第95話 不穏な空気

 藤野春海の撮影が終わった後、静けさを取り戻した食堂内で、俺達は、俺と津賀の会話シーンの撮影を引き続き行っていた。


 藤野はクランクアップ後、勉強をするため先に家路へとついた。

 俺は帰り際に、明日までの課題を課したメモを渡しておいた。

 藤野はそれを受け取り、「了解! 頑張るね!」っと気合を入れるように言ってきたので、恐らく明日行った頃には課題を終わらせているだろう。


 これからはアルバイトもなく、ただひたすら家に籠って受験勉強に専念できるわけだし、大学合格に向けて、ビシバシ藤野を指導していこうと考えていた。


 そして、俺と津賀は今、食堂のテーブルで向かい合って撮影待ちをしていた。

 すると、不意に津賀がぽしょりと話しかけてきた。


「やおやおさ、この後時間ある?」

「えっ、この後?」


 ふと食堂に掛けられている時計を見ると、時刻は夜の九時を回っていた。

 そろそろ大学の完全閉門時間も近いし、終電の時間までなら問題ないだろう。


「いいけど、何するんだ?」

「えっと……そのぉ……」


 津賀が目を泳がせながら言い淀んでいると、西城さんから声を掛けられた。


「ごめん二人とも、そろそろ撤収時間だから、申し訳ないんだけど残っちゃったシーンは別日に撮影ってことにするね!」

「おっけい!」

「わかった」


 こうして、今日は予定していた撮影がすべて取り終わらないまま終了となった。


 俺は、再び津賀の方を見て声を掛ける。


「お疲れさん、行くなら先に抜けていくか?」

「えっ?」


 津賀はぽかんとした表情で首を傾げた。


「何かするんじゃないの?」


 俺がそう尋ねると、はっと思い出したように口を開く。


「あぁ……! やっぱり今日はいいや! 夜遅いし、また機会がある時で!」

「お、おう。そうか?」

「うん! ほら、みんなの片づけ手伝おう!」


 そう言って、津賀は素早く立ち上がり西城さんたちの元へと向かい、撮影器具の片づけを手伝い始める。


 俺もそんな津賀の様子に首を傾げつつも、続くようにして席を立ちあがり、片づけの手伝いに向かった。



 ◇



「ただいまー」


 撮影を終えて家に帰ったのは、深夜帯へと差し掛かる頃だった。


「あっ、お兄ちゃんおかえり」


 ソファの上ではうつ伏せに寝転び、寝間着姿で足をぷらぷらとさせてくつろいでいる妹の弥生が、いつものように出迎えてくれた。

 だが、そのいつもの風景とは違う所が一つあった。


 キッチンの電気は消され、食器が使われた形跡すら残っていない。なんなら、俺の夕食もテーブルにラップされておかれていないぞ!?


「あれ、母ちゃんは?」


 俺が弥生に尋ねると、弥生はスマートフォンに目を向けたまま口を開く。


「お母さんたちは、なんか夕方に慌ただしく家に帰ってきて、『急に出張の仕事が出来ちゃったからよろしく』って言って出てっちゃったよ。あっ、だから今日夜ご飯各自ね」

「それを俺に連絡してくれ」

「ごめん、忘れてた」


 何だよ……こんなことになるなら、津賀達と夜ご飯食べてきた方がよかったじゃねーか。

 俺は短いため息を一つついてから、踵を返して声を上げる。


「コンビニでなんか買ってくる」

「いってらっしゃーい。あっ、ポテチ買ってきて、うすしお味」

「っ……」


 誰のせいでもう一度外でなきゃいけないと思ってんだコラァ。

 小言の一つや二つ言ってやろうかと思ったが、「わかったよ」っとだけ返事を返して、コンビニへと向かった。



 ◇



 家から一番近いコンビニへ向かうと、店内にお客さんはおらず、閑散とした雰囲気が漂っていた。


 俺は適当に残っていた弁当を見繕い、弥生が要望したポテチのうすしお味を棚から一つ取って、レジへと向かった。


「いらっしゃいま……って、羽山じゃん」

「あっ? おぉ、よっ!」


 そこにいたのは、前髪をピン止めしてそのツルっとしたおでこを見せている、小学校の同級生、梅本だった。


「お前、ここでもバイトしてんのか」

「うん、深夜だけね。ここのコンビニ、深夜帯はあんまり人来ないし楽だから」


 そう言いながら、俺がレジに出した弁当とポテチのバーコードをピっと打つ。


「506円になります。どう最近、春海とは上手くいってるの?」

「まあ、ボチボチな」

「そっか。あっ、弁当温める?」

「いや、いい」


 事務的な言葉を交わしながら、俺が財布の中から現金を取り出していると、レジ袋に弁当を詰めながら梅本が言ってくる。


「そういえばさ、あんた知ってる?」

「何を?」

「最近、春海の家に不審な男が出入りしてるっていう噂」

「えっ?」


 俺は思わず眉根を潜める。それは、地元では幽霊屋敷として恐れられている、小学校時代藤野春海が住んでいた荒廃した家屋。今は誰の所有物になのかもわからず、近所の人は誰も近づこうとしない、不気味な雰囲気を纏った場所だ。


 俺が初耳だとばかりに驚いた表情を浮かべていると、梅本が辺りをキョロキョロと周りを見渡して、誰もいないことを確認すると、耳元に顔を近づけてきた。


「もしかしたら、また春海を狙って取り立てに来てるのかもしれない。少し春海の様子しっかり見てあげて」

「……わかった」


 俺はゴクリと生唾を飲み込んで頷いた。


 藤野春海に再び迫る不穏な空気。しかし、彼女の居場所は夜逃げして以来滞っているはず、安易な行動をしない限りは居場所がバレるようなことはないはずだ。


 だが、なぜか俺の心の中には何か嫌な予感がわだかまって残り、そのモヤモヤが消えることはなかった。

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