第81話 価値観の接ぎ木

 しばらくして陽が沈み、空一面が藍色に染まった頃。俺は部屋に戻った。

 直後、夕食の準備が整ったということで、部屋の人たちと一緒に外へ出て、ホテルの眼前に広がっている川岸へと向かった。


 今日は、その河原の特設会場で、夕食のBBQが行われる。


 各々好きなところへ散らばり、BBQを楽しみ始めた。


 徐々にお酒も入り、先輩たちの口も饒舌になっていく。


 BBQが次第に落ち着いてきたところで、幹事の人たちが花火セットを用意して来たらしく、それを皆に配り、気が付けば花火大会が始まっていた。

 皆、お酒の力で酔っ払っているからか、花火の火を人に向けたり、ねずみ花火を投げつけたりと、動画に撮影されていたら炎上案件ギリギリの悪ふざけをしていた。

 夜だというのに、辺りは盛り上がりを見せている。


 そんな中、俺はというと、ある程度BBQの食事にありついた後は、川岸で体育座りして、一人寂しく水面を見つけていた。


 あの盛り上がっている輪の中に入ろうと思える気分ではなかった。

 顔を横へと向けて、遠目から眺めると、津賀や浜屋も楽しそうにしながら花火ではしゃいでいるのが見えた。


「はぁ……」


 意もせずため息が漏れてしまう。本当であるならば、もっと夏合宿は楽しむ予定だったのに、どうして俺はこんなにも考えなくてはならないのだ。

 しばし水面を眺めていると、河原の石ころを踏みながら、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。そこへ視線をやると、意外な人物がやってきた。


 西城さんは、俺の方を見ることなく、隣へと座り込んだ。

 何故、西城さんが俺のところまでわざわざ寄ってきたのだろうか? 今はぎくしゃくした状態が続いているのに。


 だからなのかは分からないが、俺はつい西城さんに尋ねてしまう。


「花火、やらなくていいの?」


 すると、西城さんは苦い表情を浮かべながら答える。


「最初は入ってたんだけど、私、愛奈ちゃん以外仲いい人いないから」

「あぁ……」


 なるほど、津賀は先輩たちの輪に馴染み、花火を思う存分楽しんでいる様子。西城さんの事など頭の中にはなく、今はこの場、この合宿自体を楽しんでいる。


 忘れかけていたが、津賀は元々は誰とでもフランクに接することが出来るタイプの人間だ。ああやって、何かのきっかけさえあれば、簡単に先輩たちとも仲良くすることが出来る。

 俺や西城さんだって、何かのきっかけを貰えば、それなりに仲良くなることは出来るだろう。ただ、今の心理状況や、目の前にいる人とさえ、仲良くできていない状況を考えても、どうやって他人と仲良くなれと言えるのだろうか。


 結局は、一人になるか、心のよりどころをどこかに探すしかないのだろう。

 西城さんは後者を選び、渋々知り合いである俺の元へとやってきたのだ。


 西城さんは、落ちていた木の枝を拾い上げながら、ゆっくりと口を開く。


「羽山くんは、夏休みは何してるの?」


 当たり障りのないことを聞いてきてくれたおかげで、俺も少しは気持ちが楽になって答えられる。


「まあ、免許取って。その後バイト始めたりとか、いろいろやってる」

「そっか、バイト始めたんだ」

「うん」


 前までならば、西城さんに真っ先にそのことを話していただろう。けれど、今は連絡どころか、お互いの近況まで知らない状況。そのことが、より西城さんとの関係性の変化を感じさせられた。


「西城さんは、何してたの?」


 俺がなんとなく聞き返すと、西城さんはおもむろに話し出す。


「実家に帰省した以外は、特に変わりないかな。図書館バイトで大学にも行ってるし、後は美央ちゃんと遊んだりとか、色々」


 西城さんの口から乙中の名前が出てきたときは、一瞬ドキっとしたが、名前を口にしてくれたおかげで、二人の関係性には変化が無いことを確認出来てほっとする自分もいた。

 だからだろうか、その先を聞いてみたくなってしまった。


「乙中はどうだ?」

「うん、今は一人が楽しいみたい。バイトに遊びに、夏休みを思う存分満喫してるみたいだったよ」

「そっか、ならよかった」


 これで乙中が、悲しむようなことになっていたら、俺は悔いても悔やみきれない過ちを犯してしまったことになるから、乙中が元気そうで助かった。

 ほっと胸を撫でおろしていると、西城さんが水面を見つめたまま口を開く。


「ホント、これじゃあどっちが正しいんだか分からないね」


 西城さんが吐き捨てるようにそう言った。

 恐らく、人様の人生にまで首を突っ込むのは、是が否か、そのことについて問いているのだろう。


 その答えを、俺は今だに知らない。


「さあ、どうだろうな?」


 だから、俺はこう答えることしか出来なかった。


 しばらく沈黙の時間が続く。

 水の流れる音、虫の声、遠くから聞こえる花火を楽しむ大学生たちのはしゃぎ声以外、聞こえてくるものはない。

 だが、パキンという音がその間に割って入った。


 見ると、西城さんが持っていた木の枝を二つに折ってしまったようだ。

 西城さんは、その枝を両手で持ちながら、こちらへ身体を向けた。


「この枝みたいにさ、二つに割れちゃったものって、もうつなぎ合わせることは出来ないのかな?」


 そう尋ねてくる西城さんに、俺は正論を口にする。


「そりゃそうだ。一度折れたものは、接着剤とか接ぎ穂か何か、人の手を加えない限りは、自然には直らんだろ」


 答えると、さらに西城さんが聞いてきた。


「じゃあもしさ、もし人の手を加えて接着剤でくっつけてたり、どちらかを削って接ぎ木にして、より強固なものになるとしたら、羽山くんは信じる?」


 そう問われ、俺は返答に困った。

 今の状況だけでは、答えることが出来ないから。


 お互いに、理想を押し付け合うだけでは、木の枝を押し付け合うだけでくっつきやしない。その間に、接着剤となりうる緩衝材が無ければ、くっつくこともないし、より強固なものになることもないだろう。または、どちらかを凹凸に削り、接ぎ木のようにして削るしか……


 いや、まてよ?


 そこで俺は、とある一つの考えに行きつく。

 もしかして西城さんは、その接ぎ木を作ろうとしているのではないだろうか?


 理想を圧しつけて、俺にそれを強要することで、そぎ落として価値観の妥協点を見つけてつなぎ合わせる。それを探ろうとしているのではないだろうか?


 だとしたら……俺は何という過ちを犯しているのだろう。

 勝手に自分に幻滅し、西城さんと価値観を一致させることはもうあり得ないと諦め、付き合うことなどできないと思っていた。だが、西城さんはまだ諦めていないのではないだろうか?


 その意図に気が付いてしまったら、西城さんが真っすぐを俺を見つめる眼差しが、希望の光を探しているようにも見えてきた。


 俺は困り果ててしまい、つい目を逸らして頭をがしがしと掻きながら言葉を口にする。


「まあ、信じるかどうかは分からないけど……まあ、可能性だけならあるんじゃないかな?」


 そう言うと、西城さんは確信めいた眼差しで言い切った。


「なら、やっぱり羽山くんは、この役をやるべきだよ」


 ああ、やはりそうだ。西城さんはまだ諦めないでいてくれたんだ。

 俺とのつながりを最後まで信じて、こうして解決の糸口を必死に探していたんだ。

 勝手にあきらめて、塞ぎ込むような態度を取っていた自分がバカみたいだ。

 ホント、何やってるんだろうな俺は……

 自分自身にあきれ返ってしまう。ここで関係性を終わらせてしまったならば、今までとやってきたことが同じじゃないか。それではダメだ、俺はもう一歩踏み出すと決めたのだから。


 だが、この西城さんの提案はリスクも大きい。たとえ接ぎ木したとしても、新たなる芽が生えるという確信はないから。

 だから、俺は西城さんに確認の意を込めて尋ねた。


「やったとしても、解決するどころか、お互いに枯れ果てる可能性だってあるぞ?」

「分かってる。でも、やらないでそのまま枯れるよりも、やって枯れた方がマシ」


 確かにそうだ。人生、やらないで後悔するよりは、やって後悔した方がいい。

 可能性が低いことは分かってる。人の価値観なんて、そうそう変えられるものじゃないし、変わろうとしてもストレスがたまり、いずれ爆発してしまうかもしれない。それでも、本当に求めているものがその先にあるのならば、人生一度きり、自分の今までを変えられることだってできるのかもしれない、そう思えてきた。


 西城さんは、もう一度改めて俺の正面へ身体を向けて、真剣な表情で依頼してくる。


「羽山くん。私の書いた作品の主役、やってくれませんか?」


 その打診に、俺は一つ息を飲んでからゆっくりと答えた。


「わかった。やるよ……」


 こうして、俺は西城さんが脚本で作り上げた作品の主役の演者として、出演する意思を決めた。これで、西城さんと俺の関係性が、少しでも変化することを信じて。

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