第二十三話 心奥

 わたしたちが向かう「花の遊園地」までは、最寄りの駅から電車に乗って一時間半くらいだ。一度電車を乗り換える。ピークは過ぎているようだが、電車の中はそれなりに混んでおり、座席はすべて埋まっているような状態だった。

 わたしは三日前に見た自分の報道を思い出して、顔を上げることが出来ずにずっと俯いていた。しっかりメイクをして髪型も違うので、気づく人はいないだろうと思ってはいたが、頭のどこかで黒くもやもやとした影がちらついていたからだ。首元のネックレスを握り締めて、その影から目線を逸らした。

 キリは立っているのが辛いようで、座席横の壁に背をもたれていた。そんな彼の姿を見ると、どうしてキリは今日、わたしを遊園地に連れて行く気になったのだろうと思う。それにわたしは、体調が良くなってからで良いよ、とどうして言えなかったのだろう。

 その何だか申し訳ない気持ちから、一番端の席の前で吊革に掴まっていたわたしの前が空席になった時、すぐに彼を呼んで座らせた。もちろん彼は拒むことなく、何の言葉もなく当然のように座る。周りの人たちはそんなキリを、どういう目で見ていたのだろうか。彼女を差し置いて座るなんて、威張った彼氏だと思ったか。それとも、やつれた彼の身体を見て何か重い病を患っていると思い、心配したかもしれない。乗客の顔を見ることが出来ない状態のわたしには、推測する術がなかった。


 目的の駅に着くと、そこからもうすでに遊園地の空気は始まっていた。改札を出てすぐに、花の写真の垂幕や看板があちこちにあり、遊園地までの道はほぼ来園客専用で、園内の雰囲気に合わせるように飾りつけられている。それを見たわたしの心の海に棲むイルカたちは、ショーのように豪快なジャンプを始めたようで、ワクワクした気持ちがどんどんと前に出て来ていた。そのせいで電車の中で感じた影は、わたしの視界から消えてくれたようだった。自然と速足になるわたしの後ろを、キリはポケットに手を入れてふらふらとついて歩いた。


 ゲートの前には、入場券を求めてたくさんの人が並んでいた。長い間学校に行っていないので忘れていたが、世間ではもう夏休みのシーズンだと思い出した。キリが事前購入していてくれたおかげで、わたしたちはその列に並ぶことなくゲートをくぐる。

 中に入った瞬間、わたしは舞い上がった。芝生が敷き詰められたエントランスには大きな噴水があり、その周りにはたくさんの花たちが笑顔のように咲いている。歩道はレンガになっていて、それをなぞるように並べられた花壇にも花たちが笑っていた。奥の方には花をあしらった観覧車や、メリーゴーランドが見える。まるで絵本の世界に迷い込んだようだ。わたしの心の中のイルカはそれを見て、翼が生えたように飛び上がって行く。顔中の筋肉が上がって、そのまま戻らなかった。


「すごい。夢みたい」


 無意識に感想を声に出したわたしを横目で見て、キリは無機質な声で良かったじゃん、と返して来た。良かったなんて言葉では済まされない。頭の中が光でいっぱいで、眩しいくらいだ。水をたくさん吸ったスポンジのような、瑞々しく満たされた気持ちだった。


 ゆっくりと園内の奥に向かって歩いて行くと、たくさんの花たちに出会う。夏なので色の鮮やかな花たちが多く、何だか元気をもらえる。初めにわたしの目を惹いたのは、真っ赤に咲くハイビスカスだった。

 わたしはそれを見て、はしゃいだような明るい声でキリに言った。


「見て、ハイビスカス。かわいいね」


 興味がなさそうに一応見てくれたキリの返事を待たず、わたしはほかの花を探す。ひまわり、キキョウ、グラジオラス、ブーゲンビリア。見つける度に名前を言って、見て、と彼に促した。

 キリはわたしの話を聞き流していたが、突然止まって言った。


「見て、喫煙所」


 わたしの言葉を真似たセリフに、馬鹿にしているのか、とわたしはキリを一瞥する。わざと低い声で良いよ、と返した。彼はそそくさとそこへ向かうと、灰皿の隣に置いてあったベンチにどすっと座る。その姿を見て、そうだった、キリは体調が悪いんだったと思い出して少し反省した。

 わたしもそちらに向かい、煙草に火を点けたキリの隣に腰掛けた。


「ごめんね、疲れた?」


 彼の顔を覗き込むようにして、小さい声で聞いた。キリは煙を吐きながら、煙草が吸いたかっただけ、と答える。たぶん嘘だろうと思った。

 わたしが項垂れると、キリは小さい声で言った。


「お前、花詳しいんだな」


 褒めてくれているかのようなその言葉を聞いて、わたしは下げていた頭を上げ、キリの顔を見て答える。


「わたしの両親はね、フラワーショップをやってたんだって。その血を引いたのか、わたしも花に興味があるんだ。知らなかったし、意識したわけじゃないんだけど、小学生の時は将来の夢がお花屋さんだったよ」


 わたしは少し笑って、照れた心を隠した。将来の夢、なんて久しぶりに言葉にした。小学生の頃はみんなが普通に言っていたし、わたしも普通に話していたと思うけれど、中学に入ってからはそんな話したこともないし、考えたこともなかった。

 キリは特に何も言わなかったので、恥ずかしくなったわたしは話題を変える。


「キリも花が好きなのかなと思ってたけど。デザインした服、花柄多いよね」


 わたしが今着ているワンピースも花柄だ。クローゼットに入っている彼がデザインした服は、花があしらわれているものが多かった。種類はいろいろだったけれど、その花が持っているイメージをしっかり表現している、とわたしは思う。

 キリは一口煙草を吸うと、灰を落としながら返した。


「俺はそんなに興味ない。花は妹が好きだった」


 わたしはそう言った彼の横顔を見つめた。彼は相変わらず表情を変えなかったが、少し遠くを見ていた。わたしはそれを見て、キリにとって妹はかけがえのない存在だったのだろう、と思った。胸の辺りを指でつままれたような、何となく苦しい感覚がした。きっと、キリは今わたしが感じているよりも、何倍も苦しい思いをしたのだと思う。

 これ以上キリを苦しめたくなくて、わたしは笑顔で彼を見て、出来るだけ明るい声で言った。


「妹さんは趣味が良いね」


「お前それ、自分も趣味が良いって言いたいのかよ」


 キリはそう言うと、目を細めてわたしを少し睨んだ。いつも通りの反応が返って来て、わたしはほっと安心した。キリの目を見てふふ、と笑う。


「ジェットコースター、乗るぞ」


 キリは立ち上がって、煙草の火を消しながら言った。わたしはその言葉にぎょっとする。焦って声が大きくなった。


「怖いじゃん、やめようよ」


 キリはわたしの顔を見て、やめない、と一言だけ言った。彼にはいつも表情がないので、どこまで本気か冗談か分からない。

 わたしはやめようよ、と繰り返しながら、先に歩いて行くキリの背中を小走りで追い掛けた。

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