第89話 時を越えた想い

「よし、少し休憩するか」

「は、はぁい……」


 クラウスさんの言葉に、糸が切れるようにその場にへたり込む。さっきから魔力を使い通しだから、精神の消耗が激しい。


「水だ。飲んでおけ」


 差し出された水袋を、素直に受け取って口に含む。氷の魔法に保冷されてない水は生温かったけど、クラウスさんの気遣いは嬉しかった。


 クラウスさんの理論を実践するのは、言うほど簡単じゃなかった。

 ぎょくなしで強い魔力を具現化させるのは、とても難しかった。詠唱の力を借りてもなお、確かなイメージを保ち続けるのは困難だった。

 きっとクラウスさんも、試行錯誤を何度も繰り返してこの技術をものにしたんだろう。それはまさしく、私が憧れた大賢者の姿そのものだった。


「お前は筋がいい。研究を始めた頃の僕より、ずっとイメージを形に出来ている」


 私の隣に腰を下ろし、クラウスさんが小さく笑う。それに対して、私は大きく首を横に振った。


「違うよ。私には下地があるから」

「下地?」

「弱い魔法を媒介なしで撃つ技術なら、私の時代にもあるから」


 そう私が言うと、クラウスさんは何か考え込むように顎に手を当てた。そして、軽く眉間に皺を寄せてこう呟いた。


「……そうか。やはり未来の僕は、この研究の総てを公表する事はなかったか」

「え?」


 反射的に、驚きの声が口から漏れる。クラウスさんは難しそうな、それでいてどこか悲しそうな顔になって、それ以上は何も言わなかった。

 どういう事? クラウスさんはこの頃にはもう、この技術を後世に伝えないと決めていた……?


「どうして、ひいおじ……クラウスさん? これは確かに難しいけど、凄い技術だよ。魔物退治だって、きっとずっと楽になるのに」

「……」


 我慢出来ずに問いかけると、クラウスさんの眉間に更に深い皺が刻まれる。そして何かを迷うような、そんな様子を見せた後、やっと重い口を開いた。


「……お前達の時代に、『神々の黄昏』時代の事は伝わっているか」

「うん。それまでの文明を滅ぼすほどの、神々の子孫が世界の覇権を求めて争った大きな戦争……だよね」

「その争いは、何故起きたと思う」


 またクラウスさんの問いかけ。今度も、私は明確な答えを出す事が出来ない。


「……皆、仲が悪かったから?」

「それもあるかもしれんがな。一番の理由は、共通の敵を失った事だ」

「共通の? ……あっ」


 言われてすぐに思い至った。魔物。この世界に住む者にとっての、共通の敵。

 そしてやっと、クラウスさんの言いたい事が解った。魔物が現れたから戦争がなくなったなら、魔物が脅威でなくなったら……。


「人は愚かだ。強い力を振るう先が無くなれば、その力を同胞に向ける生き物だ。それ故に、神からも見放されかけた」

「だからクラウスさんは、この研究を公表しないの? 人がまた、戦争を始めないように……?」

「自らの手で、世界滅亡の引き金を引くなど御免だからな」


 ……クラウスさんは、ひいおじいちゃまはとても思慮深い人だ。そして、優しい人だ。

 ひいおじいちゃまは自分が見つけた法則が、世界のバランスを狂わせる事を知っていた。だからその総てを家族にも、恐らくはサークにすら明かさなかった。

 でも人間を愚かだと言いながら、ひいおじいちゃまは、どこまでも人間の為に生きた。多分ひいおじいちゃまの後半生の研究内容は、自分の知識をどこまでなら明かして問題ないかの試行錯誤だったんだと思う。

 とても頭が良くて、とても優しくて、とても立派な人。それがサークが相棒と呼んだ、私が憧れた、私のひいおじいちゃま――。


「……僕には、愛する女がいた」


 不意に、話題が切り替わる。クラウスさんの声のトーンが、少しだけ低くなる。


「将来はアウスバッハ家に迎えるつもりでいた。向こうもいいと言ってくれた。だが……あいつは死んだ。僕と、仲間と、世界を守る為に」


 初耳だ。そんな事、サークの口からも聞いた事がなかった。

 もしかして、前の異神の侵攻の時に死んだっていうエルナータって人の事? その人と、クラウスさんは、恋人同士だった……?


「あいつは最期に僕に言った。生まれ変わってまた、僕と恋をするのだと。……だから、どこかで新たに生を得たあいつのいるこの世界を、僕は終わらせない。絶対に」


 そう真剣な顔で言うクラウスさんに、何だか私まで胸が苦しくなる。クラウスさんは今でもその人の事が好きなんだって、物凄く伝わってくるから。

 生まれ変わりって、もしかしてひいおばあちゃまの事なのかな。二人は凄く年の差婚だったって、前に聞いた事がある。

 そうだといいな。……ううん、そうじゃなきゃ嫌だな。

 だって、クラウスさんには、本当に好きな人と結ばれて欲しいから――。


「クーナ。お前はあいつに似ている」

「え?」


 そう思ってると、意外な事を言われて私は目を瞬かせた。似てる? 私と、クラウスさんの恋人が?


「姿形ではない。生き方、魂の在り方、そういったものがあいつによく似ている。だからだろうな。未来から来たというお前の話を信じよう、いや信じたいと思ったのは」

「クラウスさん……」

「……そうだ。お前に貰って欲しいものがある」


 不意にクラウスさんがそう言って、結っていた髪をほどく。そうして私に差し出したものは、緋色の細いリボンだった。


「これは……?」

「これはあいつの生前、僕があいつに贈った最初で最後のプレゼントだ」

「えっ!?」


 告げられた言葉に、私は驚きの声を上げてしまう。それって……凄く大事なものじゃない!


「だ、駄目だよ! これはひいおじいちゃまが持ってなきゃ!」

「いいんだ」

「でも!」


 慌ててその手を押し返そうとするけど、クラウスさんは逆に私の手にリボンを強く握らせてくる。そして、とても穏やかな表情で言った。


「……お前のお陰で確信出来た。僕はきっとまた、あいつに会える。そして二度目の、人生最後の恋をあいつとするんだ。もう昔の思い出に囚われる必要はない」

「ひいおじいちゃま……」

「だからこれは、お前が持っていてくれ。そして未来に帰ったらそれを見て、こう思ってくれたらいい。僕はいつでもお前を見守っていると」


 私を見つめる優しい眼差しに、胸が熱くなる。クラウスさんは……ひいおじいちゃまは、本当に私の事を信じてくれてるんだ。

 だから、私に託してくれた。リボンだけじゃない。歴史の波に埋めると決めていた、自分の研究も。

 私は、その信頼に応えたい。――必ず強くなって、世界を守る!


「……解った。ありがとう、ひいおじいちゃ……じゃなかった、クラウスさん」

「もうひいおじいちゃまでいい。そっちの方が呼び慣れているならな」

「……! うん、ひいおじいちゃま!」


 ひいおじいちゃまの言葉が嬉しくて、私は思いっきり笑う。そして一度小手を外して、今受け取ったリボンを左の横髪に結んだ。


「どう、ひいおじいちゃま?」

「ああ、よく似合って……!?」


 その時ひいおじいちゃまの言葉が止まり、大きく目が見開かれる。後ろに何か出たのかと私は振り返ったけど、そこには何もなかった。


「クーナ、体が……!」

「え……!?」


 言われて自分の体を見ると……私の足がなかった。足だけじゃない、体も、手も、私の全身が透明に透け始めていた。


「な、何これ……!?」

「もしや……未来に戻ろうとしているのか!?」

「え!?」


 そんな! 確かに帰りたいとは思ってたけど、こんなに急に!?

 だって、私、まだひいおじいちゃまと全然話せてない。まだまだ教えて貰いたい事だって、沢山あるのに!


「ひいおじいちゃま……っ」


 伸ばした手は、ひいおじいちゃまの体をすり抜けた。それを最後に、指の先からすうっと手が消えていく。


「待って……私……私まだ……!」

「……っ、いや、教えるべき事は総て教えた! 後はお前次第だ!」

「でも……っ!」


 消えてしまう。いなくなってしまう。折角会えたひいおじいちゃまが。

 違う時代を生きてるんだから、いつかはこうなるって解ってた。でも、でも……まだ、全然話し足りないよおっ……!


「……泣くな、クーナ」


 ひいおじいちゃまが私の顔に向かって手を伸ばす。いつの間にか溢れていた涙を拭おうとするその指は、けれどやっぱりすり抜けていってしまう。


「お前は、お前の生きる世界を救いに行け。……信じているぞ、我が曾孫よ」

「ひいおじいちゃ……っ」


 そして、その言葉を最後に。

 私の意識は、そこでぷつりと途切れた。

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