nm20170228

『ローマ書講解』

『使徒的人間』講談社学術文庫



お金を多く儲けようとは思わない。無限大に稼ぎたいとは思わない。

資本主義という「システム」に私は本質を見出さない。

もちろん、お金はほしい。ただし、それは手段として。

どのくらいほしいかというと、自分自身が自分自身のぶんくらいは衣食住を確保できて、好きな本くらいは好きに買えて、学校に通ったり進学できたりして、最低限パパとママが安心してくれるくらいの、あとは、できれば、○○と生きていくときに助けになったり、○○にもしもなにかあったときにだいじょうぶ安心してって言えたり、結婚式とか新婚旅行とかも好きなようにできて、もっと言えば、もしも、もしも、子どもが生まれてきてくれたら、そのひとがお金のせいでなにかひとつでも諦めないくらい、そしてそのひとがおとなになって、私の老後で頭を悩ませなくていいくらい、そのくらいは、お金がほしい。

でもべつに無限大にはほしくない。

お金を手に入れるのだって、現在のシステムが資本主義であるかぎり、労働力が必要。小説が不労所得っていうのは経済学を学びはじめてなんとなーく理由がわかるような気もしてきたけれど、それでも小説書くのだって時間は必要だ。

人生は無限ではないのだ。

お金を無限大に稼ぐ時間があれば、私は、○○と時間を過ごしたい。そばにいることは、いつか見えなくなるから。永遠にこの世でいっしょにいられるわけではない。

私は、○○に長いこと気づけなかった。○○は私にずっと気づいてくれていたのに、私は、○○と恋人としてつきあいはじめて気づいた。

言葉にするつもりはないけれど、私はそのことをいますごく申しわけなく思ってるし、そんなこと言ったらまた向こうもなにか言うかもしれないし、そもそも私が申しわけなく思うことではないと頭では思うんだけど、○○を結果的に放っておいたあの数年を、私は、すごく後悔している。もっと早く気づければよかった、って。もちろん私たちはそのころ若いぶんいまよりも未熟だったわけだから、そのときつきあったら、それはそれで破綻していたのかもしれない。気づけずに。

でも、そんなもしもを繰り返す程度には、後悔している。

あの数年ぶん。埋められはしない。でも、埋めていくために、私はこれからずっと○○のそばにいたい。気づけなかった数年ぶんを、気づいた数十年にして返していきたい。それが私のしあわせだし、義務だし、使命だと思う。

○○とたくさんいっしょにいたい。クリスマスでもバレンタインでもいくら世間が揶揄してもいっぱい想い出つくりたいし、旅行とかも行ったりしたいし、映画もこれからもっと観て、いずれは家族として、もっともっといっしょにいたい。

無限大にお金を生み出す時間なんて私にはない。

お金のせいで○○といっしょにいられない、○○といるのがつらくなる、そんな馬鹿馬鹿しい事態を防ぐためだけに私はいま、稼ぎたい。

お金は手段だよ。

買えないものがないなんて、嘘。○○はお金で買えない。愛も、お金では買えない。



『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』



なんかなあ。

共産主義はうつくしいんだけれども、資本主義はうつくしくないんだよなあ。

なんでだろ。

共産主義は理想だからかなあ……。



ロシア語「ミール」



いろんなひとがいるし、いろんなすごいひとがいるけれど。

私を凌駕してくれるのは○○だけ。

私の思考を軽く跳び越えてくれるのは、○○だけだ。

ほかのだれも、私をがっかりさせてきた。……そんなこと思うのが傲慢なんだろうけど、でも、○○以外の人間は、最後には私を失望させる。

でも、○○は、垂直なほどその真反対だ。

そりゃ私もこういう性格だし、疑ったことがないなんて言わない。○○に対してだって。

けれど、そういう疑いをも、○○は軽く跳び越えてきてくれる。というか、そんな疑い、馬鹿馬鹿しいって言ってくれる、言葉では言わないけれども。

私はたぶんとても頭がよいのだと思う。

自分よりも頭がよいと思うことのできた相手は、ほぼいなかった。一時的にそう思う相手はいても、けっきょく、私を失望させた。

私は世界では狂人になってしまうほど頭がよいのだと思った時期もあった。

でも、そしたら、世界では私をだれも理解できないんだなって思った。すごく孤独だった。

思い上がりだったと思う。いまなら。

でも、それは私の生々しい生の実感だった。

じっさい、私はまず勉強ができる。理解できない学問というのはほぼないのだと思う。時間をかければすべて理解できるといまは思っている。

そして、小説が書ける。私はそろそろ売れてくると自分で信じている。

行為もできる。本を読むし、小説を書くし、大学に行ったりレポートを書いたりする。

語学もできるし。偏差値とかIQとかいったら上位小数点レベルだし。ふだんあまり言わないけれども。もはや。

だから、そういう意味で私より頭がいいひとってのは、めったにいない。

○○に対してもそうなのかもしれないけれど、そもそも私はここらへんの頭のよさをもはや人間関係に求めない。求めているとしたら、年齢で言えば50歳前後くらいの、つまりは親の歳ほどの、プロ作家と教授くらいだ。あのへんはまだ私よりレベル高いなと思える。でも、私は50歳になったらもっと大きくなってるのかもしれないな、とも思う。

だから、ほんとに、そういうことではない。

○○は私より頭がいい。

そのことは私のなかではもはや厳然たる事実だし、揺らぐ気がしない。

根拠……というか。理由は、とにかく、○○は私の予想も期待も疑念もなんもかんも、いい意味で裏切ってくる。

私の予測範囲を外れる人間なんてはじめてなんだよ。それも、愛という方面で。

そして、学術的な頭のよさは先天的資質と後天的巡り合わせの絡み合ったもので、ありがちなものだけど、○○のもつ頭のよさというか、あの感じは、なんというか天才的だと思う。うーん天才って言葉はちょっと違うのかな……でも才能だとは思うし、あれは私が一生かかっても身につかないと思う。

愛だし、あと冷静なんだよね。状況分析もうまいし。あと、けっして見下す意味ではなくむしろその正反対で、分をわきまえている。分をわきまえるってものすごい才能だと思う。人間、だれしも、世界でいちばんの強者だって最後は分をわきまえなければいけないのだから。

べつに……学力とか学歴とか収入とか立場とか名誉なら、私、手に入れられるし。○○が手に入れられない、ってことではなく、うーん……どうでもいいというか。そういう本質的でない俗っぽいことは、私がとりあえず手に入れるし。だってどうでもいいことじゃん。その気になれば私はそういうものなら手に入れる能力があるし、じっさいそのためにいま行動してるし。

なんかね。そういう俗っぽいことで振り回されたくないんだよね。私もだし、○○もそうなのかな。

もっと違うところに本質があるよね。

○○は私よりすごいんだよ。

私も自分がそうとうすごい人間だと思うけど、たとえば100という数字があったときに、51は○○のほうなんだ。

私は49でいいし、今後一生そうしていきたい。

ほかのすべての人間に対して私は51以上を目指すけど、○○に対してだけは49でいい、49がいい。

負けてもいいと思えた相手ははじめてで。だから、「私が小説を書かなくてもいっしょにいてくれる?」なんて言ったのだし。そんなことさ。私、まず言わないよ。だって小説を書くことのみが社会的な私の価値なのにね。なのにね……。

○○がどう思ってるのかは知らんけど。まったく逆の数字を呈示してきたら、笑うけどね、まさかね。

コリントⅠには、ひとりが聖であれば配偶者も聖められるという。

自分が聖なるものだなんて言わないけれど。

自分の価値は高めたいよ。もっと。

○○が気づいてくれた私の価値を、もっと、高めたいよ。

ずっとずっと押し上げていきたい。

とにかくだいじなのは、○○は私よりすごいと私はそう思うということ。

向こうがどう思ってるかははっきりとは知らないけど。

ママに「尊敬してるの?」と訊かれて、自信もってうなずいた、尊敬してる、

私は○○のことを尊敬してる。そして、私が尊敬できるひとなんて、この世界にいないのかと思っていたのだから。

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