第89話 出演オファー!?

 翌日、大学で授業を受けた後、四人で食堂へと向かった。


 その輪の中に、船津の姿はもうない。

 最近は授業教室でも見かける機会が減ってきた。

 もしかしたら、留学の準備やらなんかで忙しいのかもしれない。

 人との関わり合いの中で、別れというものはつきもの、船津もその別れの一つでしかない。そこに、身近に関わっていたというだけであり、そこに悲しみや寂しさの感情が入ってくるのは別問題。

 これは、誰も止めることが出来ない自然の流れなのだ。


 食堂で席を取り、食券の券売機で食券を買ってカウンターへ並ぼうとすると、定食コーナーのカウンターに人だかりが出来ていた。


 何だろうと様子を伺うと、藤野の周りに人だかりが出来ていた。


「藤野さん。やめるなんて嘘ですよね!?」

「藤野さんの笑顔が見れないなんて……もう俺達、どうやって生きていけば……!」

「せめて……俺たちが卒業するまで見守っててくださいよ!」


 見れば、藤野ファンの男子生徒たちが、皆一堂に悲しみの表情を浮かべて藤野の周りに集まっていた。中には、涙を流すものもいる。


 藤野春海は、今月いっぱいで食堂のアルバイトを辞めて受験勉強に専念する。

 夏休み頃からアルバイトのシフトの回数は減らしていたものの、ここまで続けていたことすら驚きだ。


 藤野は、皆に愛想笑いを振りまきながら答える。


「ごめんね……でも、私! 絶対みんなのこと忘れないから!」


 藤野が演技じみた手で涙を拭う仕草をすると、群がっていた男子生徒共が、一斉に悲しみの声を吐き出す。


「藤野さんっ……!」

「俺達も、藤野さんの事絶対に忘れませんから!」

「これからのご活躍、期待してます!」


 皆泣きながらも、藤野春海の未来を願って涙を流している感想のシーンがそこにはあった。

 というか、早く食券渡してご飯食べたいから、そこ退いて欲しいんですけど……


 そんな様子を、俺は苦笑の笑みで眺めていると、ふと後ろから声を掛けられた。


「どうしたの?」


 振り向くと、そこにはキョトンと首を傾げて不思議そうな表情の西城さんが立っていた。俺は西城さんに事の次第を説明してあげる。


「いやっ、あの人が今月いっぱいで食堂のアルバイトやめるみたいで……」

「ふぅーん」


 俺が指さした方を見て、何やら含みのある返事をする西城さん。

 そして、西城さんは目を細めて男子たちの先に見える藤野春海を睨みつける。

 すると、おもむろに西城さんは歩き出したかと思うと、そのまま男子達の群れを掻きわけて、藤野春海の元へと一直線に向かっていった。


 俺が止める間もなく藤野春海の前にたどり着いた西城さんは、恐る恐る声を掛けた。


「あのぉ……」

「はい、いらっしゃいませ」


 藤野がくるりと西城さんの方に向き直り営業スマイルを浮かべると、西城さんは食券を渡すこともなくただ藤野春海をじぃっと見つめ続ける。

 そんな西城さんの行動を不気味に思ったのか、藤野の顔が若干戸惑いの表情を見せる。


「あの……どうかしましたか?」

「あっ……えっと……」


 我に返った西城さんが、おどおどし始める。が、それも数秒の間で、すぐに体勢と整えた西城さんが一つ咳ばらいをしてから話を切り出す。


「あの……私、この大学の映画製作サークルをやっている者なんですが、是非私の撮っている映画に出演していただけないでしょうか?」

「……はい?」


 状況がまるで理解できず、キョトンと首を傾げて素っ頓狂な声を出す藤野。

 その様子を遠目で見ていた俺でさえ、口をぽかんと開けて呆けて見ていることしか出来なかった。


 西城さんが、学生でもない藤野春海に対して、映画への出演オファーを口頭で出したのだ。そんな展開、誰が予想できただろうか。


 このままでは収集がつかなさそうなので、困り果てている藤野の元へ、俺もあわてて駆け寄る。


「ごめん藤野……! 突然」

「あっ、羽山……さん」


 俺の姿を見つけて、ようやく多少落ち着きを取り戻した藤野。

 一瞬、俺のことを呼び捨てにするかどうか迷ったが、一瞬の間を置いた後、さん付けした。これも彼女なりに配慮した結果なのだろう。


「えぇっと……これはどういうこと?」


 藤野が俺に対して、状況説明を求めると、その続きを西城さんがくみ取った。


「そのぉ……私たちがサークルで今撮影している文化祭用の映画があるんですが、そのシーンで食堂の場面があって、食堂の店員さんの役がまだ決まっていなかったんです。今月までとの事でしたので、皆さんからの人気もある藤野さんに是非お願いできないかと思いまして……」

「な、なるほど……」


 ようやく状況を理解出来た俺は、顎に手を当てて思案する。確かに、あの役は食堂の中に入らなくてはならないし、そう考えれば食堂の人に出演してもらう方が手っ取り早いかもしれない。一方で、藤野春海は驚きを隠せない表情で目を見開いて、必死に両手を振った。


「いやいやいやっ、私がそんな……悪いよ。それに私、自信ないですし……」


 必死に断ろうとする藤野に対して、今度は俺が声を上げる。


「実はそのシーン、俺との掛け合いなんですよ」

「えっ?」

「だから、いつもみたいに普通に接してくれるだけでいいので、俺からもお願いできませんか?」


 俺が頭を下げると、藤野は困ったようにあたふたする。

 しかし、しばらくして覚悟を決めたのか、諦めたようにため息を吐いた。


「ま、まあ……羽山さんとの掛け合いなら……やっても、いい……ですけど」

「っだってさ、西城さん」

「ありがとうございます。よろしくお願いします!」


 その瞬間、『ウェーイ』という、男子学生特有の声と拍手が巻き起こる。

 突然沸き起こった拍手に、食堂中の視線がこちらへと集まる。その皆の視線に、藤野が更に顔を赤くした。


「で、でも……私の独断でOKしちゃったけど、いいのかな? 食堂の許可とかは……」

「書類申請などに関しては、こちらの方でやりますので大丈夫です! なので、是非よろしくお願いします!」


 再び頭を律儀に下げる西城さん。


「う、うん……わかったよ……えっと……」

「あっ、申し訳ありません。名乗りもしないで……私、西城美月さいじょうみつきと申します」

「西城さんね……分かった! こちらそこ、よろしくおねがいします!」

「はい!」


 西城さんにどういった意図があってこうなったかは分からないが、まさかの藤野の出演が決まった。


 俺がなぜ、途中で西城さんに加勢して、藤野の出演を促すようにしたのかは自分でも分からない。

 けれど、一つ言えることは、これから藤野が大きな受験という壁へと立ち向かっていく前に、藤野春海がこの大学の食堂のアルバイトとして過ごした日々に、少しでも華を咲かせられたらいいなと思ったからかもしれない。

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