大潮の日、桟橋できみを琥珀に閉じ込めたいとおもってしまったことの話

 あの有名な映画を一緒に見たのは、きみがまだ小さな頃だった。

 琥珀に閉じ込められた蚊の中から遺伝情報を取りだして太古の生物を蘇らせる。当時はリアリティたっぷりに聞こえて、こはくってなに、いでんしってなに、と無邪気に尋ねてくるきみに、ひとつひとつ教えてやった。新しいことを知るたびに輝きを増すその瞳に無限の可能性と未来の広がりを見て、こちらまでわくわくしたものだった。

 きみは将来、何になるのか。

 きみの未来は、どこまで広がっていくのか。

 行けるところまで遠くまで走って行けばいい。幼いきみは、息が切れて走れなくなることなんて知らないだろうから。

 この年になるまで学問に打ち込んで、己自身で負う子は持たなかった。だからいっそう、あの子が可愛かった。幼い頃の妹のような顔で笑って、昔夢中になって読んだ本のページをめくっている。

 私より、お兄さんに似てるよね、と妹も彼女の夫もよく笑っていた。どう扱ってよいか分からない時がある、と言って時々連れてきたが、こちらこそ小さな子などどう扱ってよいかなど分からない。

 戯れにコレクションを見せてやると喜んで、同じ映画を見て笑い、なるほど確かにどこか同じ血が流れていて、学問は、興味は、好きなものは、歳も時代も超えてつながっていくのだと、柄にもなく感動したのだった。

 これはお兄さんに、と渡された骨片はからからに乾いていて、妹の涙を全て吸い取ってしまえそうだった。

 実際にはそんなことはない。妹は白い布に包まれたそれを抱え、いつまでも泣くだろう。あの子がもう少し大きくなっていればそこにハンカチを差し出すことも出来たろうに、今彼女が泣いているのはあの子のためなのだ。

 お兄さんと海に行くんだ、と楽しみにしていたんです、と彼女の夫が声を詰まらせながら言った。

 そう、大潮の日に海に行こうと思っていた。月の満ち欠けと潮の満ち引きのつながりと不思議。あんなに離れているのに、と目を丸くして頬を紅潮させていた。遠いようで近かった己とあの子のような、そしてこれ以上ないほど遠く隔たれてしまった我らとあの子のような。

 桟橋の先まで来ると道路の明かりもほとんど届かなかった。一緒に行こうと思っていたのは満月の大潮だったが、今日は新月だった。星月夜というほど星も見えず、寄せては返す黒い波が不気味にこちらを誘っている。

 白い骨はその中で浮き上がって見えた。

 なあ、本当にもういないのか。

 なあ、もう先へは行かれないのか。

 本当に、きみの存在はもうこの小さな欠片にしか残されていないのか。

 妹たちの前では流れなかった涙が、頬を伝う。この骨を琥珀に閉じ込めたら、いつかまたあの子をよみがえらせることが出来るだろうか。

 あの子が見るはずだった、あの子が作り上げるはずだった、未来の世界で。

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