ツイッターは、ひとつの希望。(2010年振り返り、に。)

(2010年振り返り、に。「Twitter」)



 インターネットの、希望を知った。

 それはたぶん、東京のいろんなところから見える、スカイツリーとおんなじたぐいの希望。



 私は今年の2月から、Twitterを始めました。

 なにがなんだかわからなかったけれど、まあとりあえずやってみようと登録した。それまでも、いわゆる「リアル」というやつはたのしそうだなあと思っていたんだけど、あのいかにも学生、という雰囲気になかなか馴染めず、うーん、どうしようかと思っていたときのことだった。

 140文字、という制限。最初はちょっとうっとうしく感じたけれど、慣れてしまえばこれが逆に心地いい。とりあえずは親しい人や有名人をフォローして、新鮮な気もちでホームの画面を眺めた。なんか、これ、斬新だなあ。はじめたてのころから、私は今とほとんど変わらない雰囲気で、思ったことを自由に呟いていた。


 やがて、すこしずつだけれど、反応が返ってくるようになった。

 すごいなあと、思った。私は学校ではあんまり喋るのがうまくなくて、だからここまでの本音を言える機会がまずすくなかった。そのうえどうにか自分の思いを言えたとしても、それに対する感想、みたいなものがもらえることはさらにすくなかった。だから、感動した。伝わっている、伝わってくる!と。

 フォローする人もフォローしてくれる人も日に日に増えてきて、私はツイッターを、「リアル」だとは捉えなくなってきた。これは、もっと、希望に満ちたなにかだ。そう思うようになっていた。


 そのうち私は、ツイッターで出会った人たちのことを気にかけるようになってきた。顔を知っているだけで喋らないような人たちよりもずっと近いって、そう思った。それは今も、変わらない。

 バーチャルだけでのつきあいは、すごく久しぶりだった。小学生のときちょっと痛い目にあっていて、だからそれからはバーチャルオンリーでのつきあいは極力避けてきたのだ。でも今回は、ちゃんとつきあえていると思った。

 ちゃんと、つながれるんだ。

 そう思った。


 今ではすっかり、ツイッターは私の生活の一部になっている。

 思ったことを、書きとめる。呟く。今までは心のなかで消えていた言葉たちが、きちんと残るようになってきた。

 こういったことを、否定する人がいることはなんとなく知っている。そういうのって不健全だ、と。

 でも私はそうは思わない。ツイッターっていうのは、新時代の希望のひとつだと思う。言いたいことを言って、聴きたい人が聴いて。そこにはちゃんと、つながりがある。画面のなかから、ときには飛び出てしまうほどのつながり。世界が広がって、深まってゆく。

 そういうのって素敵だと思う。私はね。



 スカイツリーを見ると、ああ、つながってるなあって思うから、だから私はスカイツリーを見るたびに、ツイッターを思い出す。

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