第一話 怪しいバイト

「そこまで!」

 試験官が終了の合図を言った。講義室の学生たちはみんな筆を止める。

「今から回収します。名前と学籍番号をきちんと確認して下さい。書洩らしがあれば手を挙げて試験官に知らせて下さい」

 誰も手を挙げない。そんな初歩的なミスはしない。

「では回収。後ろから、自分の解答用紙を後ろの人の上にして、前に回して下さい」

 言われた通りにする。黒外くろそと恵理乃えりのは自分の番を待っていた。そして後ろから解答用紙が回って来た。

「あっ…」

 後ろの人の解答が一部見えた。最後の問題、自分と異なる解答。自信満々に書いておきながら間違えたことに今気付いた。

 しかし今更書き直せるわけない。諦めて恵理乃は解答用紙の束を前の人に渡す。

 試験官が解答用紙を集め終えると数を数える。一枚一枚めくる音が聞こえる。

「…以上で春学期期末試験は終了です。お疲れ様でした」

 みんな一斉に講義室から出る。恵理乃もその中に混じる。そして入り口で待つ。待っている間、周りの人から後悔の声や高得点を確信する声が聞こえる。

 そんなことはどうでもいい。単位さえ取れていればいいんだ、私は。でも最後の問題のミスは致命的かもしれない。こうなるのならもっと数学に力を注ぐべきだった。

「恵理乃。テスト大丈夫だった?」

 声をかけてきたのは白中しろなかさとる。一年の秋から付き合い始めた彼氏だ。

「ちょっとまじいかも…。悟は?」

「…俺もだ」

 二人は気が合う。似ている部分が多くあり、今まで喧嘩すらしたことないぐらい仲が良い。でもそれは、悟も恵理乃と同じく勉強ができないということだ。

「まあ終わったことは流して。いつもの奴らと飲みに行こうぜ」

「そするわ…」

 階段を下りて校舎から出ようとすると悟が引き留めた。

「どったの?」

「掲示板だけ確認して行こう。何か書いてあるかもしれない」

「それが再試の告知じゃなければいいわー」

 二人で一階にある掲示板の前に来た。

「おっすお二人さん。お疲れ。テストどうだった?」

 赤池あかいけ大河たいが。ちょっと太めの男子。頭は良い方で、落単した話を聞いたことが無い。

「聞くなー」

 恵理乃がそう答えた。

「さてはまたあんた、単位危ないんでしょう?」

 横にいる青沼あおぬま祥子さちこがそう言う。割とやせ形の子。もちろん頭が良く、推薦で大学院に行くことを目指している。

「そんなことだと卒業も危ういよ?」

「私しゃ真面目にやってはいるんだけどね」

 とは言っても今までのテストはほとんどが一夜漬け。真面目にコツコツ勉強したことなど人生で一度もない。恵理乃が不真面目なのは学科でも有名だ。

「はー空から単位降って来ないかなー」

 悟が言う。

「それが起きるなら誰も苦労しないよ」

 大河の言う通りである。

「あるぜ。そんな話が」

 後ろで声がしたので四人とも振り返る。そこには四年の黄桜きざくら烈成れつなりがいた。

「どういうことです先輩?」

「これだよ、これ」

 烈成は掲示板の一部を指でさす。そこには何かの案内が提示されていた。

「遺跡発掘のバイト?」

 紙にはそう書かれている。

「そう。岩本教授がこの夏休みに本格的に発掘作業に行くんだ。これに同行すればバイト料ももらえるし、しかも四単位も出るんだぜ? こんな得な話はないだろう?」

 夏休みを犠牲にして四単位。ちょっと考えものである。

「ここで説明するのもあれだ。説明会が今から二階の講義室であるからよ。とりあえず寄ってけよ」

 四人は先輩の後を追って二階の講義室に入って行った。

「烈成、たったそれだけ?」

 講義室には緑川みどりかわ真央まおがいた。烈成と同じ研究室の先輩だ。

「いないよりマシだろ」

「まあそうだけど。私の卒論に支障が出たらタダじゃおかないよ?」

 先輩たちが話している。その横で、

「なあ恵理乃。確か岩本教授ってさ、何だっけ…。あ、変な研究してんじゃなかったっけ?」

「そだっけ? 私は何も聞いたことないけど?」

「そうか。俺の耳によれば水晶ドクロとか恐竜土器とかが研究対象らしいぞ?」

「それマジ? 絶対変人じゃん」

 嫌な予感しかしないぞ。

 数分後、岩本教授が講義室に入って来た。

「やあ諸君。よく来てくれたね。私だ、岩本いわもといたる。今回の遺跡発掘について説明しよう」

 教授はパソコンを立ち上げプロジェクターを下した。

「まずはこれを見てくれ」

 プロジェクターに投影された映像には土器の一部が映っている。

「これは何だと思う?」

 教授が疑問を投げかける。四人は黙っている。答えがわからないからではない。問題が簡単すぎるからである。こんなのは歴史を勉強したての小学生でも答えられる。

「…どっからど見ても弥生土器ですよね教授?」

 絶対にそうだ。恵理乃はそう確信した。だから発言した。明るい褐色で、薄いが堅そうな見た目。弥生土器以外の答えはありえない。

「ところが違うのだ、恵理乃くん」

 教授はそう言った。

「えっでも」

 いくら勉強を疎かにしている自分でも、自分が専攻している分野には自信がある。だから弥生土器で間違っていないはずなのだが、教授の答えは違った。

「この土器…。ここに現物がある」

 教授はカバンから土器を取り出した。

「先日私はこれが出土した場所に行ってきた。これと同じものがいくつか採取できた。他にも出土したものが研究室にある」

「どこに問題があるんです教授?」

 祥子が訪ねた。

「うむ、祥子くん。私はこの土器の正確な年代を知りたくて放射性炭素年代測定をしてみた。すると驚きの結果が出たのだ!」

 プロジェクターに次のスライドが映し出された。

「えええ!」

 みんなが一斉に声を出した。

「そんなこと有りえんですよ教授」

 恵理乃が言った。

「私も最初はそう思った。だが何度測定しなおしても結果は同じ。全ての史料が、これらが作られたのが二百万年前ということを示している」

 二百万年前。それは旧石器時代。石を打ち砕いて作る打製石器で狩りを行っていた時代。その時の人類はまだ農耕も行っていない。

「そんな時代に土器が? ありえないわ!」

 祥子が叫ぶ。いや叫ばないだけで他の三人も同じことを考えている。

「だからもう一度現地に行って発掘調査を行う必要がある。考古学に一石投じる大発見なのだ。一緒に来てくれれば、きっと諸君の名が歴史に刻まれるぞ! 私と烈成くん、真央くんでは人手が足りないのだ。ぜひとも協力して欲しい」

 四人はこの時に結論が出せず、一度説明会は解散となった。

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