よく晴れた日の夕方、世界のパズルを揃える玩具店で子供の頃飲んだ苦いくすりについての話

 一人遊びができるようになった息子がパズルに夢中になり始めた時、僕の母は親子ってこういうところも似るのねと呆れたように言った。僕もよく覚えている。小さい頃、僕もパズルに夢中だった。一人っ子で近所に歳が近い子どももいなくて、一人遊びに没頭するしかない僕を両親はずいぶん心配したそうだ。

 妻は両親よりはおおらかで、公園に遊びに出かけるよりも家の中にいることを好む息子に、まあいいんじゃない、と笑っている。

「でもね、この子の場合は、本当にもう病的だったのよ」

 母はずいぶんひどい言い回しで僕を下げる。

「想像できます」

 それに応える妻も、ちょっとひどい。

 けらけら笑い合う二人を喫茶店に残して、僕は息子を連れて玩具店へ行く。よく晴れた日曜の夕方、家族と一緒に出かけるのには良い日だった。最後に、おみやげとして新しいパズルを進呈してやろうと思った。

 無口な僕と無口な息子が連れ立っていると、とても静かだ。大きなおもちゃ屋で、パズルの棚にはアニメの絵柄から、名画に世界の絶景までそろっているが、隅に追いやられていて他に人もいない。棚の向こうから聞こえてくるすこし遠いはしゃぎ声は、僕に昔の出来事を想起させた。

 僕はその日風邪で学校を休んでいて、学校が終わる時刻になってようやくお昼を食べ終わった。外の道を、はしゃぎながら歩いて帰る声がする。ランドセルが揺れてキーホルダーや横に下げた体操服がぶつかる音がする。

 それらを遠くに聞きながら、僕は苦いくすりが飲めなくて泣いていた。あまり泣かない子どもだったので(ちょうど今の僕の息子のように)、母は驚いたようにあらあらと言って僕の横に座った。

 大丈夫、ゆっくりでもいいから、おくすり飲めば、ちゃんとよくなるよ。

 母は良い人だがちょっと的外れな時も多々あって、それはもしかすると人生で最初に出くわした母の的外れな善意だったかもしれない。

 僕はますます泣き、母を困らせた。

 ちがうんだ、かあさん、ぼくはかぜのことをしんぱいしていたのではなかった。

 がっこうをやすんでひとりきりなぼく。だけどがっこうをやすまなくてもひとりきりだったことにきがついて、ぼくは――。

 手を繋いでいた息子がさっとその手を放して、我に返った。手が届かないところのパズルを指さしている。

「それにする?」

 返事をする代わりに息子はうなずく。いくら僕が同じタイプの子どもだったからと言って、多少心配になってくる。

「本当にこれでいい?」

 一応尋ねると、また無言でうなずく。それならと持たせてやると、僕や妻や母など、近しい人にしか分からないくらいわずかに笑った。

 まあ、いいか、と僕も思う。

 結局僕もこうして生きているし、僕に善意の母がいたように、息子には楽観の妻がいる。

 それにこの子がこうして自ら手に取ったのが、知らない国の、美しい風景のパズルだったので、きっとこの子はどこまでも行けるだろう。そう思った。

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