現代は、「救ったげるよ」という態度にすごく拒否感を示すひとが多い、「いいえ、私は私なりに幸せです。間に合ってます。どうぞご自由に」みたいに。
現代は、「救ったげるよ」という態度にすごく拒否感を示すひとが多い、「いいえ、私は私なりに幸せです。間に合ってます。どうぞご自由に」みたいに。
あれ、なんなんだろうか、どういう、心理なのだろうか。
ちゃんと調べてないから仮説ですらなく憶測の域を出ないけれども、なんとなーく現代に特有的だと思う。その感覚が、こんなにも、普遍的でありますことは。
私はそれを薄闇と呼ぶ。
闇は、苦しくてつらい。深い闇はほんとうにまっくらだから。
けれど、闇があるなら、闇が深いなら、闇を識るなら、
ひかりをもとめることができる。
光が届かないのはじつは深淵だけではなく、薄闇。
むしろ現代において光が届かないのは深淵よりも圧倒的に薄闇であるケースが、多い。
眩しい、って言われてしまう。
薄闇の時代、さていかようにして照らしていくべきか。光は、神から演繹的にもとめることができる、なぜなら神は世界をつくるとき最初に「光あれ」と言われたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます