2
人通りの多い駅前。久しぶりに足を踏み入れた夜の街の騒々しさに、綾香は辟易した。通り過ぎる人を横目に、バックからスマートフォンを取り出す。
時刻は午後六時三十分。待ち合わせの時間より三十分も早く着いてしまい、綾香は自身が緊張していること気付く。
どんな顔をして会えばいいのか。なんて言葉を掛ければいいのか、考える度に、変わってしまった二人の関係を思い知らされて、胸が痛くなった。
身体を売り、身体を買う。それでも、綾香は自身の欲望を満たす気はなかった。
ただ一緒に居たい。それだけだった。
「こんばんは」
彼女の声に背筋が伸びる。
「……愛ちゃん」
黒く長い髪。切り揃えられた前髪に、どこか幼さの残る整った顔立ち。花柄のトップスに、黒のジャンパースカート。そこには、変わらない愛の姿があった。
思わず涙が零れそうになる。綾香はぐっと目を閉じて、涙を堪えた。
「待ちましたか」
淡々と愛は言う。綾香は腕時計で時刻を確認する。
「ううん。さっき来たところ」
六時四十分。愛が待ち合わせより早く来てくれたことに、綾香は少し嬉しくなる。
「よかったです。行きましょう」
「あ、よかったらご飯……食べてかない?」
綾香の誘いに、愛は冷ややかな視線を向ける。
「私、食べてきたので」
「そっか……ごめん」
綾香は俯く。冷たい愛の態度に胸が苦しくなる。
なにやってるんだろう、と自分が酷く惨めに感じた。
「……少しだけなら」
思わぬ言葉に、顔を上げる。
少し困った様子の愛。綾香は安堵する。
「ありがと愛ちゃん。少し歩いたところにサンドイッチが美味しい喫茶店があるんだけど、どうかな」
綾香の問いに、愛は無言でうなずいた。
街外れの喫茶店で軽く食事を済まし、ホテルへ向かう。
再び夜の街へ足を運び、繁華街を抜ける。
「……あの子」
思わず聞き逃してしまいそうな小さな声。
「天野さん?」
隣を歩く、愛の表情は見えない。
「綾香さんに懐いてたね」
「うん、よく通ってたからね。聖月学園に通ってるんだって。凄くいい子だよ」
そうなんだ、と短くいい、愛はバックからスマートフォンの取り出した。
綾香は横目に、スマートフォンの画面を見る。
月曜日。二十一時。
二つ返事で返す愛の姿に、胸が痛む。
少し歩くと、目の前に目的のホテルが見えた。
「着いた」
綾香は、フロントへ足を進める。
「待って」
呼び止められ、振り向く。
「ここ、高いよ。もっと安い所でいい。もう少し歩けば四千円ぐらいの所があるから」
「いいの。どこを選んでも、私の自由でしょ」
「……うん」
俯いてしまった愛の手を引く。
独自の雰囲気が漂うお洒落なロビーを抜け、フロンで受付を済まし部屋へ向かう。
天蓋付きのキングサイズのベッド。暖色系の落ち着いた雰囲気の照明。まるで宮殿の一室のような高級感あふれる内装に、思わず息を呑んだ。
「……凄い」
「綾香さんはじめて?」
机の上にあるリモコンを手にし、エアコンの温度調整をしながら、愛は言った。
「うん。中々いい所だね。愛ちゃんは?」
「五回くらい」
愛は淡々と答えると、
「お金、先払いです」
目を逸らしながら言った。
「うん、わかった」
綾香はバックから財布を取り出す。一万円札を三枚取り出し、愛に渡す。
そうだ、と愛は一万円札を受け取らずに、
「アブノーマルなプレイは出来ないけど、大丈夫ですか」
淡々と言う。
「……例えばどんなの?」
綾香は問いかける。愛に不快な思いをしてほしくなかった。
「お尻に挿れようとしたり、アナルを舐めさせてきたり。叩かれるのも嫌。イマラチオも。首を絞めながらするのも、唾液を呑ませてくるのも無理。クンニはいいよ」
訊かなければよかったと、酷く後悔した。
「わかった。大丈夫だよ、そんなことしないから」
綾香がそう言うと、愛は一万円札を三枚受け取り、自身の財布にしまった。
「先にシャワー浴びてきます」
「うん」
浴室へ向かう愛の背中を眺める。愛の姿が浴室に消えると、自然と涙が零れてきた。
やることは決まっていた。それ以上のことをする気はなかった。
言葉は届かないと、綾香は確証していた。
だから、行動で示さないといけない。
届くかどうかは分からない。
それでも、あの夜。もうシたくない、と助けを求めていた愛の言葉は、確かに本物だと、私は思う。
ベッドの上で、向かい合う。バスローブ姿の彼女の姿に昂る気持ちを抑える。
愛の視線は私に向いていない。
優しく彼女の身体を抱きしめる。
彼女の温もりが伝わってくる。ゆっくりと、彼女の手が私の背に伸びる。
少しの間、そのままの姿勢で抱きしめ合った。
ゆっくりと彼女を押し倒す。目が合う。何故か今にも泣きだしそうな彼女の表情に、胸がきゅっと締め付けられる。
浅いキスをする。そのままベッドに身体を委ねて、再び、彼女を抱きしめる。
「――しないの」
微かに震える彼女の声。
「これも、アブノーマルかな」
戸惑う彼女の身体に、ふかふかの掛け布団を掛ける。
「好きにしていいよ。じゃないと勿体ない」
彼女の言葉に、首を横に振り、答える。
「眠たくなるまで、こうしてたい。だめ、かな」
戸惑うように、彼女が首を横に振る。
優しく彼女の頭を撫でる。ゆっくりと、愛おしむ様に。
おもむろに、彼女が私の胸に顔をうずめる。
胸が温かくなる。彼女の背中を撫でる。
どうか、明日が来ませんように。そう祈りながら、彼女の温もりを抱き締めた。
目を覚ますと、彼女はいなかった。
残されたのは彼女の微かな温もりと、残り香と、ひとりぼっちの私。
身体を起こそうとすると、涙がベッドに落ちた。
溢れる涙で視界がぼやける。
膝を抱える。顔をうずめて、綾香は泣きじゃくった。
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