした。


「いや、結が泣かなくて、良かったよ」

「あっ!」

「えっ? なっなにっ?」


 結が突然、直人の後ろを見て指をさした。


「今、誰かあそこに……」

「えっ?」

「追いかけよう!」

「はあっ?」


 結は直人の手をひいて、突然狭い路地に向かって駆け出した。


「ゆ、結、どうしたんだ、急に」

「変な人がいたの」


 直人は、結を追い越して「こっちか?」と確認をしてから、結の手をひいて走った。


 しかし、路地の先は直進と左の二つに枝分かれした道に出てしまい、直人は立ち止まってしまった。


「結、どんな人を見たんだ?」

 直人が振り返ると、結が肩で息をしながら答えた。


「軍の人の格好、してたの」

「軍の?」

「うん。でもね、すごく、パニックになってて」

「ん?」


 結は困ったような顔で首を傾げた。


「すごい、怯えてて。まるで、逃げるみたいに。転びそうになりながらこの路地に入っていったの」

「そりゃ……随分と臆病な軍人だな」


 直人も結につられたように首を傾げた。


「でしょう? それに、聞こえたの」

「何が?」

「話がちがうって……端末に向かって話してた。すぐに切れちゃったみたいだったけど」


「ソイツ! 怪しいでっせ!」


 突然、聞き覚えのある声が、狭い路地に響き渡った。


「わあっ!」

 結が飛び上がって、直人にしがみついた。

 直人は反射的に構えながらも、声の主の正体には検討がついていた。


 直人と結が立っている横の、ビルの裏口から、ぴょこんと出てきたのは、予想通り、ネギやんだった。


「さっすが結はん! お目が高いわ!」


「ねっネギやん! びっくしりしたあ」


 結がへろへろと脱力する。


「無事だったんだな。爆発の前にのぼりを見たよ」

 今の今まで忘れてたけど――と、直人はこっそり心の中で付け足した。


「さ、こちらへ。このお二人なら、安心ですわ」


 ネギやんがビルの中に声をかけた。


 事態が呑み込めず、きょとんとする直人と結の前に、ネギやんが恭しく差し出した手――もとい羽根に、優雅な動きで羽根がふわりと乗った。


 暗いビルから現れた優美な羽根の持ち主は、白鳥のようなスラリと伸びた首筋に、整った羽毛で、フード付きの真っ白なマントを羽織っていた。

 フードから覗く、長いまつげに縁取られた瞳は、憂いの色に潤んでいる。


 彼女が優雅なしぐさで二人の前に降り立つと、ウィーンという僅かな機械音と共に、小さなカルガモが後を追って出てきた。

 こちらは、ネギやんの腹のあたりにようやく届こうかというくらいしか背丈がなく、地面から数センチ浮いた移動補助具に乗っていた。


「ぐあ、ぐああ…」

『初めまして。こちらは、カルガモ族、族長が長女、スイレン様。私は、従者のアジュガと申します。』


 アジュガと名乗ったカルガモが声を発するのとほぼ同時。彼の移動補助具から、旧式のAIらしいたどたどしいイントネーションで翻訳された言葉が聞こえた。


 直人と結は、呆気にとられて立ち尽くした。

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