第87話 撮影開始!

 翌週、授業を終えてとある空き教室に入る。

 中に入ると、数人のサークルメンバーと、いかにも重厚で黒光りしている撮影機材が、教室内へ運び込まれていた。


「あっ、やおやお!」


 こちらに気が付いた津賀が、元気よく手を振ってくる。それにつられて、近くにいた西城さんも顔をこちらに向けた。

 俺は手を上げて挨拶に答え、二人の元へと近づいていく。


「よう」

「羽山くん。今日からよろしくね」

「よろしく、西城さん」


 ニコリと微笑みを向けると、ほっとした様子で西城さんも笑顔を向けてきた。

 だが、正直俺の心中は、それどころではない。


 今日から運命の撮影が始まる。

 今まで緊張していなかったのに、撮影用の機材を見た瞬間、一気に湧き上がってきてしまった。


 大丈夫だ、落ち着け俺。ただのサークルでの撮影だ。いくらでもミスしてもいい。緊張するな。


 何度もそう自分に言い聞かせて、自分を戒める。

 その様子を見ていた津賀が、キョトンと首を傾げている。


「どうしたのやおやお?」

「いやっ、何でもない」


 どうやら津賀は、微塵も緊張なんてしていない様子。

 俺は津賀の座っている前の席に座り、机越しに向かい合う。


「今日のシーン。準備は万全か?」

「そりゃもっちろん! やおやおは?」

「まあ、そこそこ……」


 嘘。めっちゃ自信ない。けれど、この数日間、妹の弥生にも手伝ってもらって(半ば強制的に)練習はしてきた。それに、今日は何の変哲もない通常パート、教室内での撮影。

 普通にいつも通り津賀と話しているような気持ちで臨めばいい。


 俺がまた深い深呼吸をすると、何やら津賀が気が付いたようににやりと笑みを浮かべた。


「もしかしてやおやお。緊張してる?」

「当たり前だ」

「っふ。そんなに緊張することじゃないっしょ! 気楽にいこうよ!」

「それが出来れば苦労しねぇんだよ……」


 ふと視線を下ろすと、自分の手が震えているのが見えた。

 ここにきて、さらに悪循環に陥っている。

 受験の時ですらこんなに緊張しなかったのに、どうしてサークルでの活動でこんなに緊張してるんだ……落ち着け俺。


 身体の緊張をほぐそうと、思考を巡らす中、ふと震える手に温かい感覚が伝わった。


 見れば、津賀が俺のその震える手をきゅっと握ってくれていた。心なしか、津賀の手も温かみはあるが少し震えているような気がした。

 そして、優しい微笑みを俺に向けて口を開く。


「大丈夫だよ、実を言うと私も少し緊張してる。だから、一緒に頑張ろ。ね?」


 そうか、津賀も内心は緊張しているのか。それを顔に見せるようなことはしない。

 もう既に、津賀の中で女優魂のようなものが湧き上がっているのかもしれない。


 だが、緊張しているのが俺だけではないことが分かったからか、手の震えは津賀に包み込まれた甲斐もあり、気が付けば止まっていた。


 津賀は俺に微笑みかけながら口を紡ぐ。


「私たちだけで、今日の台詞合わせしておく? ちょっとでも練習すれば、緊張も少しほぐれるんじゃない?」

「そうだな……」


 俺達は、お互いの台本を鞄から取り出して、読み合わせをすることにした。

 お互いに緊張しているということを共有したからか、二人の間にはどこか温かな空間が生まれているような気がして、とても心強く見えた。


 メンバー全員が揃い、撮影開始の時。

 今日は、主人公の直輝とヒロインの保月の日常シーンの撮影が主な内容。

 そのため、浜屋莉乃はここにいない。


 どうやら、課された宿題は、自分で実技で提出しろという意思表示だったらしい。


 俺達はシーンでの身体の動きなどの指示を受けて、プレテストを行う。

 そして、カメラアングルの位置や、マイクの位置などを確認して、その時は始まった。

 西城さんが皆を見渡すようにして声を上げる。


「それでは、今日からクランクインします。皆さん、よろしくお願いします」

「お願いします」

「お願いします」


 皆が、一斉に声を返す。



「それでは、早速、撮影開始します」


 俺と津賀は立ち位置にセットする。

 そして、アイコンタクトを取って頷き合う。

 大丈夫……最初なんて上手くいくはずがないんだ。失敗してもいい。思いっきり今まで練習してきた成果を出そう。


 しばらく瞑目していると、西城さんの声がかかる。


「それでは、シーン1、カット1、テイク1。ヨーイ……」


 俺は目を見開いて、顔を上げて表情を整えた。


「スタート!」


 こうして、文化祭出展作品西城さん脚本兼監督の『慈愛』の撮影がスタートした。


 スマホを操作している保月の元へ、主人公である俺、直輝がやってくる。


『おはよ』


 それに気が付いた保月役の津賀が、にこやかな笑みを浮かべる。


『おはよう、直輝くん』


 こうして、俺は保月の隣の席へと座り込む。


『何してるの?』


 スマホを弄ったまま、保月役の津賀が答える。


『ん? スマホゲーム。今日のイベントが後10分なの』

『そ、そうか……』


 ヒロインである俺の好きな女の子、保月はかなりのゲーマーという設定である。


「おっけい、カット!」


 ここで、西城さんのカットが入り、ようやく肩の力を抜いた。

 いきなり酷いシーンから始まった撮影だったが、演者の身にとっては緊張の一瞬となった。


 俺と津賀は、ふぅっと同時に息を吐く。


「チェック入ります。少しその場で待っててください」

「はーい」


 今撮影した場面の、映像チェックに入る。

 その間、俺達は待ちぼうけ。

 ふと津賀が俺に話しかけてくる。


「やおやお何あのガッチガチの顔。見た瞬間笑いそうになっちゃったじゃん」

「いやだって、緊張してたから……」

「でも、あの表情は……ぶっ」


 津賀が、思い出したように噴き出した。

 どうやら俺の顔は、緊張のあまり相当おかしな表情になっていたらしい。


「お前だって、なんだよあの素っ気ない態度。もっと穏やかな表情出来ないのか?」

「えっ? ゲームに熱中してる時なんてこんなもんじゃない?」


 至極当然のように津賀が言ってくる。


「はい、おっけいです。次のシーン行きましょう!」


 そこで、俺達の会話を遮るようにして、西城さんのおっけいの声がかかる。

 そして、次のシーンの準備へと取り掛かっていく。


 撮影は、その後何度か台詞をド忘れしたり、各々の顔を見て噴き出してしまったり、外的要因のアクシデントがあったりしながらも、順調に進んでいった。


 だが、日が傾いていき、教室に差し込む陽の光が少なくなればなるほど、カメラの明るさ調整などに手間がかかり、進み具合が遅くなっていく。


 そうなると、演者である俺と津賀も、最初はおしゃべりに興じて場をしのいでいた間も、次第に各々スマートフォンを操作したりして無言になっていく。


 以前の俺と津賀なら、絶えず会話が弾んでいただろうけれども、今はあまり会話が続かないときも多くなっていた。


 これも、お互いに心境の変化があってのことなのだろう。


 そして、本日の撮影がようやく最終シーンへと進む。


 俺達も、撮影に対しての緊張感はなくなり、スムーズに役に入り込んで演じることが出来ていた。後は、裏方スタッフの頑張りしだいといったところだろうか。


 憔悴しきった顔の西城さんが、力を振り絞るように声を上げる。


「それでは、シーン3のカット2のテイク1、スタート」


 スマートフォンの画面を見て、顔をしかめる保月に対して、俺が首を傾げる。


『どうしたの?』


 直輝がそう尋ねると、保月はピクっと身体を震わせてこちらへと振り返る。


『ううん! 何でもない! それじゃあ、私バイトだから、先に帰るね!』


 そう言ってスマートフォンをポケットにしまい、荷物をまとめて立ち上がる保月。


『おう、それじゃあまた明日』

『うん! また明日』


 こうして、保月は教室の外へと出て行く。

 その様子を、どこか心配した様子で眺めている直輝。

 ドアがガチャリと閉められて、しばしの間を置いたところで……


「カット! おっけいです! 確認します」


 最後のシーンの撮影を終えて、疲れ切ったように椅子にもたれかかった。


 教室から出て行った津賀も、再び教室のドアを開けて戻ってくる。


「お疲れーやおやお」

「おう、お疲れ様」


 教室には他に沢山の机と椅子があるにもかかわらず、津賀は俺の隣に座った。

 どうやら、撮影でずっとここに座りっぱなしだったこともあり、癖がついてしまったようだ。


 辺りを見渡すと、西城さんたち裏方が、最後の映像チェックを行っていた。ここで、何かNGがあればもう一度取り直しとなる。


 映像を見終わった西城さんが何回か小刻みに頷いて、こちらを向いた。


「おっけいです。今日の撮影分終わりました。お疲れさまでした」

「お疲れ様です!」

「お疲れ様―」


 皆が一堂に挨拶をして、ようやく張り詰めていた空気も弛緩した。


「はぁ~……疲れた……」


 津賀は糸が切れたように、だらーんと椅子にもたれかかり、ズルズルと下に足が降りていき、身体も沈んでいく。


「お疲れさん」

「やおやおもお疲れ様」


 お互いにねぎらいの言葉を掛けていると、西城さんがこちらへとやってきた。

 西城さんも疲れ切った様子で、顔にはぐったりした様子が窺える。


「二人ともお疲れ様。これからも大変な撮影になっちゃうと思うけど、よろしくお願いします」


 丁寧にお辞儀されてしまい、津賀は慌てて体勢を整える。


「いやいや! 一番大変なのは美月ち何だし、わたし達なんてそれに比べたらへっちゃらだよ! ね、やおやお」

「おう、そうだな! 一番気を回さなきゃいけないのは西城さんだし。西城さんこそ、お疲れ様」

「うん……ありがと、愛奈ちゃん。羽山くん」


 そこで、俺はふと腕時計に目をやる。

 そこそこいい時間帯になっていた。


「それじゃ、俺そろそろ帰るわ」

「えっ? やおやおもう帰っちゃうの? この後夜ご飯食べに行かない?」

「悪い、今日はこの後予定あるんだ」

「そっか……」


 津賀が残念そうな表情を浮かべる。


「まだ何日も撮影する日あるんだし、またその時に食べに行こうぜ」

「うん……そうだね」



 俺の提案に納得したのか、津賀はにこりと微笑みを向けてくる。

 俺は、自分の荷物をまとめて、席を立ち、教室にいる皆に挨拶する。


「それじゃ、またね」

「うん、またねやおやお」

「西城さんもまた明日」

「う、うん。また明日」

「それじゃあ、お先に失礼します。皆さんお疲れさまでした。またよろしくお願いします!」

「お疲れ様!」


 西城さんや津賀、撮影したみんなに見送られながら、俺は手を振って教室を後にする。教室のドアをゆっくりとしめて、ようやく初日の撮影を終えた。

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