第93話 藤野の撮影

 西城さんの家での撮影を終えた後も、大学の授業を終えては集まって撮影をして、撮影が無い日は藤野の家に行って夕食をご馳走になりながら家庭教師を続けるという日々がしばらく続いた。


 そして、迎えた月末のとある夕暮れ時。俺達は食堂にいた。


 夕陽の光が食堂に差し込み、辺りをオレンジ色の空間へと変色させて、どこか落ち着きのある空間を作り出している中、普段なら既にシャッターが閉まっているはずの食堂カウンターが開いており、そこにはエプロンと三角巾を身に着け、キャラメル色の髪を後ろに結んで顔をマスクで隠してポツンと立っている藤野春海の姿があった。


 その向かい側で、俺は食券代わりの紙切れとトレイをもって、カウンター近くの通路に立っている。


 今日は、藤野春海のアルバイト最終日。西城さんがお願いした映画撮影の最初で最後の機会だった。


 取りこぼしや撮影ミスが無いように、万が一のことが無いようにと、西城さんたち裏方の部員たちは、緊張感溢れる空気感を醸し出して、それが辺り一帯を張り詰めていた。


 俺はそんな中、スタンバイ位置に立ち、カメラの方にいる西城さんを見つめていた。一方で、これが初めての撮影となる藤野は、どこか落ち着かない様子でキョロキョロと首を振り、身体の節々を少しずつ動かしている。

 待ちぼうけを食らい、どうしたらよいのか分からないといった様子だろうか?


 俺も撮影初日の時はそうだった。

 スタンバイしたのはいいものの、裏方の人がカメラの位置を確認したりして、ああでもない、こうでもないと言い合っているうちに、演者が待たされて手持ち無沙汰になる現象だ。


 事前に変わりの代役でカメラ合わせをしていれば、こんな事態に陥らないのだが、そこはプロの撮影とサークルの撮影の違う所。食堂での撮影となれば、多くの人が行き来するので、長時間貸し切っての撮影は出来ないし時間帯も限られてくる。

 それに、俺達学生の本文は勉強だ。今日だって普通に授業があるし、一日中撮影に時間を回すことは不可能に近い。


 暇な時間を持て余して、俺はなんとなく視線を巡らすと、カメラには映らない柱を挟んだところに、津賀がこちらの様子を伺っているのが見えた。


 俺が視線を向けてお互いに目が合うと、津賀はすぐに俺から目を逸らしてしまう。

 顔を俯かせて、どこか所作なげに視線をうろちょろとさせていた。


 かえってその行動が、俺の集中力をそぎ落とす。

 俺は短いため息を吐いて改めて津賀に向き直って声を上げた。


「何してんだよお前は」


 すると、声を掛けられたのに驚いたのか、津賀がビクっと身体を震わせた。


「へっ!? べっべべ別に何でもないし!」


 そうは言うものの、明らかに挙動不審で様子が可笑しい。


「何かあったか?」


 俺が少し優しく諭すと、津賀はぶんぶんと首を振る。


「ううん! 何でもないよ! むしろ何もなさ過ぎて元気が有り余ってるよ!」


 そう言って、津賀はわざとらしく片方の腕で肩を押さえて、抑えた方の腕をブンブンと振り回して見せる。

 だが、大きく回し過ぎたのかガンッと痛々しい音が鳴り、津賀が痛そうに手首を押さえる。どうやら、回していた方の腕を、机の角にぶつけてしまったらしい。


 相当痛かったらしく、その場にしゃがみこんで悶絶している。



 俺が呆れ交じりに苦笑しながらも、心配そうに声を掛けようとしたところで、別の方向から声があがった。


「お待たせしました。それでは、撮影始めます。よろしくお願いします」


 西城さんの合図とともに、皆が一斉に「お願いします」と声を上げる。

 そして、そのまま撮影開始の合図が放たれる。


「それでは……シーン5カット1テイク1。よーい……スタート」


 俺は一人で食券を手に持ってカウンターへと向かって行く。


「いらっしゅわいませぇ……」

「……ぶっっ……!!」


 盛大に噛んでしまった藤野。俺は思わず吹いてしまう。


「カット! はい、もう一回行きましょう」


 俺が何とか笑いを押さえて藤野を見ると、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。


「ご、ごめんなさい……」


 震える声で藤野が謝ると、『どんまい』とか、『リラックスして』とか励ましの声が聞こえてくる。

 だが、藤野にとってはその言葉が出るたびに、どんどん自信を無くしていくように顔を下に下げていく。ここは、俺が宥めてあげた方がいいようだ。


「気にすんな。俺も最初はそんな感じで全然うまくいかなかったから」


 俺が藤野にそう声を掛けると、藤野は鋭く俺を睨みつけてくる。


「思いっきり噴き出したくせに……」

「わ、悪かったって……」


 どうやら、噛んだことを恥じているのではなく、それに対して俺が噴き出してしまったことに納得がいっていない様子。


「次は笑わないようにするから、頑張ろうぜ」


 そう言って俺は、逃げるようにスタート位置へと戻る。

 その途中、柱越しでしゃがみこんで悶絶していた津賀の方を見ると、既に立ち上がって俺の方を見つけていた。

 津賀は、少し不思議そうな様子でこちらを眺めている。


「どうした?」


 俺がそう尋ねると、津賀が何気なくと言った感じで口を開いた。


「あの人と随分仲いいんだね」

「えっ? あっあぁ……」


 そうか、こいつは藤野が俺の小学校の時の同級生って知らないんだ。いつも家庭教師をしている時のようにフランクに話しかけているのが、津賀にとっては違和感を覚えたのだろう。


「まあ、あいつとは昔からの知り合いでな。偶然ここでアルバイトやってるときに再会したんだ」

「ふぅーん。そうなんだ……」


 津賀はどこか腑に落ちたのか落ちていないのか微妙な反応をする。

 それから、顎に手を当てて一人で何やら考え込んでしまう。

 そんな様子を俺は首を傾げて眺めていると、再びカメラの方から声を掛けられた。


「羽山くん! 準備できた?」


 振り返ると、西城さんが真剣な表情で声を掛けてきていた。


「おぉ! おっけいだよ! 立ち位置ここで平気か?」

「うん、大丈夫!」


 スタート位置に立ち、身体の向きを藤野の方へと整えて、ふっと軽く息を吐いた。

 そして、再び西城さんからスタートのコールが掛けられて、撮影が再開された。

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