無題のノート

いつも思うんだけど、「気分屋」って自称するひと恥ずかしくないのだろうか?

自分が気分さえもコントロールできないおこちゃまです、しかもそれを正当化して、あまつさえ「個性」なんです、ってゆってることだと思うんだけど。わかっててやっててさえアレなのに、まさかまじで自覚してないのかなあ。そういうひとにっていったいなにをどうお声がけすればいいんだろ……?



宗教はほんとは「宗教」って言葉もその用語もぬきに語れるんだよ


私は小説ではいつでも原罪のこと言ってたりするし

原罪、ってワードだけはつかわないだけで


脱宗教、というより、

そのかたちはぬけでたいよねっとは、思わなくもないけれどね。



ひたすら自己満を目指していくあたりたぶんある種の受験勉強や模試と似ているしなんなら筋トレだし

どちらにせよ、体力勝負の体育会系のストイックだけどいいカンジな視野狭窄なんだろうなあ


私の場合視野がせまいって、かならずしも、けなしことばではない。

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