愛おしい――と、愛は思った。

 ひとり暮らしにしては広いダブルベッド。

 普段は寂しさを感じる広いベッドの上で、綾香は静かに寝息を立ていた。

 愛はおもむろにぶかぶかのTシャツを脱ぐ。

 下着姿になった愛は、綾香の身体からタオルケットを除ける。

 裸の綾香。綾香に覆いかぶさるように、愛は綾香に近づく。

 薄い唇をなぞる。小さく声を漏らすと、綾香の小さな八重歯が目に入る。

 薄い唇から覗く、綾香の小さな八重歯が、愛は好きだった。

 綾香の茶髪の髪を掻き分けて、愛は綾香の額にキスをする。

 身体を下にずらし、綾香の胸に耳を当てる。

 温かい。鼓動が、温もりが伝わってくる。

 ――愛ちゃん。

 名前を呼ばれて、愛は驚く。聞き間違えかと耳を疑う。

「綾香さん……?」

 綾香は小さく頷き、愛を抱きしめる。

 愛はどうしたらいいか分からずに、抱き締められるがまま身を委ねる。

 綾香の寝息が聞こえる。温もりを感じる。

 ああ、どうかこの時が永遠に続きますように。

 そう願いながら、愛もまた眠りに落ちた。


 悪夢に魘されたかのように、目を覚ます。

 動機が激しい、息をするのが苦しく、身体が冷たい。

 縋るように辺りを見回す。広いベッドには一人きり。綾香の姿は無い。

 愛は力なくその場で俯いた。

 ――また、ひとりだ。

 身体が冷えていくの感じる。寒しさが身体の奥から込み上げてくる。

 さすがにやりすぎたと、愛は後悔した。

 胸の奥が搔き乱される。嫌だと泣きたくなる。

 突然、インターホンが鳴る。まさかと思い、愛は急いでモニターの前へ向かう。

「愛ちゃん、起きてる? ごめん、開けてくれないかな」

 買い物袋を手にした綾香の姿と声に、愛はそっと胸をなでおろした。

 無言でロックを解除し、綾香がエントランスに足を踏み入れる。

 その場に立ち尽くし、考える。

 綾香を失ったらどうなるのだろう。想像するだけで愛は怖くなる。

 罰だと思った。必要以上に綾香を求めてしまった罰だと愛は思った。

 インターホンが再び鳴る。おもむろに玄関へ向かい、鍵を開ける。

 どこか落ち着いた様子の綾香に、愛は悟る。

「愛ちゃん、服着ないと」

 黒い下着姿の愛を見ると、綾香はそう言って愛の頭を撫でた。

 綾香が扉を閉める。

「ご飯にしよう。おなか減ったでしょ」

 綾香の問いに、愛は頷いた。


 綾香が作ってくれたのは、にらのもやし炒めとご飯、玉子焼きと味噌汁だった。

 二人用の白いダイニングテーブルの上に、食事が並ぶ。

「お椀、二人分あってよかった。一応紙皿買ってきたんだ」

 まるで昨晩のことを忘れたかのように、明るい口調で綾香は言う。

「どう? お口に合うといいんだけど」

「美味しいです。作らせてしまってすみません」

 ううん。と綾香が首を横に振る。

 お昼のニュースを横目に、箸を口へ運ぶ。沈黙した空気。どこからか漂う別れの匂い。

「綾香さ――」

『愛ちゃん』

 遮る様に綾香が口にする。

「ご飯食べたら、話があるの」

 どこか気まずそうな綾香の表情に、

「今、話してください」

 諦めたように愛は言う。

 少し悩んで、

「私、同性を好きになったことないから、どうしたらいいのか分からない」

 困ったような表情で、

「歳も歳だしね。親は結婚しろって煩いし……でも」

 綾香は続ける。

「だから、代わりでいいって言ったじゃないですか。彼氏ができるまで使ってくださいよ」

「そういうの嫌い」

 綾香は愛に向けて言い放つ。

 思わず愛は綾香を見る。

「代わりとか、使ってとか、それ私の元カレと同じことしろって言ってるようなもんじゃん」

 初めて見た綾香の表情に、愛は戸惑う。

「そんなつもりじゃ……」

 俯く愛に、

「ねえ、愛ちゃん――“付き合ってみよっか”」

 愛は言葉を失う。

 思考が止まる。綾香さんは何を言ってるのだろう。きっと聞き間違えだ。

「好きになれるかは正直分からない。でも、私、愛ちゃんのこと放っておけない。もっと愛ちゃんのことを知りたい。ほら、付き合って初めて分かる事とか、見える事って結構あると思うんだ。だから、ね」

 言葉が出てこなかった。そんな言葉をかけてもらえるなんて、愛は微塵も思っていなかった。

「愛ちゃん、泣いてる」

 綾香に言われて、愛は自身が涙を流していることに気付く。

「嫌だった?」

 愛は首を横に振る。

「迷惑じゃない?」

 愛は頷く。

「じゃあ、付き合おう」

 綾香は立ち上がる。ゆっくりと愛の方へ向かい、手を差し伸べる。

 愛は綾香を見上げる。

 涙を袖で拭い、戸惑いながらも綾香の手を握った。


 ひとり寂しい夜に、手を伸ばしたあの日を、心の底からよかったと思う。

 少しずつ、少しずつでいいからお互いのことを知れたらいいと、その時の私は、確かにそう思っていた。

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