第61話 ただ一つの可能性

 私の蹴りに吹き飛ばされて、サークが地面を転がる。けれど私は、決して安心はしなかった。


「……浅い……!」


 そう、足から伝わった手応えは、予想より遥かに軽いものだった。流石はサークと言うべきか、あのほんの一瞬で咄嗟に蹴りと同じ方向に動き、勢いを殺したらしい。

 とは言え、間違いなくダメージは与えた筈。お願い、サーク、正気に戻って……!


「……ぅ……俺は……?」


 蹴られたこめかみを押さえながら、上半身を起こしたサークが上げるのは戸惑いの声。という事は……洗脳が解けてる!?


「サーク……っ!」

「ハーイ、ソコまで。『薔薇乙女の抱擁ローゼンメイデン・プリズン』」


 安堵と共にサークに駆け寄ろうとした私の体に、突然、地中から突き出た茨が巻き付く。茨の棘が肌を貫く痛みと体中を締め付けられる苦しさに、私は小さな悲鳴を上げた。


「あぐっ……!」

「今のうち、ノア!」

「ああ。……『絶対なる皇帝の威光グランドシャイン・エンペラー』」


 身動きの取れない私の目の前で、無慈悲な赤い光が再びサークに降り注ぐ。それを浴びたサークは――ニヤリと、酷薄な笑みを浮かべた。


「感謝するぜ、ノア様。危うく惑わされるとこだった」

「そんな……サーク……」


 曲刀を支えに立ち上がるサークを見ながら、思わず涙が滲む。届いたと、救えたとそう思ったのに。


「さてと……またあの妙な力を発揮されないうちに、今度こそ終わらせるか」


 首の間接をコキコキと鳴らし、無情な言葉を吐くサーク。……考えて、考えるの、クーナ。私が死んだら、本当に何もかもが終わっちゃう!

 まずはこの茨を何とかしないと。さっきから何とか体を動かそうとはしてるけど、魔道具で肉体を強化していてもなおこの茨はほどけない。寧ろこっちの動きに反応して、締め付けが強くなってる気さえする。

 力でほどけないのなら……。もう、こうするしか手はない!


「『我が……内に……眠る……力よ』」


 声を搾り出し、必死の思いで意識を集中させる。必要なのは……この茨を焼き尽くせるほどの強い炎!


「ハッ、動けないから魔法でどうにかしようってか。無駄な足掻きだ」

「『爆炎に……変わりて……この身に宿れ・・・・・・』っ!!」

「何っ!?」


 小手から噴き出した炎は、小手じゃなく、私のローブ・・・を激しく燃やし始めた。その炎は全身の茨に瞬く間に引火し、焼き尽くしていく。


「自分ごと茨を燃やしただと!?」

「クーナ!」


 炎に焼かれた肌と肉の痛みに傾いだ体が、不意にふわりと宙を浮く。見るとベルが、シールドの魔法を中断して私を脇に抱き抱えていた。


「このまま争い続けるのは不利だ。一旦広場の端で作戦を立て直すぞ!」

「……解った!」


 炎で焼け落ちたローブをその場に残し、私はベルに抱えられたまま移動する。操られた人達が襲ってきたけど、ベルが死なない程度に切りつけ牽制をかける事で何とか逃れる事が出来た。

 サークやビビアン達は、逃げる私達を追っては来なかった。広場を封鎖してある以上、どこに逃げても同じだと思ってるのかもしれない。

 広場の端まで来たところで、ベルは私を降ろし再びシールドの魔法を展開した。相当無理をしてるんだろう、その形のいい額には玉の汗が浮かんでいる。


「……一体、どうすればいいんだろう」


 胸の中の不安と焦りを、隠さず吐露する。逃げる最中もずっと考えを巡らせてたけど、いい案は全く浮かんでこなかった。

 仮にまたサークに衝撃を与えて洗脳を解いたとしても、ノアがいる限り、何度でも洗脳し直される。けどノアを直接叩こうとしても、サークがそれを阻むだろう。

 いっその事、サークに動けなくなるほどのダメージを与えてしまえば……。今思い付く最適解はそれだけど、正直、魔道具の力を借りてもそれが出来る可能性は限りなく低いと言わざるを得なかった。

 私の力量とサークの力量は、それくらい差がある。その事が、とても悔しい。


「……一つだけ、策がないわけでもない」

「え!?」


 けれどそう返ってきた予想外の返事に、私は弾かれたようにベルを見る。本当に、この状況を打破出来るの!?


「神の血を引いた人間には洗脳が効かない。確かそう言ったな」

「う、うん」

「これは殆どの人間が知らない事だが、魔力の低い者が魔力の高い者の体液を摂取すると魔力の質と量が上がる。本当は体を重ねるのが一番効果的だが、キスだけでも多少は効果があるだろう」

「そ、それとこの状況と何の関係が?」

「これは推測だが……神の血を引く者の体液、つまりは私かお前の体液を摂取させれば、同じように神の血の力が働いて、野良エルフを元に戻せるのではないか?」

「!!」


 ベルの言葉に、私は小さく息を飲む。サークに私かベルの体液を飲ませる。そうすれば、サークの洗脳を完全に解けるかもしれない……!

 どんな形でもサークに接近出来ればいいなら、サークを戦闘不能にするよりも難易度は低い。……やってみる価値は、あるかもしれない!


「解った。……ベル、ちょっと剣を借りるね!」

「え?」


 返事を聞く前に、私はベルから長剣を奪い取る。そして自分の腕の剥き出しになってる部分に、深々と突き刺した。


「ぐっ……!」

「クーナ、何を!?」


 私の取った行動を、ベルが驚きの目で見る。私はそんなベルに、長剣を返しながら答えた。


「……飲ませた体液の量が多いほど、効果があるかもしれないでしょ……!」

「だからと言ってその怪我は……!」

「大丈夫、必ず成功させてみせる……! ベル! シールドの魔法を解いて!」

「……くっ! 託すぞ、クーナ!」


 ほんの僅かな躊躇いの後、ベルが張っていたシールドを消し去る。私は腕から溢れる血を口に含むと、操られた人達の群れへと飛び込んでいった。

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