夜に手を伸ばして

 夢を見ていた。

 それはつい最近まで傍にあったものだった。

 それはもう叶わない夢だった。

 あたたかい夢とは裏腹な、冷たい現実。

 目を覚ましてしまったことに後悔しながら、綾香は身体を起こした。

 あれから二週間が経った。愛と連絡が取れないまま、綾香は狂ったように酒を呑む生活を送っていた。

 まだ蒸し暑い夏の夜。冷房の効いた部屋。

 リビングの壁掛け時計は午後六時三十分を指している。いつの間にか外は夕焼け色に染まっていた。

 酷い頭痛で痛む頭を押さえる。地面に足を着けると、からん、と音を立てて空き缶が転がった。

 綾香はローテーブルの上からビールを手繰り寄せ、缶を開けた。

 乾いた喉を潤すように、ビールを身体に流し込む。おもむろにソファーにあるスマホを手にする。画面を点け、愛とのトーク画面を開く。

 ――未読。

 分かっていたことだった。それでも密かに希望を抱いていた。心がきゅっと締め付けられる。堪えきれずに涙が零れた。

 一緒に過ごした部屋。一緒にお酒を呑んだソファー。一緒に寝たベッド。

 こんなに弱かったっけ、と自嘲的な笑みが零れる。

 それだけ好きだったんだ、どこかで声がすると、再び綾香の目から涙が零れる。馬鹿だな、と思う。年下の女の子に本気で恋をしていたのだ。

 惨めだ。どうしようもなく惨めだ。

 遊ばれていた、そう考えることが出来たらどれだけ楽になれるだろう。


 私の名前を呼ぶ姿も。

 抱き着いて甘えてくる姿も。

 もうシたくないと弱音を吐く姿も――。


 綾香は、はっ、とする。

 咄嗟にスマホを手にし、愛に通話をかける。

 コールが鳴り続ける。綾香は目を閉じる。

 どうか、出てくれますように。

 そう頭で強く願い続けていると、カチャっと、通話に切り替わる音が鳴る。

「もしもし」

 綾香は固まる。

「綾香さん?」

 心配するような愛の声。綾香の目から涙が止まらなくなる。

「……愛ちゃん」

 涙声になりながら、なんとか彼女の名前を口にする。

「どうしたんですか」

 愛は突き放すように淡々とした口調で言う。

 綾香は言葉に詰まる。間違ったことを言えば、もう二度と話せような気がして、必死に言葉を探す。

「用がないなら切ります」

「――待って」

 綾香は言葉が見つからず、

「……会いたい」

 それは、咄嗟に出た言葉だった。

 愛は黙ったまま。綾香は返答を待つ。

「私、3万ですよ」

 思いもよらぬ言葉に胸が痛む。ナイフで傷つけられたように鋭い痛みに、綾香は胸を押さえた。

「ホテル代は別です」

 もう恋人として会ってくれないことに落胆しながらも、

「わかった」

 綾香は頷く。沈黙が二人を包む。

 綾香は真っ直ぐと前を見つめる。しっかりと前を見つめ、そして決意する。

 最初に口を開いたのは綾香だった。

「いつ空いてるの」

 少しの沈黙の後、

「……金曜日」

 小さな声で愛は言う。

 金曜日。その言葉に綾香の胸は切なくなる。息を呑む。優しく静かな声で

「わかった。来週の金曜日に、お願い」

 綾香は言う。少しの間の後、

「わかりました」

 愛は淡々とした口調で言い。それじゃあまた、と別れの言葉と共に通話を切った。

 耳元が静かになる。愛くるしい彼女の姿を思い出し、胸が痛くなる。

 それでも、会えばまた元に戻れるかもしれない。そんな小さな希望が綾香を駆り立てた。

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