第24話 暗い過去

 それから時を経て3年。

 もう定番ともなってしまった大学近くの喫茶店『カラフル』で藤野春海と思われる人物と向かい合って座っていた。


 いや、ありえない。藤野春海は死んだんだ。この場にいるはずがない。

 あれぇ?やっぱり俺、徹夜明けで寝てないから幻覚を見てるんじゃないか?


 実は向かい側に座っている人なんていなくて、俺は藤野春海の形をした亡霊を見ているんだ。そうだ、そうに違いない。


 この2日間連続して状況が呑み込めない状況が続いて、俺の頭は完全にパンクしていた。


 アハハハハと魂が抜けたような笑い声が出てしまいそうな始末。


 一方の藤野春海と思われる亡霊は、俯いたまま何も話そうとはしない。

 このまま沈黙が続いていても何も進展しないため、俺は一度咳ばらいをしてから亡霊と話している痛い人になる覚悟を決めてから藤野春海の亡霊に話しかけた。


「えっと……本当に藤野春海なのかな?」


 そう問いかけると、藤野春海の亡霊はコクリと頷いた。

 どうやら本人であるのは間違いないらしい。


「なんで俺の前に現れたのかは知らないけど。とりあえずは早く除霊して天国に……」

「死んでないよ」

「えっ?」

「私、触れるでしょ?」


 藤野春海の亡霊は、机に置いていた俺の手を握ってきた。

 柔らかい手の感覚もあり、冷たいが体温も感じられた。うん、間違いなく生きている人の手だ。


 どうやら亡霊であるというのは俺の勘違いのよう。だとしたら本当に藤野春海は生きてて、俺の前に偶然現れたってこと!? 何それ怖い。


「本当に……本当に藤野春海なんだよね?」


 念のため俺はもう一度確認する。


「うん、私は正真正銘、藤野春海。市立安和小学校出席番号25番。羽山弥起くんと同じクラスの同級生だった藤野春海だよ」


 藤野春海は、真剣な表情でその大きな瞳で見つめながら言ってきた。嘘を言っているようには見えない。


「だけど、藤野春海は、4年前死んだはずじゃ……」

「でも、死んだところも見てないでしょ?」

「た、確かに……」


 俺は梅本から聞いただけで、本当かどうかその目で確かめてはいない。


「お葬式もしてないでしょ?」

「でも、親族だけでしめやかに行ったって聞いたけど」

「あれは全部嘘……出まかせなの」

「え!?」


 俺は目を見開いて彼女を見つめた。


「少し、昔の話をしようか……」


 そう言って、藤野春海は語りだした。



 ◇



 私が中学三年生の時、四年前のことだ。

 当時の私は県内有数の進学校である高校へ入るため、必死に受験勉強に勤しんでいた。


 母親は物心つく前にこの世を去り、父親は単身赴任中。今はおばあちゃんの家で暮らしていた。


 決して裕福な家庭ではなかったので、学習塾にも通わずに自宅で一人寂しく猛勉強を続けていた。

 受験期ともなり、私は彼氏を作ることも辞め、すべての誘惑を断ち切り、化粧もせずに必死に勉強に勤しんだ。そんな夏休みのとある日のことだった。


 川崎の本屋に参考書を買いに行った帰り道、一人の男性に声を掛けられた。

 最初は居酒屋のキャッチか何かかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしく、私をナンパしてきたらしい。


 当時の私は、受験勉強で息抜きもせずに頑張っていたこともあり、男欲に一瞬の間が刺してしまった。これが、すべての元凶の始まりだった。


 そのまま連れていかれた居酒屋のようなところで、その男たちにされるがままに酒を飲まされ、気が付いた時にはホテルに連れ込まれていた。


 まあ、よくある一夜だけの関係だと思って、その時の私はなにも思ってなかった。でも、しばらくたったある日、私の家に見知らぬ強面の男たちが押しかけてきた。


 その男たちは、『藤野春海さんに多額の借金があります』と言って一枚の紙を見せてきた。私は全く身に覚えがなかったのだが、ふと川崎での出来事を思い出した。


 そう、私は酔っぱらった勢いで、見知らぬ契約書のようなものに署名してしまったのだ。


 後で聞いた話になるが、当時若い未成年の女性を酔わせて、無理やり支払えるような額ではない金額を請求する契約書を書かされて、『払えないならうちで働いてもらう』と脅迫されて、借金を返すという名目で風俗嬢やソープで働かさせるという卑劣な手口をしている地元の反社会的勢力たちのグループによる犯行だそうだ。


 私はその時初めて、事の重大さに気が付いた。受験勉強でため込んでいたストレスを、一瞬の間が刺した誘惑に負けて取り返しがつかないことをしてしまったと……


 いつ私は連れていかれるか分からない恐怖に追われ、家に引きこもったまま何もできなくなってしまった。

 おばあちゃんが必死に守ってくれていたが、強制送還されるのも時間の問題だった。

 そんなとある日の深夜。布団に潜って身を潜めていると、一台のトラックが家の前にやってきた。

 しばし耳を傾けて音を聞いていると、足音が家の前まで近づいてきて、ガチャガチャっとドアの鍵が開かれる音が聞こえ、その足音は私の寝室へと向かってきた。

 あぁ……無理やり私を連れに来たんだ……そう思った時だった。


 足音は私の目の前で止まり、その人はトントンと私の肩を優しくたたいた。


「春海……」


 その聞き覚えのある優しい男性の声に、私は驚いて振り返る。

 そこにいたのは、単身赴任中であるはずのお父さんだった。


「お父さん!?」

「しぃ!静かに……」


 お父さんは私の口元を押さえて、声を殺すようにして言ってきた。



「大切な物だけ用意して、逃げるよ」

「えっ!?」


 状況が理解できない私に、お父さんは優しく微笑みかけた。


「福島の方に、俺の親戚がいるんだ。みんなでそこに逃げるぞ」


 そうして、急いで支度をした私とおばあちゃんは、状況が理解できぬままお父さんのトラックに乗り込んで地元を離れた。これが、私が暮らした街からお別れをした瞬間だった。いわゆる夜逃げというやつだ。





 それから私は、親戚のいる福島へと逃げ、ひっそりと暮らした。

 高校は通信制の高校に通いながらアルバイトで自分の生計を立てた。

 そして、私は無事に高校を卒業。すると、お父さんが大量の札束が入った茶封筒を差し出してきた。


「これで春海は関東に戻りなさい」


 そう言ってきたのだ。

 私はもちろんその提案を拒んだ。でも、お父さんはそれを許さなかった。


「これからの春海には将来がある。今から関東に戻って様々な可能性を見つけて欲しい」


 と言って、福島に残ることを認めてくれなかった。



 ◇



「そして私は関東へと戻ってきた。でも、頼る伝手もなくやりたいことも特になかったから、こうしてダラダラとアルバイト生活をして送ってた。そしたら、学生として羽山が目の前に現れるんだもん。びっくりだよ」


 藤野春海は、空白期間の出来事を端的に話してくれた。

 つまりは、藤野春海は実は死んだわけではなく夜逃げしただけだったと……


 そして、父親に半ば強制的に関東へ戻され、今小学校の同級生である俺に出会ったと。


「他の奴とは連絡とってないの?」

「うん、向こうに行ってから携帯解約して、全部一からリセットしちゃったから……」



 その言葉を口にしたときの藤野の表情はどこか曖昧な顔だった。

 俺はその時感じてしまった。彼女には、まだリセットしきれていないのだと……


「藤野さ……」


 言おうかどうか躊躇していると、藤野さんが首を傾げて言葉の続きを待っていた。

 俺は意を決して続くを口にする。


「まだ、その時の夜逃げの事、切り替えられてれてねぇんじゃねぇの?」

「えっ……!?」


 核心をつかれたように、藤野春海はこわばった表情で俺を睨みつけてくる。だが、すぐに観念したようにふぅっと深いため息を一つついた。


「そうね。忘れようとしても忘れられるわけがない。だって、あの一件で家族のすべてを壊したんだから……」


 藤野は当時の辛い過去を思い出してしまったのか、瞳をうるませていた。


「でも……私はもう過去は振り返らない。だって、お父さんが折角こっちに私を戻してくれたんだもん!私は新たな藤野春海として生まれ変わる」


 藤野春海は、目を必死に拭いながら真っ直ぐな瞳でそう言った。しかし、その意思表示は、どこか見栄を張っているだけのようにも思えた。

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