第77話 夏合宿
まだ日が昇って二時間足らずだというのに、夏の厳しい日差しは容赦なく照り付け、俺達の身体から水分を吸い取る。
木々にとまって大合唱する蝉たちの声が、体感温度をさらに熱くさせる。
俺は今、大学の正門前にいた。
辺りには、私服姿で大きな荷物を持った人たちが大勢集団となって固まっている。
俺もその集団の輪に入り、落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見まわしていた。
すると、ようやく顔見知りが現れ、俺に手を振ってくる。
「おはよう、やおやお!」
津賀愛奈は、半袖シャツのキャラクターTシャツに短パン姿で、その褐色色の肌を惜しみなく晒しながら、トランクをコロコロ引きながら俺の方へ向かってきた。
「おう、津賀。おはよ」
津賀は、ふぅっと一息つくと、辺りを見渡した。
「受付って、向こう?」
「うん、幹事の人がいる」
「わかった! あっ、荷物ここに置いてといていい?」
「いいよ」
「ありがと。じゃあ、行ってくる」
軽やかな足どりで、津賀は受付をしに幹事の方へと向かっていく。
俺がその様子を眺めていると、今度は背後から心細い声が掛けられる。
「羽山くん、おはよう」
驚いて振り返ると、そこにいたのは、横縞の紺シャツと、薄手の水色カーディガンを羽織り、下は白のフレアスカートという格好の西城さんだった。
「お、おはよう西城さん」
西城さんから声を掛けられると思っていなかったので、正直驚いた。
津賀との免許合宿の件、その前の乙中の一件もあり、西城さんとはぎくしゃくした関係が続いていたので、てっきり無視されるのかと思っていた。
そんな俺をよそに、西城さんは戸惑ったように口を紡ぐ。
「きょ、今日から合宿、楽しみだね……」
「お、おう……そうだな」
取り留めのない、つまらない返事しか返すことが出来ない。
他に何か言おうか悩んでいると、一人の声が割って入ってくる。
「やっほー美月ち」
「あっ、愛奈ちゃん。おはよう」
「今日から三日間よろしくね!」
「うん!」
津賀が場を引き取ってくれたので助かった。
今日から、俺達が所属している映画製作サークルは、二泊三日間の夏合宿が執り行われる。
前々から入っていた予定だったので、藤野春海の家庭教師はひとまずお休み。まあ、課題は出しておいたし、藤野の場合、自分で出来る節があるので問題ないだろう。
どちらかと言えば、問題はこっちの方。
西城さんと津賀、俺は両者ともぎこちない関係性が続いている。
津賀は挨拶から気にせず取り合ってくれたが、深刻なのは西城さん。お互いに距離感を掴めなくなっており、どうやって今まで話していたのかも思い出せないほどに関係性は瓦解している。
「バス到着したので、各自荷物を持って、乗り込んでください!」
幹事から声がかかり、集団がゾロゾロと動き出す。
「俺たちも行くか」
「そうだね」
「うん」
俺達も、その流れに乗るようにして、荷物を持ってバスへと乗り込んだ。
こうして、バスに乗り込んだのはいいのだが……
「……」
まるでやることがない。
バスは四列二人掛けのオーソドックスな観光バス。バスは合計2台で、補助椅子は使われない。
三人は、同じバスは乗れたものの、既に先に乗り込んだ人たちでごった返していたため、西城さんと津賀は前方左側の二人掛けの席に並んで座り、俺は一人寂しく、右側やや後方の席へ座った。
隣の席には誰もいない。頬杖を突きながら、なんとなく横隣の席に目をやると、男子部員の先輩らしき人が、二人でスウィッチを楽しんでいる。
俺は四時間ある道のりを、一人寂しく過ごさなくてはならない。
暇つぶしの用具を何か持ってくればよかった。そう、後悔していると、幹事の人が前から声を上げる。
「すいません! 隣の席で空いてる所ってありますか?」
そう声が掛けられ、一斉に皆が辺りを見渡す。
そして視線は自然と、俺の隣の空席へと向かう。
俺は渋々手を挙げて幹事へ声を掛ける。
「ここが一席あいてます!」
「おっけー! ありがと」
お礼を言った幹事は、すぐさまバスを降りて行ってしまう。
何だろうと不思議に思っていると、しばらくして幹事の人がまたバスに入ってきた。
そして、俺の方を指さしながら、誰かと会話している。
幹事に続いて、一人の女性が乗ってきた。その女性の顔を、俺は知っていた。
高校の同級生で、この間晴れてメジャーデビューを果たした大学の先輩、浜屋莉乃。今は、両親が離婚して名字が変わり、野方莉乃と言われている。
浜屋は、申し訳ないように中央の通路を進んでこちらへと向かってきた。
そして、俺の前に到着して顔を上げると、驚いたような表情を浮かべる。
「あれ? 羽山じゃん! おはよ」
「お、おはようございます先輩」
サークル内では、俺と浜屋は同級生ではなく、先輩扱いになっている。
俺は、一度シートベルトを外して、通路に出て、浜屋を窓側の席へと入れてあげる。
浜屋はお礼を言いつつ、奥の席へと座った。
「いやぁ……ごめんね遅くなっちゃって」
俺が再び席に座った途端、バスの扉が閉まり、目的地へと向けて出発した。
どうやら、遅刻した浜屋を待っていたらしい。
「集団行動しっかりしてくださいよ」
「し、仕方ないじゃん。昨日遅くまで仕事だったんだから……」
浜屋は、むぅっとした表情で反論してくる。
「まあ、今日が楽しみで眠れなかった私が悪いんだけどね……」
しゅんとした表情で反省する浜屋。
変化が激しい奴だなぁ……と思っていると、再び浜屋が思い出したように俺の方へ顔を向けた。
「あっ、そうそう! 今度、私の記念すべきライブがあるから、ファン一号として来てよ」
どうやら、あの時の言葉を覚えていたらしい。浜屋莉乃のスランプを克服するレッスンに付き合ったお礼として、浜屋からファン一号としての称号を貰っていたのだ。
俺は、当たり障りのない感じで適当に返す。
「まあ、時間があれば行くよ」
「あっ、それ絶対来てくれない決まり文句!」
浜屋が怒ったように言ってくるので、もう少しニュアンスを変えて答える。
「……それじゃあ、チケットくれたら行きます」
「わかった、ちゃんと用意しておく」
そう言って、浜屋は何やらスマートフォンで操作し始めてしまう。
まあ、浜屋が順調に音楽活動出来ているようで安心した。
浜屋越しの窓から外を眺めると、バスは早々と高速道路のインターチェンジをくぐろうとしていた。ここから、長い長距離移動が始まる。
映画製作サークルの夏合宿は、何か起こりそうな予感がプンプンと香っている。
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