第91話 浜屋の演技

 津賀つが浜屋はまやの部屋物色がひと段落したところで、ようやく撮影が始まろうとしていた。


 既に西城さいじょうさんは、疲れ切った様子で、げっそりとした表情を浮かべている。


「そ、それでは……撮影を始めます」


 既に撮影が始まる前から憔悴しょうすいしきっている西城さんの横で、調子のいい声を出す奴が一人。


「やおやお、頑張って!」

「お、おう……」


 俺が軽く苦笑いを浮かべていると、ため息交じりの声で西城さんが口を開く。


「そ、それでは、シーン4カット1シーン1、よーい……スタート」




 直輝なおきは、幼馴染の春乃はるのの家にお邪魔していた。


「なぁ、春乃」

「ん? なぁに?」


 ベッドの上で足をパタパタさせながら、スマホを操作してくつろいでいる春乃。

 俺は春乃方を向いて質問をする。


「春乃ってさ、今好きな人とかいたりするの?」


 そう俺が尋ねると、パタパタとさせていた足が一瞬止まる。

 だが、すぐにふっと吐息を漏らしながら、涼しげな声で答える。


「いないけど、どうして?」


 ニコっとした表情で俺を見つけてくる春乃。その真っ直ぐな視線を浴びて、直輝は視線を前に逸らしてしまう。


「い、いやぁ……最近そういう色恋沙汰の話、お前から聞かないなぁっと思って……」

「何だそういうこと。今はいいの、仕事で手一杯だし」


 そう言って、再び春乃の視線をスマホに戻したところで、なぜか津賀が声を張り上げる。


「カァァァット!!!」


 その声が、部屋内に響き渡る。なんだその必殺技を繰り出した主人公のような威勢のいい声は……


「愛奈ちゃん。近所迷惑」

「あっ、はい、ごめんなさい」


 もっともなことを西城さんに言われて、しゅんとなる津賀。

 というか、西城さん軽く津賀に対して怒ってません?


 やっぱり、さっきの部屋物色で西城さんも機嫌を損ねているようだ。


「映像の確認するので少々お待ちください。愛奈ちゃん、二重チェックよろしく」

「あっ、は、はい……」


 西城さんの抑揚のない淡々とした声に、もう津賀も素直に従うしかなかった。

 この調子だと、撮影が終わるまでの間、津賀はこの張り詰めた空気感に果たして堪えられるのだろうか?

 

 それよりもだ。

 俺は後ろへと振り返り、ベッドに寝転がっている浜屋を見つける。浜屋は俺の視線に気が付いて、首を傾げる。


「ん? どうしたの?」

「いやっ……やっぱりお前、演技力すげぇんだなと思って」


 浜屋の演技力は、一言で言えば圧巻とそのものであった。

 一つ一つの顔の表情や仕草だけで、周りの空気感を変えてしまうほどの迫力感があった。だが、当の浜屋はそうは思っていないらしく、手を横に振る。


「そんな、私なんで全然だよ。もっと一流の俳優さんたちはもっと凄い演技力と影響力を持ってる。私はその端くれにも満たない存在だよ……」


 浜屋は、どこか自分を卑下するように視線を下へと向けてしまう。

 だが、浜屋が凄いものを持っているということは、俺が一番分かっていた。


「そんなことねぇって、浜屋の迫真の演技につられて、俺も役に入り込みやすかったし。それくらいの影響力を浜屋は持ってるよ」

「それは、羽山が私の指導で練習してきたからだよ」

「だとしたら、浜屋は指導できるほどの実力があるってことだ。ファン一号が言ってるんだ、間違いない」


 俺が自信を持ってそう言い切ると、浜屋は少し面喰った様子でじぃっと見つめてきたが、ポッと我に返ったのか視線を逸らす。


「あ、ありがと……」


 そして、ぽしょっとそう感謝の言葉を呟いた。

 光の反射の加減なのか分からないが、浜屋の頬は、少し朱色に染まっているような気がした。



 ◇



 西城さんの家での撮影は、その後も順調に進んでいき、気が付けばシーンも佳境かきょうに差し掛かっていた。



 俺と浜屋は、別の服に着替えており、別の日のていで撮影が行われている。

 

 順調に撮影自体は進んでいたものの、流石に終盤となれば、皆疲れの色が見え始めている。

 

 津賀に関しては、もうコクリコクリと眠りそうになっている。

 いや、お前は今日一番神経使ってないだろ!


 そう心の中で思いながら、開始の合図を待っていると、西城さんが声を上げた。


「それじゃあ、本日最後のシーン行きます。シーン6カット9テイク1、よーい……スタート」


 玄関先で、その細くて白い春乃(浜屋)の手を引いていく直輝。


「行こう!」

「へっ? 行くってどこに!?」

「いいからついてきて!」

「えっ、あっ、ちょっと!」


 そう言って、春乃に急かすように靴を履かせた直輝は、玄関の扉を開けて、再び春乃(浜屋)の腕を引いて、外へと飛び出して駆け出していく。


 そこで、カメラからフェイドアウトする俺と浜屋。

 自然に玄関の扉が閉まり、廊下は静寂な空気に包まれる。


 少しして、ガチャリと玄関の扉が再び開けられ、西城さんが顔を覗かせる。



「カットです。 今から映像を確認するので、中に入って待っててください」


 そう言われて、俺と浜屋は再び家の中へと入っていく。


「ほら、愛奈ちゃん起きて、最終チェック!」

「ふにゃ……はっ! ごめん、ごめん!!」


 西城さんに呼ばれて目を覚ました津賀も、急いでカメラの元へと向かい、映像を確認する。

 

 真剣な表情で映像をチェックする西城さんと津賀。

 俺と浜屋も、その様子を神妙な面持ちで見守る。

 そして、映像チェックが終わったのか、西城さんが津賀と顔を合わせる。津賀が頷きを返すと、西城さんはカメラの映像の画面の方へ向き直り、ほっと息を吐いた。


「お疲れ様です。本日の撮影は終了となります」

「ふぅーやっと終わった……」


 俺はやっと身体の力を抜くことが出来た。それと同時に、どっと疲れが押し寄せてきて、少しその場で休憩したい気分だった。


 すると、後ろから肩をトントンと叩かれる。

 振り向くと、浜屋がニコっとした表情で言ってきた。


「お疲れ様、羽山」

「お疲れ……浜屋は随分と元気そうだな」

「まあね、こういう何時間にも渡る撮影とか、結構慣れているし」

「音楽でも、そういうのあるのか?」

「ほら、プロモーションビデオの撮影とか、ライブの練習とかで」

「あぁ……なるほど」


 通りで、疲れの色は見えるが、壁に寄りかかることはなく、ピシっとした姿勢で立っており、この中では一番ピンピンしている。さすがは浜屋莉乃といったところだろうか。


 浜屋とそんな会話をしていると、今度は西城さんが声を掛けてくる。


「お疲れ様です。えっと……とりあえず今日はこれで撮影なんだけど、この後どうする? 愛奈ちゃんは、このまま私の家に泊る予定になってるんだけど……」


 そう問われて、俺と浜屋は顔を見合わせる。


「どうしよっか?」

「俺たちはお暇するか。明日も大学あるし」

「そうだね」


 結論を出して、俺は西城さんの方へ向き直ると、西城さんは温かな頬笑みで答えた。


「分かった。それじゃあ駅まで送って行くよ」

「いや、それは流石に申し訳ない。俺たちは平気だから」

「でも……」


 それでも申し訳なさそうな表情を浮かべる西城さん。俺は西城さんの意図を汲み取って言葉を紡ぐ。


「大丈夫だって、明日も会えるんだしさ。それに、津賀を一人で部屋に置いてきぼりにすると、何しでかすか分からないから、見張っておいた方がいいぞ」

「やおやおは私を何だと思ってるんだ!」


 後ろでぶつくさ文句を言っている津賀。だが、疲れているのかあまり言葉に棘はない。


「そうだね……明日も会えるもんね」

「おう……」


 西城さんはどこか納得したように呟くと、顔を上げてニコっと微笑んだ。


「わかった。それじゃあ、そうさせてもらうね!」

「うん」


 こうして俺と浜屋は、一度部屋の中にある自分たちの荷物をまとめて帰り支度を済ませる。そして、再び玄関へと向かい、もう一度靴を履き直す。

 

 廊下に出ると、先ほどまで気が付かなかった、外の気温を肌で感じることが出来た。夏らしいジメジメとした暑さは消えて、風はどこか心地よく、秋の訪れを感じさせる。


「それじゃあ、お邪魔しました!」

「今日はありがとうございました、莉乃先輩」

「いえいえー」


 西城さんは浜屋と別れのあいさつを交わして、次に視線を俺へとスライドさせる。


「羽山くんも、お疲れ様」

「うん、また明日」


 ニコっと微笑みを交わして、手を上げて別れのあいさつを交わし、俺と浜屋は西城さんの家を後にした。

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