第60話

 盛況の内に祝宴は終わった。


「あたいはメゾンには行かないよ。むさ苦しい男ばかりの部屋は毛並みに悪い」

 シッポを蛇のようにクネクネと動かし、バイバイしている。

 招き猫として寝ているだけで時給が発生するようで、店主も快諾していた。


 カツ丼での決起集会が終わってもまだ昼過ぎ、外は燦々と照りつける太陽が真上にあった。大気に浮遊する氷の粒が震えて融けて今にも……


「私は、――Warmウォーム Rainレイン――が落ちてくる前にこのエリアから離れるとしよう。二、三日は帰らない。スチームパンクへは半日もあれば行けるが、説得するのにどれくらい時間を要するのかわからない」

「よろしくお願いします」

 ナミフルは頭を下げた。


「なあに、若返るたびに満開に咲き誇るセレンさんを愛でるのはいつもの私の楽しみなのさ。そしてこれはパーティーを取り仕切る私の使命でもある」

 ブルーバードは風を受けた帆船のようにふわりと上空に浮かび、そのまま真っ直ぐ飛び去っていった。ナミフルと教授だけが、そこに残される。


「行きますか?」腕をぐるりと回してナミフルが伸びをした。フルチンになることはなく、そのまま帰ろうとしている。今日、雨が降らないことを知っているからだ。


「そうですのぅ」

 教授がおずおずと付き従う。


 エルム通りをパレードが流れている。寄せては返す波みたいにそれは尽きる気配をみせない。近づいても、なぜか彼岸の出来事のように、透明の薄い膜に覆われているように、歌声も楽器の音色も、ぼんやりと聞こえて現実感がない。


「お祭りには大勢参加してるのに、それ以外は誰も歩いていない」

「ふむ。ここの住人だとて人生の殆どをVR(仮想現実)でまかなっておる。移動は近距離ならバルーン。長距離ならリニアですな。この街の基盤は超高速の移動手段と地下空間への侵入を防ぐ狭き門。要は構造物としての役割が街の成り立ち。つまりは細い直線でありながら深い穴でもある。楽園地帯と地下空間は分断されている訳ではなく、そうですな、金魚がときどき水面で口をぱくぱくするように数百年に数年ほど地下空間に住む人も地上に上がり、飽きれば帰って行く。未だ解明されてない人間の不可思議な謎の生態です。なので、大多数は地上にいるだけで生活そのものは地下と変わりなく引き籠もり。ずっと住んでいる人はどうしてだか、皆、お祭り好き……」

 言いながら、教授の目は道の脇にぽつんとある露天をじっと見据えている。


「人が歩いていないのに露天があるんだね」

「あの人物にとっては露天がエートスと言うことですな。売れるか売れないかは問題ではなく――そもそも貨幣の概念を有するのが少数派――なので、お店をやっていることが大切なのですのぅ」

「それってよくわからないな~……あれ、教授?」

 教授は足早に露天へと近づいていく。ナミフルは慌てて追いかけた。


「円卓の騎士。ちがうの~やはりピーチ。見返りは頂きたいものですな」

「見返り?」

「事情はなんとなくはわかりました。つまりわしは、お供と云うところでしょうか。猿と河童と豚にしろ、猿と犬ときじにせよ。雉は鳥だからやっぱり桃じゃな。おまけに犬と猫はコインの裏表。河童と豚は嫌なので、やはりわしは猿でしょう」

「なにを仰っているのかさっぱりわかりません」

「つまりのぅ。お供を従わせるには先払いが太古の昔からの決まり事なのです」

「??? あーお給料ならちゃんとお支払いしますよ。なんなら今すぐ」

「そこは飽くまで、きび団子。我々はアーサー王に使えた円卓の騎士のような純粋な関係ではない。その昔、桃から生まれた英雄は、物で釣って仲間を集めたそうです」

「……? もしかしてこの店でなにか買って欲しいのですか? 別にいいですけど」

「ふむ。察しが良いのはリーダーの資質ですのぅ。それでは、遠慮なくあれをっ!」

 教授がびしっと指差したのは、なんの変哲もない巾着袋だった。


「毎度あり~♪ いやぁ2か月ぶりのお客さんで嬉しいよ」

 1分後、二人の背中には店主からの軽やかな声がかかる。


「そんな物が欲しかったんですか? リップス堂には、もっと素敵な品物がたくさんあったのに」

「あそこは過去の物しかない。これはみすぼらしいが素材が特別なのです。新素材。蜘蛛の糸――しかも特別に強い――で作られています」

「へ? あーそうなのか。そっか、楽園地帯でも売ってるんだ。それを開発したのは俺の叔父おじなんです。今は製法がばれちゃって街中で作ってますけど」

「ほほう~それはまた奇妙な巡り合わせですのぅ」

 やはり雨は降らなかった。ナミフルと教授は濡れずにメゾンまで辿り着く。


 部屋に入ると、教授は唇に人差し指を立て、身振り手振りでなにやら指示をする。

 ナミフルは首を傾げつつもジェスチャー通りに右耳から卵のピアスを外し、教授が差し出した巾着袋にそれを入れた。教授がきゅっと巾着袋の口を締める。


「ふむ。これでなにを喋っても大丈夫」

「へ?」

「卵を身につけたままでは何もかもブルーバードに知られてしまう。ゴッホの名画を警備する作戦会議で、アルセーヌ・ルパンが議事進行役をするようなもの」

「いや……仲間だから別に隠すようなことは……」

「青い鳥は『幸せの象徴』でもあり『木の上からそそのかすモノ』でもある。あなたにはこの世界の人類が当然持っているべきものがない。それが露見すれば危険です」

「礼儀? 常識? 品格? 漠なる大地育ちの野生児の俺には……」

「もう一つの地球」

「へ? あー完全版のVRの経験はありませんね」

「少し違いますな。まあそれはブルーバードが戻る前にわしがなんとかしましょう。不思議です。わくわくする。もうずっと、過去にしか興味がなかったのに未来を希求する己がいる。どうしたことか。もう数千年、こんな気持ちになることはなかった。脳の容量は一杯のはずなのに。出会ったばかりの人を助けたいと、願う。きび団子? 番号で呼ぶのは味気ないと、人間らしい扱いを受けたから? 特別と言われたから? 

違う。まるでDNAの底から。同じ遺伝子を持つわし自身である誰かが叫んでいる。

未来を覗けと。この子を守れと。いや求めているのは太古か? 人間はどれも同じ。均一に庇護の元、只生きるだけの存在。でも昔は違った。そうか、あなただからか」

 教授は、ナミフルをまじまじと見つめた。



「昔々、その昔。この世界には、ピーチから生まれた英雄が、沢山フルいたのですよ」

















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