第41話 過去払拭
とある角を曲がって、目的地に到着する。
「着いたよ」
俺が藤野春海に向かってそう言うが、藤野は俺の手をぎゅっと握ったまま俯き、顔を上げようとしない。
「藤野……大丈夫だよ。俺がついてるから」
「何が大丈夫なの? 全然大丈夫なわけないじゃん!」
すると、力いっぱいの声で藤野が叫んだ。
「私はもう忘れたっていったじゃん! なのに……なのになんで思い出させようとするわけ?! 私は……私なりに……」
「それなら、顔を上げれるはずだよね。もう過去のことなんて忘れてるんでしょ?」
「だって……私は……」
少し意地悪をしているのは分かっている。だからそこ、俺は今日藤野春海をここに連れてきた。藤野春海に真正面から向き合ってほしいから。
「藤野は絶対に一度その目で確かめるべきなんだ。今どういう状況になっているのか。それを受け入れるために」
「受け入れるって何? 私のせいだって言ってるじゃん!」
「それは違う、藤野のせいじゃない」
「私のせいだよ!!」
そういって、藤野は俺の腕を振りほどいた。
その場に立ち尽くしたまま俯く藤野。
だから、今度はわざと突き放すように言う。
「藤野が自分のせいだっていうなら、それを償う義務がある。だから、現実を見ろ。お前はただ自分の過去に蓋をして逃げてるだけだ。それじゃあ何も変われないし、何も生まれない。本当の藤野春海じゃない」
「本当の私って何? あんたは何も知らないじゃん!」
「……そうだな。俺は中学時代の藤野のことは実のところよく知らない。だけど、無邪気で可愛くて、いつもニコニコしてて、みんなに優しくて、おばあちゃん想いで、不器用だけど何事に対しても一生懸命で、毎日を楽しく生きていた藤野春海を俺は知っている」
「それは……もう昔の事……今は違う」
「そうか? 俺はそうは思わない。昔のままの可愛くて、ニコニコしてて、優しくて、そして不器用で家族想いで、何も変わらない藤野春海だよ」
自分が変わったと思ってしまっても、意外と周りから見ると、根本の部分は変わってないように見えるものだ。藤野はそれに気づかなくてはならない。
変化してしまったものと、変わらないものの境界線を……
「俺だって、確かに見た目も性格も藤野と過ごしていた時とは違うかもしれない。けど、今も俺は藤野春海という女の子が好きだったってことは絶対に変わってないって言える」
すると、藤野が初めて驚いたように俺の方を見た。
その時、俺はどのような表情をしていただろうか。振られたときのことを思い出して、哀愁漂う表情をしていただろうか? それとも、今目の前にいる女の子に昔を照らし合わせて懐かしむような表情を浮かべていただろうか?
そのどちらも、俺の中で美化された偶像の藤野春海であることは分かっている。
けれど、彼女が少しでもそれを取り戻せたら、どんなにうれしいことだろう。
これが俺自身の自己満足だと分かっている。藤野のためという理由付けでやっているということも分かっている。だけど……俺はそれでも……
「ね? 一歩前に踏み出してみよ?」
藤野春海と一緒に未来を見据えてみたいと思っている。
藤野は動揺で目を泳がせたが、一度下を向いてぎゅっと目を閉じた。
そして、一度深い深呼吸をしてからゆっくりと顔を上げる。
何度か深呼吸を続けて、最後に大きく息を吐き、意を決したようにばっと目を開けた。
そこは、周りから置いて行かれたように古い木造建築の家で、窓ガラスは割れて中にはすす埃が舞い、人が住んでいる気配など皆無に等しいが、中には家具などがそのままの状態で残っているどこか温もりが残っているような一軒の住宅。
藤野春海は、ようやく夜逃げ以来初めて自宅へと戻ってこれたのだ。
その家を見た瞬間、藤野春海は驚いたように目を見開いた。そして、色々なものがこみあげてきたのだろう、目に涙をためて今にも泣きだしそうだった。
「おかえり、藤野。よく頑張ったね」
俺が優しく微笑んで言うと、藤野はその場にしゃがんで嗚咽を吐きながら号泣しだす。
今まで心の内にため込んでいたすべてを吐き出すようにして……
俺は藤野春海の横にピッタリと着いて、よしよしっと背中をさすってあげた。
「私ぃ……私がぁ、全部っ……私がっ!」
「藤野悪くない! いいんだ忘れなくて、辛いときは泣いたっていいんだよ? 過去を変えることは出来ないし逃げることも出来ない。けど、辛いときは泣いたって誰も藤野のことを咎めたりはしないよ。一人で抱え込まないで、悲しむことも俺は大事だと思う。だから、泣いていいんだよ?」
「うっ……ぐすっ……うぇぇぇぇん!!」
次の瞬間、ダムが決壊したように大声で号泣しだした。
俺はそんな藤野をギュっと抱きしめてあげる。
これでよかったんだ……彼女が過去を抱え込まなきゃいけない理由なんてないのだから。過去のこととしっかり向き合うためにも、悲しむことを我慢しないことが必要なんだ。
藤野春海の心にわだかまっていたことをすべてここで吐き出させる。
これが俺の求めた形になったかはわからない。
だけど、これを機に藤野春海は一つ前に進むことが出来るかもしれない。
俺はそう感じ取っていた。
◇
しばらくして、ようやく藤野春海は泣き止んだ。
俺は藤野春海にハンカチを渡してあげる。
それを受け取った藤野春海は、涙を拭う。
俺はチラっと時計を確認した。
「そろそろかな」
「何が?」
「ちょっとね」
俺はニコっと藤野春海に微笑んでから、道路の方を見つめる。
そこに丁度、一人の女性が現れる。
俺の視線を追うようにして、藤野春海は後ろを振り返ると、『えっ……』っと声を上げた。
髪を横でピン止めして豆鉄砲を食らったような表情で、藤野のことを見つめている。
「春海……なの?」
「梅ちゃん?」
お互い信じられないと言ったような表情を浮かべている。
そして、顔を歪めた梅本が一気にこちらへと駆け寄ってきた。
「春海ぃぃぃ!!」
梅本は藤野にガバっと抱きついた。
「梅ちゃん?」
「春海なんだよね!? 本当に春海なんだよね!?」
何度も自分が夢でも見ているのではないかと、梅本は藤野の身体を手で触れて確かめる。
「うん……正真正銘。梅ちゃんの同級生で、親友の藤野春海だよ」
藤野春海がニコっとした笑みで頷くと、再び梅本はガバっと抱きついて、鼻を啜った。
「よかったぁ……生きててよかったよぉぉぉぉ!」
そして、遂に涙腺が崩壊して盛大に泣き始めた。
「ちょっと梅ちゃん……」
梅本の号泣に面喰ってしまったのか、藤野の方は意外と冷静で、やれやれといった感じで梅本を抱き返す。
とても微笑ましい光景に水を差してはいけないが、俺は藤野春海に一つ勘違いしていることを訂正してやらなければならない。
「これでわかったろ? お前が生きてて泣いてくれる奴だっている。お前は見捨てられたわけじゃないってな」
俺の言葉を聞いて、藤野は『うん……』と小さく頷いた。
そして、感極まったように再び涙を手で拭っていた。
こうして、藤野春海は過去と向き合うことが出来た。
後はこの経験をどうしていくのかは彼女次第だが、いい方向へ向かってくれると俺はなんとなくそう感じているのだった。
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