『34』
スフレvs謎の影、の追いかけっこ開始だ。
螺旋状の岩場を駆け上がる黒い影を追うのはスフレを乗せた丸犬達。とはいえ、彼女と丸犬達は一心同体、一つの命ではあるのだが。
突然変異体であるスフレ本体の体力は本来、下半身として産まれる筈だった丸犬達に偏ってしまったのだろうか。各々に意思もある。しかし、考えている事はお互い手に取るようにわかる。
「まーつのじゃぁぁぁ!」
黒い影はキューキューと甲高い声をあげながら、とてつもない回転力を誇る小走りでスフレの追随をかわす。岩のトンネル、滑り台のような坂道、そんな環境下での追いかけっこも佳境を迎える。
丸犬達の体力が限界を迎えたのだ。遂にへばってしまった丸犬達の変身は解け、地面に散らばるように崩壊した。放り出されたスフレはお尻を固い地面に打ち付け「のじゃっ」と声を漏らす。
しかし勝負はこれからだ。
何故なら、黒い影にも疲れが見えてきたから。少なくともスフレにはそう見えた。スフレは頼りない両脚で立ち上がり断崖絶壁に影を追い詰める。
「か、返すのじゃ……」
『キューッ、キュキュキュ!』
黒い影の正体は小さな龍の幼体のようだ。真っ黒な鱗を身に纏うチビ龍はスフレを威嚇せんと翼を広げる。スフレは少し怯むが、むっ、と頬を膨らませ一歩足を踏み出す。
風の音と地を踏む音——否、地面に何かが倒れたような音。
『キュー?』
チビ龍は大袈裟に首を傾げる。目の前の真っ赤なツインテールがふわりと風になびく。
『キュ?』
チビ龍は無理をして倒れたスフレの前までテクテク歩き、頭をクチバシのような尖った口の先端で突く。小さく反応するスフレ。
「い、いて……」
スフレの周りに丸犬達が集まって来てはペロペロと頬を舐めたりクンクンとにおいを嗅いだ。
チビ龍は小さな手に持っていたパンをスフレの頭に乗せた。
『キュー』
「……な……か、返して、くれるのか……?」
『キュー!』
そう鳴いてクルリと回って見せたチビ龍だが、次の瞬間、ぺたりとへたり込みお腹を鳴らした。
「お前、お腹空いてたのじゃな……ほれ、パン、食べても良いのじゃ」
『キュ?』
スフレからパンを受け取ったチビ龍は両手で大事そうにそれを持ち、つぶらな瞳を瞬かせる。
スフレは小さく頷く。チビ龍はパンを一口ついばむようにして食べた。
『キュッキュー!』
「はは……お前にもわかるのか。母様の焼いてくれるパンは美味しいからな!」
チビ龍はパンを丸呑みにして翼を羽ばたかせながら珍妙な踊りを披露する。スフレは思わず噴き出した。ドラゴンが片脚をあげ踊る姿があまりにもおかしくて腹を抱えて笑った。
丸犬達も短い尻尾を振り始める。
一頻り踊って満足気なチビ龍は思い付いたようにスフレの肩に両脚を乗せる。そしてしっかり掴むと翼を広げ天を仰ぐ。
「の、ののの、のじゃ!?」
地面についていたスフレのお尻が浮いた。チビ龍がスフレを掴み飛んだ。徐々に遠くなる地面に戸惑いを隠せないスフレ。そこに丸犬が一匹、飛び付いた。スフレの片脚にしがみ付いた丸犬に次々と他の犬も飛び付いていく。
チビ龍は高度を一瞬下げるが、羽ばたきの回転を上げて踏ん張る。やがて、スフレと丸犬達の身体は完全に宙を舞い、岩の地面がみるみる内に遠くなる。
高さの恐怖よりも、そこからの景色への感動が上回ったスフレは緋色の瞳をキラキラと輝かせた。
断崖絶壁を登り切ると、一本の坂道が螺旋を描いていた。チビ龍はスフレ達を降ろすと誘うように走り出した。
顔を見合わせたスフレと丸犬達は小さく頷きチビ龍の後を追う事にした。
「ぬぅ、お前達、すまないのじゃ」
既に体力切れのスフレは申し訳なさそうに丸犬達を見る。スフレを運ぶ丸犬達はつぶらな瞳を瞬かせるだけで大して表情を変えないが、スフレは口元を緩めた。
彼女達同士は心が通じ合っている。言葉や行動はなくとも、通じる想いがあるのだ。きっと丸犬達は「気にしなくていい」と彼女に伝えたのだろう。
暫く歩くと開けた場所に出た。——頂上だ。
スフレは身を乗り出した。眼下に広がる雄大な景色は今まで見た事もない絶景だった。
魔界ヘル=ド=ラドを一望出来るのではないか、というのは大袈裟かも知れないが、それくらいのパノラマはスフレにとって世界そのものだった。
自分の生きる世界は、こんなにも広く果てしないものなのかと瞳を輝かせた。
「ここ……凄い……あ、あそこは……龍の、巣?」
龍の巣というより、巣の残骸といった、雨風をしのげるくらいの横穴がある。
「そうか……お前も一人ぼっちなんじゃな」
『キュー……』
龍族は人間はおろか魔界の住人にも殆ど姿を見せない。所謂伝説の生き物だ。
恐らく、餌を探して人界へ出た親龍を人間、勇者が討ち滅ぼしたのだろう。龍は高価で売れる上、勇者と呼ばれる存在が欲しがる結晶も大量に保有している。
親が帰って来なくなって長いのか、食料を求め中腹へ降りてきたところ、スフレ達と出くわしたと推測される。
「広いのじゃ。儂の住んでる世界はこんなにも広いのじゃな! パンのお礼にここへ連れて来てくれたのか? えっと……」
『キュー!』
「うーむ、キューしか言わぬとか……そうじゃ、お前は今日からキュロットじゃ! 儂が、えと、そ、そうじゃな〜、と、友達になってやっても良いぞ?」
理解してかどうかはわからないが、チビ龍改め、キュロットはあの珍妙な踊りを披露した。
名前を得たのが相当嬉しかったのだろうか。キュロットはスフレの隣にちょこんと座り、目の前に広がるまだ見ぬ世界を眺めた。
「あ、でもそろそろ帰らないと。今日は父様が帰ってくるから。キュロット、またパンを持って来てやるからの!」
すると、キュロットは巣の中から拳大の石を咥えて来てはスフレに手渡す。翡翠色の透き通るような石は、まるで宝石のようだ。
「く、くれるのか……?」
『キュ!』
「綺麗じゃな〜、あ、そうだ。これを母様の誕生日に渡せばきっと喜ぶのじゃ!」
『キュキュッキュ!』
「でも母様の誕生日はまだ先じゃな。そうじゃ、それまではここに隠しておいてもいいかの?」
『キュ!』
「ありがとうなのじゃ。それじゃ、帰るのじゃ。また、明日も来るのじゃ、約束なのじゃ!」
スフレはキュロットと約束を交し、日が暮れる前に集落へ帰る事にした。帰り道も勿論キュロットに運んでもらい中腹へ降りた。
「急がないと、父様、お土産買って来てくれたかの?」
こんな日々が、ずっと続くと信じていた。スフレは初めて出来た丸犬以外の友達の事を思い小さく口元を緩めるのだった。
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