慈悲

 金属がぶつかる音が、闇の中から響く。あの奥は、牢。檻に何か大きなものが体当たりをしているのが、頭に浮かぶ。

「……くそっ!」

 闇の奥から反響してきたのは、アーヴェントの悪態だ。その後に獣の唸り声などなくとも、彼が何を見たかなど、容易に予想が着く。

「マリア!」

 ラスティがはたき落とした剣にも構わず、ユーディアは女騎士に詰め寄った。だが、彼女のほうが、マリアに腕を引っ張られた。

「ユーディア、早く上に!」

「何をしたの!」

「良いから!」

 互いに腕を引っ張り合う女たちを無視して、ラスティはレンとともに自分の武器を構えた。闇の奥で、野獣の轟きと質量のあるものが激しく動く音。金属音がしなくなったが、代わりに石鎚を叩いているような硬い物同士がぶつかり合う音が響き、不穏だ。

 は檻の外に出たか。だが、こちらに来ないあたり、アーヴェントが食い止めてくれているのだろう。

「……どうする?」

アーヴェントやつが心配なのと、あれを外に出したくないのと」

「そうだな」

 であれば。ラスティは後退し、階段の傍で揉み合っている最中のユーディアを突き飛ばした。

 階段の上で這いつくばり驚くユーディアを他所に、マリアが階段出口の壁に飛び付く。鎖がぶつかりながら擦れる音がし、一瞬置いて鉄格子が落ちる。

 ここはかつて罪人を収監していた牢獄。出入口を固く塞ぐ鉄格子の存在を、ラスティは知っていた。壁際にレバーがあることも、こちら側にはないことも。だから、マリアがユーディアを階上に逃がそうとした意図も察していた。

「最悪。閉じ込められたじゃないですか」

 カラッとした様子でレンは笑う。

「気楽だろう」

 仲間の無事を確保でき、合成獣を外に出してしまうことを心配しなくて良いのだから。

「後先考えてます?」

 ラスティは鼻を鳴らした。

 背後では、唯一ユーディアだけが、この状況を良しとしないでいる。同僚に鉄格子を開けるよう必死に説得しているのが聞こえた。レバーを開けようとして阻まれ、揉み合っているらしい。

 仕方のない女だ。

「ユディ」

 振り向かずに呼びかけたが、どうやらきちんと聞こえたらしい。揉み合いの音が止まる。

「万が一のときは、頼む」

 ここで死ぬつもりなどないが。ラスティたちに何かあったとき、頼れるのは全てを知っているユーディアだけだ。

 ハルベルトを下ろしたレンは、振り返ってユーディアを見ているようだ。だが、ラスティは振り返らなかった。すでに託したのだ。あとはもう、信じるだけだ。

 階段を駆け上がる音が聴こえる。

「……罪な人」

 レンが隣で〈魔札〉を抜いた。

「……何の話だ?」

「無自覚。うーわー」

 人をおちょくるような言葉に眉を顰めたラスティの横で、レンが赤く光った〈魔札〉を飛ばす。火が熾り、ようやく闇の中のものがあらわになった。

 猫のようにしなやかな体と丸い頭を持つ生き物が、そこにいた。だが大きさは、大の男でも跨がれそうなほどに大きい。黄味を帯びた色に、黒い縦筋が入った縞模様の毛皮。見たことのない獣だ。

 だが、長く太い尾が、蛇のものであるかのように黒い鱗に覆われているのは、正常な状態だとは思えない。よくよく見てみると、四肢は岩でもくっついているかのように覆われていた。槌を叩く音は、その脚によるものであるらしい。

 アーヴェントは、両手に構えた狩猟用短剣ハンティング・ダガーで応戦している。今まで不思議と見えなかった黒翼が、背から生えている。何度か攻撃を受けたのか、光沢を放っていた翼は毛羽立っていた。

「人の都合で造られ、人の都合で操られ――」

 レンは穂先を後方に下げて構える。左肘を突き上げ、右足を下げて身を屈め。突進する格好。

「それでもって、人の都合で殺される。許せ、なんて言わないけどっ!」

 レンが床を蹴り、駆け出す。猪の突進をも思わせる勢いの速度。小柄な身体に重圧を感じるのは、やはりそのハルベルトの所為だろう。

 真っ直ぐに走っていったレンは、合成獣キメラの手前で急に立ち止まる。両足を踏ん張り、止まらなかった勢いをハルベルトに乗せて、上半身を左へと回転させる。

「……でぇいっ!!」

 斧頭が獣の左胴体に食い込んだ。黄と黒の縦線に、赤い横線が滲む。すぐさま赤い縦線も追加されて、獣は腹に響くような低い声で悲鳴を上げる。

 右の側面を壁にぶつけ、そのまま体を擦りながら体勢を崩す様は、猛獣であっても哀れみを誘った。

「……ごめんなさいね」

 鉾槍を水平に構え、引く。刺突の体勢。彼なりの慈悲を施そうというのだろう。

 だが、ラスティは、少年の身体の向こう側に、獣の反抗の意思を見た。黒い鱗の尾がゆらりと揺れ、先端をレンに向ける。そして、四つに裂けて開いた。

 覗く赤い肉と、鋭い歯列。食肉植物を思わせる口吻。

 ラスティは駆け出した。レンを横に突き飛ばし、剣を水平に構える。勢いよく伸びた尾の口は、ラスティの剣に噛みつき歯を食いしばった。細い部位の割りに、力が強い。尾は噛みついたまま身を引き、ラスティを剣ごと引き寄せようとする。

 視界の端で、獣が体を大きく揺らして立ち上がった。

「にゃろっ」

 悪態を吐いたアーヴェントが、獣の顔を斜め十字に斬りつけた。その間に突き飛ばされたレンが立ち上がり、斧頭で尾を叩き切ろうとする。

 獣は悲鳴を上げた。だが、尾は断ち切れず、鉾槍が引っ掛かっただけだった。鱗が刃を通さない。

「ああもうっ」

 斧頭が尾から離れたのを見た瞬間、ラスティは手の力を緩めてしまった。尾にまた引っ張られたのもあって、剣を取り落としてしまう。

 失態に頭に血を昇らせつつ、後退する。何か代わりの武器を、と辺りを見回して。

 腰に差したもう一本のつるぎに気付く。

 右手が、朱の柄を掴むことを躊躇した。余計なものまで壊してしまう可能性が、一瞬頭によぎる。

 ――いや、そんなことを言っている余裕は……。

 獣相手に戦う仲間たちを理由に、神剣の柄を掴み、

「ラスティ下がって!」

 レンの声が、抜くのを遮る。

 少年はラスティを庇うように前に立った。蛇のように意思を持って蠢く尾は、長い柄に噛み付かせ。

 その間にアーヴェントが、目を潰されて悶える獣の懐に潜り込む。

 ラスティは思わずアーヴェントに手を伸ばした。

「悪いな」

 短剣が毛並みに差し込まれた。

 淀んだ地下の空気に、血臭が混じる。獣が床に横倒しになって、尾もまた力なく石の上に転がった。

 安堵の息が方々で漏れるが、ラスティだけは、まだ息を詰めていた。アーヴェントを見つめてしまう。

 ラスティの意を察したアーヴェントは、肩を竦めた。

「野に放しても、人を襲うだけだ。そしたら人間に追われることになる。仕方ないさ」

 そうだとしても、割り切れないものがあった。ラスティだけだろうか。二人はうまく割り切れているのだろうか。

 ふと、暗闇が落ちる。レンの作った篝火が消えたのだ。視界を取り戻そうと目を瞬かせるが、ラスティにはなかなか二人の姿が見えなかった。

「少年〜、火ィ〜」

「黙っててくださいよ、鳥目が」

 気の抜けるような会話が飛び交い、レンが服を弄る音が聴こえた。新しい明かりができるまでに、もう少し掛かるだろうか。

 それを待つ間、闇の中で、神剣を握れなかった自分の中途半端加減に、ラスティは拳を握りしめた。もう少し、しっかりしないと。

 頼りになる仲間たちに、甘えてばかりではいけない。

 地下の入口の光が届いた頃、レンの魔術の篝火が灯った。ラスティは、今度は眩しさ目を細めた。獣の死体は変わらず転がったまま、血を流している。

「……さて。目的は達成されたわけですが」

 レンは地下の入口に視線を飛ばす。そこはまだ、鉄格子が下ろされたままだ。ユーディアが下りてくる様子もない。

 ラスティは、頭を一振りして、思考を切り替えた。取り落とした騎士の剣を拾う。

「大丈夫だ」

 レンが首を傾げながら、ラスティを見上げる。期待するような、試すような、意地の悪い眼差し。

 溜め息を一つ吐いた。

「奥に隠し通路がある」

「やっぱり」

 手を一つ叩いて、少年はうきうきした様子で奥のほうへと足を向けた。宝探し屋トレジャーハンターの血でも騒いでいるのだろうか。

「何処ですか?」

「一番奥の牢の中だ」

「牢の中って」

 おいおい、とアーヴェントが眉尻を下げる。

「あくまで〝隠し〟通路なんだ。ないと思うところにないと変だろう」

「そういうもんか?」

 そういうものだ。

 ただ、その牢に今何もいないとは限らない。

 左手側は壁。右側は牢。壁際に寄せた魔術の篝火は、牢の奥までは届かないが、そこに何かが居る気配はあった。何処までも強く感じる獣の匂いが、それを物語る。

 ただ、あの獣のような強い生き物は、もういないようだ。みな闇の中から出てくる様子がない。息を潜めているようにも感じられる。怯えているのか。

 女騎士の笛に反応したのも、あの一体だけだった。

「クレールは――」

 檻の向こうを一つ一つ覗き込みながら歩いていたレンは、ふと声を漏らす。

「合成獣を操る術を探っているんですかね?」

 城下街まで逃げ出したフォンは、合成獣をけしかけられたと言っていた。言動から察するに、操っていたのは合成獣となったカル。何らかの手段を仕込んだものと考えられる。

 そして、マリアの持つ半円の笛。

 クレールは、合成獣を操る二つの手段を得ているようだ。

 何のため、だなんて。訊くだけ野暮というものだろう。

 ふと、ラスティはまた、腰の朱の剣を意識した。余計な破壊を恐れて振るえなかった剣。だが、うまいことこれを使えたなら、檻の向こうの合成獣たちを一掃できるのではないか。

 哀れな生き物たちを解放し、争いの道具を減らすことができるのではないか。

 抑止となる破壊の力が、この手の中にある。

 頭の中でフラウの姿がちらつくも、誰かの囁きにラスティは足を止める。

「復讐を手伝ってくれるわけじゃないんでしょ?」

 レンの言葉に、ラスティは顔を上げた。赤い眼が、炎の明かりを弾いて、宝石のように煌めく。

「帰り道、早く教えてくださいよ。さすがに疲れました」

「……ああ」

 檻の向こうの闇から顔を背け、炎が照らすみちに戻る。

 幸いにして、目的の牢に獣の姿はなく。

 ラスティたちは、無事に夜更けの街に戻ることができた。

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