第11話 存否の歌

1. 現在


 廃墟の一室に二人の男が、息を潜めていた。

 一人が拳銃を握り締めて、絶えず扉の方に神経を向けていた。そして、もうひとりは携帯電話のボタンを押し続けている。が、どこにかけても返事がないようだった。思いつく限りの番号を押して、今では適当な数字の組み合わせでプッシュしていた。

「やはり、生き残っているのは俺達だけじゃないのか」

 多羅尾が放心したようにいった。「誰も電話に出ない。誰も助けに来てくれない」

「馬鹿やろう。この部屋の電気はまだ点いているんだぞ。あきらめるな。必ず生きている人間がいるはずだ。助けに来てくれるはずだ」

 吉田が怒気を含んだ声を出した。と、その時である。 

 出口の向こうでけたたましい悲鳴が聞こえたかと思うと、外から誰かが扉を激しく乱打した。

「開けてくれ、中に入れてくれ」

 吉田があごをしゃくって多羅尾に合図した。多羅尾は無言で頷き、扉に駆け寄ると、真ん中にある覗き窓に片目を近づけた。

「助けてくれ」

「お前は誰だ」

 多羅尾は扉に向かって聞いた。

「すぐそこまでゾンビが追いかけてきているんだ。この扉を開けてくれ」

 吉田は腰を据えて銃を構えている。振り返りながら、多羅尾が泣きそうな声を出した。

「人間だ、入れてやろう。傷もないし、血も流れていない。きれいな顔をしている」

「何を言っている。死んだばかりのゾンビは傷もなければ腐ってもいない。人間と見分けがつかないというのは、お前もよく知っていることだろう」

「なら、見殺しにするのか」

「いや、扉を開けろ。入れてやろう。その代わり、例のテストをする」

 多羅尾が扉を開くと、飛び込んできたのはどこにでもいるサラリーマン風の中年男だった。どう見ても人間としか思えない。だが、吉田は疑っていた。死んだばかりのゾンビは脳みそも完璧に機能している。知能を操って、芝居をしたり嘘をついたりすることだってできるのだ。

 近づいてくる男を吉田が拳銃で牽制した。

「来るな。お前が俺達の仲間かどうか、これからテストする。多羅尾、準備しろ」

 多羅尾が蟹のような横歩きでにじり寄った壁には、大きな機械が置いてあった。カラオケセットと歌唱力判定機である。


 この絶望的な異変に気づいたのは、まず、政府の統計調査室の役人たちだった。

 近年の人口推移において、死亡数と実際の総人口数が合致しないことがわかったのである。さらに極秘調査の結果、その理由は総人口の中にすでに死んでいるとしか思えない者が混ざって生活しているのではないか、という結論に達した。ほどなくして、その驚愕すべき事実は「存否白書」という政府見解としてまとめられた。

 存否とは、「否定されるべき存在」という意味である。

 さて、白書によれば、社会にねずみ算式に存否が増え続けているという。すでに、生者と死者の人口比率は逆転し、この国のすべてが死者になるのは想像を絶するほど瞬く間であるいう計算も公表された。

 それがわずか一年前の話。その間にこの奇妙な出来事についてわかったことといえば、ゾンビに噛まれると人はそのまま死んで新たなゾンビに生まれ変わるということだけだった。存否の原因は何か、それを究明するための研究が到底追いつかないほどの短期間に、すでに人類の存続は絶望的になったのである。

 多羅尾と吉田がどういう経緯をもって、この廃屋に閉じこもっているのかは、ここでは別のお話。ただ言えることは、彼らの命を今日まで救ってきたのは、荒廃した街角の駐在所から盗んできた一丁の拳銃と、このカラオケセットだったということである。もっと正確に言えば、カラオケセットに付随した歌唱力の採点機械であった。


「歌え」といわれて、このような緊張感の中で人が歌を歌えるものだろうか。

 が、拳銃を突きつけられては、どうしようもない。男は、演歌を選んで歌い始めた。

 男の歌声は最初は震えるようだったが、中盤に至ると徐々にのってきたようである。演歌がさびの部分になると、歌声に手振りを合わせるようになった。

 これはうまいな、と多羅尾は舌を巻いた。さすが、中年サラリーマンである、カラオケは歌いなれているのだろう。

「もういい!」

 突然、吉田の大声でカラオケは中断した。男は青ざめた顔をして、尻餅をついた。

「ま、まさか」

 多羅尾が駆け寄る前に、すでに吉田の拳銃が轟音を上げていた。

 額に赤い点が見えたのも一瞬のこと、後頭部が石榴のようにはじけ、脳漿を壁にぶちまけて男は朽木のように転がった。

「な、なんてことをするんだ。凄くうまかったじゃないか。こぶしが利いていて」

「見てみろ」

 多羅尾は落ち着いている。採点機は38点を出していた。機械にはこぶしを利かせるという表現力が理解できないらしい。

「こぶしは関係ない。機械は正直だ。50点以上ないと合格とはいえないよ。こいつはゾンビだ」

 ゾンビの心臓は止まっている。人間というものは、自らの心臓の鼓動を基準にしてリズムを感じるものらしい。だから、ゾンビはリズム感がない。歌が歌えないのだ。いくら巧妙に人間の振りをしていても、歌を歌えばすぐにわかってしまう。それが吉田の理論だった。

 が、多羅尾は反発を感じている。

「血だらけじゃないか。人間の血だぞ、これは」 

「何をいってやがる、これまで俺達が生き延びてきたのはこの用心深さがあったからだ。寝言をいっていないで、カスを箒ではいておけ」

 多羅尾はしぶしぶ、できたばかりの死体を部屋の隅に引きずった。ゾンビは頭を破壊されると完全に死んでしまうのである。


 それにしても、このテスト、演歌は圧倒的に不利だな。

 多羅尾は箒を使いながら、そう思った。





2. 半年前



 高校の音楽の先生というのは、大抵まっさきに不良生徒にいじめられる。

 音大を出たばかりの若く綺麗な先生が多いし、教職が結婚までの腰掛けである場合が多いから、指導にも甘いところがある。

 だが、そのような可憐な女教師というのは、不良生徒どもにとっては一種の憧れなのである。その憧れをいじめという曲がった表現で示そうとしているのだろう。もちろん当の女教師にとっては堪らない。

 ところが今や、この国の学校で一番強い地位にあるのは、そんな音楽教師たちであった。


 世の中に、存否と呼ばれる死人が人々と共存しているという衝撃の事実が判明したのはわずか半年前の事である。死人たちは音もなく生者の生活の場に浸食していき、知らず知らずのうちに、国そのものを乗っ取ろうとしている。ただそれがわかったとしても、人々には手の打ちようがなかった。

 ただひとつ、存否を見分ける基準がある。人間の行動は、常に心臓の動きでリズムを刻むものらしい。死人は心臓が動いていないので、まったく動きにリズム感がない。ダンスも踊れなければ、歌も歌えないのである。

 それを有効に判断し存否を見分けるのが、国から与えられた音楽教師の新しい任務である。音楽教師は文部省の管轄を離れ、公安警察を自由自在にできるほどの権力を持つ国家公務員になった。

 当然、教育現場で音楽教師は絶大な力を振るうことになる。彼女らが告発した生徒は即座に公安警察に連行され、そのまま二度と帰ってこない場合もあったし、あるいは帰ってきても、常に周りから疑惑の目で見られ差別を受けた。

 もはや、学校の不良どもは音楽教師の天敵ではない。彼らは、その他大勢の従順な生徒でしかないのである。

 状況は中世の魔女狩りに似ていた。音楽教師は、魔女を摘発する聖職者だった。もちろん、その判定に存分に恣意を含む事もできたのである。


 問題の学校の音楽教師は、名を京町歌子といい、外見にまったく可愛げがないばかりか、オールドミスだった。もちろん、ここまでになる間に、多くの生徒や同僚の先生たちにいじめられ続けたのだろう。その反発がいま表れた。

 職員室では、皆をあごで使った。

「吉田先生。お茶持ってきて頂戴」

「教頭先生、ちょっと肩揉んでくれる」

 彼女の横暴に逆らう同僚や上司はもはや誰もいない。少しでも彼女の気に入らない返事をしようものなら、さっそく公安警察に告発されてしまう恐れがあるからだ。

 ところがその日、学校中を激震させるような出来事が起こった。

 音楽教師の傍若無人に反発した教師の一人、体育教師の多羅尾が、皆の前でこう言ってのけたのである。

「そういえば、私達は京町先生の歌を一度も聞いたことがありません。みんなの歌を評価したいのなら、どうかここで歌ってみてください」……と。

 それは一か八かの賭けだった。彼はすでに、京町に目をつけられてしまっていたからだ。公安警察が彼を迎えに来るのは、時間の問題のようだった。

 だが、当の音楽教師はふん、と鼻で笑った。ご希望の歌をどうぞ指定してください、と彼女は自信たっぷりにいった。

 多羅尾が指定したのは、ありふれたポップスの一曲だった。

 その日の昼休み、全校放送のスピーカーから歌子の歌が実況で流された。そして、その歌唱力は、万人を魅了するほどのものであることが認められたのである。

 一人残らず全員がその歌に聞きほれた。


 彼女が歌い終わったとき、職員室は怒涛のような拍手喝采で溢れた。半分は心から賞賛する気持ちと、あと半分はこれまでどおり彼女に媚をうる気持ちからだった。

 先ほど彼女に歌を歌えと責め寄った多羅尾は、見るも無残な表情でうなだれていた。

 その肩に手をやった音楽教師、京町歌子は、思いのほかやさしい言葉をかけたのである。

「いいのよ。誤解が解けてよかったわ」

「申し訳ありません。少しでもあなたの事を疑って」

「そのかわり、ちょっとお願いがあるの。後で音楽室へ来てください」


 放課後の音楽室に、多羅尾は音楽教師を尋ねてやってきた。

 京町に対して、あれだけ反抗的な態度を取ったのである。報復が怖くないわけではない。しかし、ただひとつの救いは、彼女がゾンビではなかったという事実であった。相手が人間である以上、自分の気持ちをわかってもらえないはずがない、と彼は一抹の希望を持っていた。

「すみません、お呼びだてして」

 多羅尾の顔をみるなり、音楽教師はにこやかに言葉をかけた。

 彼はほっとため息をついた。相手は人間である、相手は……その言葉を頭の中で何度も繰り返した。

「先ほどはどうもすみませんでした、京町先生。この通り反省しています」

「そんな事はなんとも思っていないわ。実は……」

「実は?」

「あなたにも早めに仲間になってもらおうと思って」

 その瞬間の音楽教師の眼は、あらゆる光を閉じ込めてしまう底なしの洞穴のように見えた。

 刹那、多羅尾はこれは人間の目ではない、と確信した。

「怖くないのよ」

 言いながら、音楽教師はブラウスの胸をはだけた。そこにも黒い洞窟がある。

 その中から、かちかちかち、と規則正しい拍節音が聞こえてきた。彼女は、自分の胸の穴に手を突っ込んで、その物体を取り出した。

 メトロノームであった。

「煩わしいけど、入れておいて正解だったわ」

 新しい犠牲者は、すでに音楽教師に組み敷かれ身動きができない。

 ゾンビは生体保護の機能をなくしているから、常に火事場の馬鹿力を発揮する事ができるのである。

 京町歌子は、うれしそうに多羅尾の耳元で呟いた。


「お世話になったお礼に、もう一度私の甘い歌を聞かせてあげてもいいのよ」

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