NM20170211

いやだってどう考えても月二万生活は無理でしょって思うけど。

でも10日の時点で六万近くつかってるのもそれはそれでやばい。

やっぱり出かけすぎなんだと思う。

いちにち家にいる日を増やす方針でいったほうがいいのかもしれない。

なんもなくとも外に出れば食費やカフェや交通費でいちにち数千円は飛ぶのだから。





××と喧嘩……というか、すれ違いで、向こうがあした会いたくないってラインが来て。

そのとき私は怒ったのでも悲しんだのでもなく。

こう、すっと、彼女のことを友人から「障害物」へと、認識を変えてしまった。

ひさびさだったな。あの感覚。



べつに向こうが会いたくないのは仕方ない。こっちだって荷が重かったことだし。無理やり呼び出すわけにもいくまい。

だが彼女は私の貴重な時間を二日間も奪った。渋谷に呼び出した日と、あした。

それもあんだけのことで。私だって疲れるときくらいあるって。向こうなんてもっといつも疲れたさまを見せているというのに。

あんだけのことで会いたくないとかいう弱いやつはかかわりたくないなーと。



否定も説教もしないよ。

ただただ私のなかからいまはとりあえず消え去ってほしい。

自分でもいちばんやばいと思うのは、

彼女が自殺すると思っていたとしても、すればいいと思ってしまうことだ。



私は多くのひとに対してこう思う。

死んでもかまわない、と。

ここにすら書くのを恥じるくらい、私にとっては、ほとんどのひとがどうでもいい。

じっさいに行方不明になってるひととか、親戚とか、友人とか。

死んだら死んだで仕方ないと思ってしまう。

悲しいのかもしれないとは思う。

けれども私の罪悪感のいい材料になってくれるんだろなーとも、思ってしまう。

お風呂のなかで数え上げてみたけれど、どちらかといえば死んでほしくない人間はこの世でひとり、ぜったいに死んでほしくない人間はもうひとりだけだ。



このくらいの冷たさは当たり前のことなのだろうか。

こんな人間が愛だの祈りだというのは笑ってしまうことなのだろうか、ああ、そういやそんなこと前も言われたよなあ。子どもがうんぬんってときに。

けれども奥底がこう冷え切っているからこそかたちをだいじにするのではないか。



でも……。

感情として、やっぱり、怒りも悲しみも感じることができない。

私の名前を遺書に書かれたら後味悪いし、目の前で飛び込まれたら気持ち悪くなると思う。

けれどもその程度なのだ。

死んだら死んだで、私は涙を流すふりをするだけだ。「だいじな友人を死なせてしまった愚かで哀れな人間」という肩書を手に入れるだけのこと。



……だから、もう、すくなくともいまは彼女のことそのものはどうでもいいというか、早いとこ消えてほしいのだ。

愛着も執着も、友愛すら感じることができない。

残念だとは思う。リソースをたくさんかけたし。

だから失敗だったのかもなーと……そのくらいしか思えない。



……いちおうは、緊急だったら電話でとは言っといたし。

○○でも××さんでもいるわけだし。

ほんとうに連絡を取りたかったらどうにかして取ってくるとは、思うが。



××でもか。

彼女でも駄目だったのか。

まだ、私は、死んでほしくないとまで思うことができなかったのか。

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