12話 バンソウコウ

 数日後、愛理沙が顔に大きなバンソウコウを張って登校してきた。



「どうしたんだ? 怪我でもしたの?」


「ちょっと、転んじゃって顔からコケちゃって、そんなに気にするほどの傷ではないの……少しだけ腫れているだけだから」


「傷を見てもいい?」


「バンソウコウ持ってないから。このままにしておいて……本当に大したことないのよ」



 美少女の愛理沙の顔に大きなバンソウコウが痛々しい。


 クラスの皆も心配そうに愛理沙のほうを見ている。

涼は言葉が見つからずに席に戻って椅子に座る。

すると隣の席の聖香が椅子を寄せてきた。



「また……顔にバンソウコウを張ってきたのね……最近はなかったのに……」


「最近は? 今までにも結構、こんなことがあったのかい?」



 聖香は暗い顔をして大きく頷く。



「私、高校2年生の時、愛理沙ちゃんとクラスが一緒だったでしょう。だから愛理沙ちゃんが顔にバンソウコウを張ってくる姿を何回も見かけたの……どうしたの?って聞くと、いつも転んだって、愛理沙ちゃんが言うの」



 年に何回も顔からコケたりするだろうか?

普通に暮している者なら1年に1回も顔に怪我をしたりしない。


 芽衣の言葉が頭に蘇る。

しかし、愛理沙を引き取った親戚が愛理沙に暴力を振るったと決まったわけではない。一方的に決め付けるのは早計だ。

愛理沙に話してもらうのが一番だが、聖香の話を聞く限り、話してはくれないだろう。



「聖香、2年生の時に愛理沙と同じクラスだったということは芽衣とも同じクラスだったのか?」


「うん。芽衣ちゃんとは私も仲良かったよ」



 高校2年生の時に芽衣と愛理沙は同じクラスだ。

芽衣も愛理沙がバンソウコウを張って登校しているのを知っているはず。

生徒会長をしていた芽衣なら、何か知っているかもしれない。



「ちょっと芽衣のクラスまで行ってくる。芽衣のクラスはC組だよな」


「そうだよC組。芽衣ちゃんなら朝早いから、もう登校しているはずだよ」



 涼は急いで教室を出てC組に向かう。C組のドアから中を覗くと既に芽衣は登校して席に座っていた。

芽衣の席まで歩いていって声をかける。



「おはよう芽衣。朝からゴメンだけど、少し話を聞いてもらえないか?」


「あら? 涼から私に話しかけるなんて珍しいわね。今ならいいわよ」


「今日…愛理沙が顔に大きなバンソウコウを張って、登校してきた。聖香から2年生と時も愛理沙は顔にバンソウコウを張って登校していたと聞いた。芽衣は何か事情を知ってるか?」


「私も愛理沙に直接、聞いたけど転倒したとだけ毎回聞かされたわ」


「1年に何回も顔から転倒する人っていないよな……当然、芽衣は不思議に思ったよな。疑ったはずだよね」



 それまで真直ぐに涼の瞳を見ていた芽衣が顔をそらす。


 この仕草は、芽衣が何かを知っている証拠だ。

あまり他人の心の中へ入っていきたくはないが、今はそんなことを言っている場合ではない。涼は心の中で芽衣に謝る。



「芽衣のことだから、何か対策をしたよね……誰にも言わないから教えてほしい。俺も一応は愛理沙の彼氏なんだ。どうしても気になる」


「仕方ないわね。2年生の時に担任の先生に家庭訪問してもらったわ……でも、結果は門前払いされただけ。愛理沙の親戚は、まともに話そうとしなかったって……担任の先生が愚痴をこぼしてたわ」


「そうか…愛理沙の家庭環境はあまり良くなさそうだな」


「愛理沙には私が涼に話したことは内緒にしてよ。愛理沙とは仲良くしたいんだから」


「ああ、わかった。できるだけ内緒にする。今はそれしか言えない……その代り陽太とのことは応援する」



 急に芽衣の顔が真っ赤に染まる。耳まで真っ赤になっている。



「それはどういう意味かわからないわ。意味はわからないけど、私の味方をしてくれるのは嬉しいわ。陽太には何も言わないでよ……すぐにからかわれるんだから」


「ああ…わかった。ありがとう」



 芽衣と別れて、3年C組を出て、自分のクラスである3年A組へと戻って、自分の席に座る。すると聖香が涼の席へと体を寄せる。



「芽衣ちゃんから話は聞けた? 何か詳しいことを知ってた?」


「いや…聖香と同じ情報しか、芽衣も持っていなかったよ」



 聖香には申し訳ないが芽衣との約束がある。皆に言うわけにはいかない。



「そっか……残念だったね」



 聖香は優しく微笑んで、体を離して自分の席に座り直す。


 1限目が終わるチャイムが鳴った。







 放課後、いつもの公園で愛理沙と2人で夕陽を眺めている。

2人共、無言だ。


 今日の愛理沙は何か、涼に対して心の距離を取ろうとしているように感じる。

顔のバンソウコウのことを聞かれたくないのだろう。


 愛理沙を苦しめたくないので、もちろん涼はそのことについて朝から触れていない。


 夕暮れの太陽が沈んでいき、段々と赤く染まっていた空が夜へと変化し始める。

明るく輝く星がいくつも空に浮かび上がってきた。


 愛理沙は一旦、家に帰って私服でブランコに座っている。

涼はアパートには帰らず、公園で考え事をしていたので、制服そのままだ。


 ベンチから立ち上がって、自販機でコーヒーとミルクティを買って、ブランコに座っている愛理沙へ無言でミルクティを渡す。

愛理沙も無言でミルクティの缶を両手で握って手を温める。


 ベンチに座ってプルトップを開けてコーヒーを一口飲む。体が少し温まる。

愛理沙はミルクティを一口飲んで、息を大きく吐く。



「ああ……今日は少し遅くまで外にいたいな」


「俺だったら、いつまででも付き合うよ」


「うん…ありがとう」



 また2人の間に沈黙が流れる。

すると愛理沙が立ち上がって、涼の目の前に立つ。



「何も聞かないでくれて、ありがとう……涼と2人でいるとホッとする」


「そう言ってもらうと嬉しいな」


「今日は涼の家へ料理を作りに行ってもいい?」



 家の冷蔵庫の中には何も食材がない。それに部屋は散らかりほうだいだ。愛理沙に見せるには非常に悪い状態だ。

しかし、愛理沙は家に帰りたくなさそうだ。ここは覚悟を決めるしかない。



「部屋も散らかってるし、冷蔵庫の中には何も入ってないよ」


「うん…そうだと思った。涼のアパートへ行く前にスーパーに寄って料理の具材を買いましょう」



愛理沙は嬉しそうに笑顔を深める。



「わかった…行こう」



 愛理沙と2人で並んでスーパーへ向かって歩き始める。


 涼にはどうしても愛理沙に言っておきたいことがあった。



「愛理沙…今度、愛理沙の部屋を案内してくれないか? 俺、女子の部屋って行ったことがないんだ」



 愛理沙がハッとした顔で涼を見る。

心の中で愛理沙に断られるかもしれないという思いが大きくなる。



「――――涼ならいいよ」



 小さな声で愛理沙が呟くように答えた。

涼と愛理沙の間にあった心の壁が取り壊され、少しだけ距離が縮んだような気がした。

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