無題のノート

私は私であることじたいがときどきひどく息苦しくなる


けど、彼がいる。だからやめない



ツイッターっていうのは突っ込む場所だから、とくに気にしてない。つもり


とくにミラクルニキとかnanaとかシェア系はね、

突っ込み突っ込み突っ込むところが

ツイッター、という気がするのだよ。



期待に沿えないのはそりゃそっちさんの期待であって私自身の期待じゃねえわ



私は、たぶん

自分が思っていたよりもきっとずっと

ひとに、

失望 絶望

することが、多くて。

そんなのはほんとうはいけないと思いつつおさえてきてたけどやっぱりきっとそういうことなんだよな。


そういう苛立ちや不満や哀しみを彼にぶつけるのは違う。

私にとって彼というのはたぶんこの世界でゆいいつ失望と絶望と対極にあるひとで、

たとえばだれかのことがゆるせなくなってしまったとき、やっぱり私は心のなかで彼にすがってしまって、


けどそれってあんまりいけないんよ。


神的なものを求めているのはもしかしたら私のほうなのかもしれない。もしかしたら……。

その危険性がわかるから、やべえな、っとは思ってた。


自分の失望と絶望めいたきもちくらい自分自身で処理しろって思うんだよな。ほんとうは、な。


ほかのひとは……どうなのだろうか。

やっぱりほかのひとなんかどーっしょーもねーなって思って生きてるの?

私が、じつは、ひとに対して厳しすぎる、ってだけなの?

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