なんでもメモ20170110

善意と悪意ってそんなに区別する必要あるのかなあ。

とか。いま、思ってしまった。



もしも水槽の脳があるとして、科学者が操っているとして、だとしたらその科学者以上の発想というか、科学者を超える思考というのは、出てこない気がするんだよなあ。



認識論にかんしては日常の認識レベルに合わせるほかないと思うんだよなあ……。

そういうこと、にしとくというか。



クレー。すくいの、ない天使。



(××さんとツイッターでお話したり、××さんとも)

私はやっぱり他者とそれぞれ個別的で「とくべつ」な関係性を築きたいんだろうし、じっさいある程度はいまそうできてしまっているのだと思う。

だからこそ、愛において「区別」、いや「差別」をかたくなに主張するんだろうなあ。

○○は私のことすごくとくべつだって知ってる。私だって当然○○はだれよりもなによりも、とくべつだ。

だが、その背景というものが、ずいぶん違うのではないか、とお風呂でちょっと思ったんだよね。

○○にとっては……なんというか。私しか……といっちゃいけないんだろうけれど、私が奇跡みたいなもんなのかな、って。……おこがましいかもしれないけれど。

いっぽうで私は、たくさんの「とくべつ」のなかの「いちばんとくべつ」で……ほら。けっきょく、順位みたくなっちゃって。

もちろん○○にとってもべつの意味でだいじな人間はいるかもしれない。いないかもしれないし、いるかもしれない。そこはわからない。私が過剰に干渉しちゃいけないところだとも思うし。

けれども……なんだろうね。

○○をとくべつに「する」っていうのは、また違う気がするんだよなあ。



私は神さまがそうするように肯定する。

……そっか。神さまに。イエスにならえばいいんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る